囚われのソフィーラ
俺たちは先を急ぐべく、ほとんど灯火の届かない薄暗い回廊を駆け抜けていた。
石壁はじっとりと湿り気を帯び、冷気が肌に貼りつくようにまとわりついてくる。
遠くからは鎖が擦れる金属音や、かすかな呻き声が反響してきて、まるで見えない誰かがこちらを覗いているようだった。
「マジで……雰囲気悪すぎなんだけど~」
「こ、怖いですぅ……!」
不気味な気配に怯えるリリカとタマコを、ピルクとマオが必死に落ち着かせる。
「怖がってばかりはいられませんよ、お二人とも」
「この先にソフィーラさんが囚われてるはずニャア」
「……そうだよね。早く助けに行かなきゃ!」
リリカが拳を握り直したその時、回廊は不意に新しい区画へと切り替わった。
「ここは……牢獄、ですね」
「そのようだな」
通路の両脇には鉄格子の小部屋が並び、その奥には衰弱しきった人影が横たわっている。
首元には、かつて地上で見かけた“救済の証”が無造作にぶら下がっていた。
死んだように動かぬ者もいれば、まだ息があるのか、呻き声を漏らす者もいる。
その姿は生け贄の供物そのものだった。
「これって……やっぱり……」
「ああ、間違いない。これは救済なんかじゃない、命の冒涜だ」
リカーシャは怒りに拳を震わせ、ピルクは絶望したように目を泳がせる。
「教会が……こんなことを……ボクは何を信じれば……」
その肩に、リリカが軽く手を置いた。
「信じたいものを信じればいいんだよ。リカねぇを信じるって、自分で言ってたでしょ?」
「その通りですぅ! 少なくともリカーシャさんは何も変わってないですよ!」
「……ありがとう。二人のおかげで少し気が楽になりました」
仲間の言葉で立ち直るピルクをよそに、俺たちはさらに進む。
牢獄の終端に待ち受けていたのは、分厚い鉄扉だった。
マオが歩み寄ろうとした途端、見えない壁に弾かれる。
「ニャッ!? これは魔法の結界ニャア……ミーでは近づくことすらできないニャア」
「それならボクが。ーーディスペル!」
ピルクの詠唱に応じて、扉を覆っていた青白い膜が霧散する。
マオが再び手を伸ばすと、今度は弾かれなかった。
「これで解除できるニャア!」
「ピルク、ナイスだよっ!」
「ふふん、腐っても聖職者ですから!」
鍵を外すと、扉はなおも重く沈黙を保っている。
リカーシャが押してもびくともしない。
『任せろ、ーーギガンティック・ヘラクレス!』
俺はリカーシャの肩から飛び降り、三メートル大に巨大化して角を扉へ押し当てる。
石壁が振動し、金属が軋む不快な音を撒き散らしながら、分厚い扉が少しずつ開いていった。
「さっすがヘラクレス! 頼りになるぅ!」
リリカが思わず抱きついてくるが、今はその柔らかさに気を取られている場合じゃない。
「……行こう。ソフィーラさんが待っている」
「はい!」
俺たちは闇の奥へと踏み込んだ。
鉄の扉を押し開けた瞬間、淀んだ瘴気が吐き出されるように流れ込み、俺たちは思わず息を詰めた。
室内は薄暗く、灯火ひとつなく、床に刻まれた巨大な魔法陣だけが赤黒く脈動している。
その不気味な光が、血と鉄の匂いをより濃く際立たせていた。
壁際には無数の鎖や鉄具がぶら下がり、儀式に使われたらしい黒蝋燭の残骸が散乱している。
まるでこの部屋全体が「生贄の祭壇」であることを物語っていた。
「……っ、ひどい……」
タマコが思わず顔を覆い、リリカも唇を震わせる。
そして――その魔法陣の中心。
両腕を十字架状の石台に縛りつけられたソフィーラさんがいた。
首には魔封じの首輪、足元は重い鉄環で床に縫いつけられ、身体中に赤黒い鎖のような魔力が絡みついている。
それは魔法陣へと繋がり、彼女を「封印の核」として利用していることをはっきりと示していた。
乱れた髪、やつれた頬、破れた衣服、全身には生々しい傷痕が刻まれている。
かつて気高く毅然とした彼女の面影は痛々しくも変わり果てていた。
だが、その瞳だけはまだ消えていない。
光を失わず、俺たちを見つけた瞬間、かすかに微笑みを浮かべる。
「……みんな……来て、くれたの……どうして……?」
弱々しく震える声。
それでも必死に仲間を信じ抜いていたその姿に、俺たちは一瞬、息を呑み言葉を失った。
「決まってるじゃん! ソフィーラさんを助けに来たんだよ!!」
リリカの叫びは涙声に近い。彼女は迷わず赤黒い魔力の鎖へ手を伸ばすが――。
「熱っつ! なにこれ!?」
触れた瞬間、灼熱の呪いに焼かれたように手を放す。
「触っちゃダメ……それは魔力の鎖。触れた者の身体を、少しずつ蝕んでいく……」
「そんなもので、ずっと縛られていたんですかぁ……!?」
タマコの絶句に、皆の胸が冷たい怒りと悲しみに満たされていく。
「呪いならボクが! ーーディスペル!」
ピルクが必死に詠唱し、光を放つ。
しかし鎖は逆に禍々しく脈動し、ソフィーラの身体に痛みを与えた。
「う、くっ……!」
「ソフィーラさん!」
「リリカちゃん……私は平気。……続けて、ピルクくん……」
苦痛に顔を歪めながらも、解呪を促すソフィーラ。だがピルクは涙をにじませて首を振る。
「こんなに苦しそうなのに……そんなこと、できませんよ!」
「ピルクくん……あなたは優しい子ね……」
その言葉に、ピルクは嗚咽を堪えきれず俯いた。
仲間を救えない自分の無力さに、胸が押し潰されそうになる。
どうすれば……!
絶望が広がる中、俺はひらめいた。
ーー悪魔をも打ち破った、あの力なら!
『フォトン・セイバー!』
角が聖なる光を帯びて輝く。
俺は小さな姿に戻り、彼女の身体を傷つけぬよう細心の注意で角を鎖に触れさせた。
瞬間、禍々しい鎖は悲鳴のような音を立て、光に焼かれて次々と弾け散った。
「う……っ!」
「ソフィーラさん!」
支えを失い崩れ落ちる彼女を、リリカが慌てて抱き止める。
「みんな……ほんとにバカね……私のことなんか放っておけばよかったのに……」
「そんなの、できるわけないじゃん! だって、ソフィーラさんは……リリカたちの大切な仲間だもん!!」
涙でぐしゃぐしゃになりながら、リリカが叫ぶ。
ソフィーラはその声に力なくも微笑み、囁いた。
「リリカちゃん……ありがとう……助かったわ」
その一言で、抑えていた感情が一気に溢れ、皆の目に歓喜の涙が広がった。




