帰ってきたヌイヌイタウン
馬車の荷台から顔を出した梨香とピルクが、目の前の風景に思わず声を漏らす。
「……あれが、ヌイヌイタウン」
「思ったよりも、こぢんまりとした町ですね」
そういえば、梨香とピルクにとってはヌイヌイタウンは初めてだったな。
そんな二人に反論したのは、ヌイヌイタウンに所縁の深いリリカだ。
「むぅ、確かにホーリーシティーほど大きくはないけど……でもこの町はね、温かいんだよっ!」
「ボクたちみたいなお尋ね者でも……そう言えるでしょうか?」
「そ、それは……」
ピルクの冷静な言葉に、リリカは思わず言葉を詰まらせる。
「そろそろヌイヌイタウンに入るわ。みんなはシーツを被って隠れてて」
「はーい……」
「はいですぅ……」
「承知した」
「分かりました」
ソフィーラさんの指示に従い、俺たちはシーツをかぶって荷車の荷の中に潜り込んだ。
シーツ越しに、ソフィーラさんが門番と話している声が微かに聞こえる。
やはり少し怪しまれているようだが──
それでも無事、馬車は町へと滑り込んだようだ。
『どうやら、無事に町に入れたみたいだな』
「う~っ、いいかげん窮屈なんだけど……っ」
「我慢しろ、リリカ。ここでも私たちの顔は知られているかもしれない」
モゾモゾ動くリリカを、梨香がたしなめる。
しばらくしてソフィーラさんの合図で、俺たちは馬車から降りた。
借りていた馬車を返すのだろう。
リリカたちにもマントを羽織るよう念を押していた。
俺がリリカのマントの隙間からそっと顔を出すと、町のあちこちに張り紙が貼られているのが目に入った。
──あの絵、俺たちじゃないか?
梨香やリリカ、タマコの顔だけじゃない。
おまけに、俺――ヘラクレスオオカブトの姿まで、妙にリアルに描かれていた。
『どうやら、俺たちも指名手配されているようだな。似顔絵まで、町中に貼られている』
「マジで!? リリカたち、有名人じゃん……やばっ」
「こんな形で有名になるなんて……タマコは嬉しくないですぅ……」
タマコの嘆きに、まったくもって同感だ。
そんな中、ソフィーラさんに案内されたのは、町の冒険者ギルド『レオ・ガルド』だった。
「ここって、冒険者ギルドですよね? 大丈夫なんですか?」
「ギルドには入らないわ。裏に案内するから、ついてきて」
ソフィーラさんについていくと、ギルドの裏手にある小道へと導かれた。
そして彼女が開けたのは、地下へ続く古びた扉。
「ここよ、ギルドの旧倉庫。今は誰も使ってないから、私の秘密の昼寝スポットだったの」
「ギルドにこんな隠し倉庫があったなんて……」
「タマコも初耳ですぅ……!」
思わぬ秘密の場所に、元ギルドメンバーのリリカとタマコは目を丸くする。
「助かるよ、ソフィーラ」
「……でも長居は無用ね。ギルドマスターに勘づかれると厄介だし、いざとなったら町外れの友人の家へ移りましょう」
そう言って、俺たちはソフィーラさんに先導され、倉庫の中へと足を踏み入れた。
旧倉庫の中はひんやりと薄暗く、古びた荷物が乱雑に積まれている。
俺の複眼には、わずかな光が届く範囲に、白く積もった埃が見えた。
「ケホッ、ケホッ……すごいホコリですね……!」
「我慢しろ、ピルク」
咳き込むピルクを、梨香がきっぱりとたしなめる。
そんな二人に、ソフィーラさんが申し訳なさそうに笑った。
「ごめんね、勇者様たちをこんな薄汚いところに連れてきちゃって」
「気にするな、ソフィーラ。お尋ね者の私たちには、ぴったりの場所だと思う」
「……確かに、否定はできません」
自虐めいた梨香の口ぶりに、ピルクも苦笑しながらうつむいた。
「とりあえず、しばらくはここで大人しくしてるのが最善ね」
「何から何まで申し訳ないですぅ……」
「気にすることないわ、タマコちゃん。だってみんな、私の大切な仲間だもの!」
「ソフィーラさん……マジ、女神みたい……!」
「んもう、リリカちゃんってば、それは褒めすぎよ~」
手を振りながら笑うソフィーラさんの横顔は、本当に頼もしく見えた。
『娘たちを匿ってくれて大変感謝している、そうソフィーラさんに伝えてくれないか? リリカ』
「オッケー! ──ソフィーラさん、ヘラクレスも、リリカたちを匿ってくれてすっごく感謝してるって!」
そう伝えたリリカの言葉に、ソフィーラさんはそっと俺の角に指を添え、やさしく撫でてくれた。
「ヘラクレスちゃんもご苦労様。今まで大変だったでしょう?」
ソフィーラさん……。
今の俺に涙腺があったら、たぶんその場で涙がこぼれていただろう。
それほどに、俺の心はもう限界寸前だった。
あふれそうな感情を、ようやく押しとどめた。
昼も夜もない薄闇に包まれた旧倉庫の中で、仲間たちは疲れ果て、雑魚寝のまま静かに眠っていた。
ここまでの旅で、心も体もきっと限界だったのだろう。
俺もそろそろ視界を閉じようとした、その時だった。
リリカの腕がそっと伸びてきて、俺をその胸元へ引き寄せる。
『リリカ……?』
不思議に思って顔を向けると、彼女の表情にはどこか陰りがあった。
不安と、揺らぎ。そんな影が浮かんでいる。
「ねえ、ヘラクレス……」
『どうした、リリカ? 何か話したいことがあるなら、聞くぞ』
俺がそう促すと、リリカは少しだけ苦笑して、ぽつりぽつりと話し出した。
「ありがと……。リリカね、今までずっと頑張ってたつもりだったの。でも……どうしても、不安になるんだ」
『不安……?』
「うん。リリカもリカねぇやみんなの力になりたかったのに、気づけば足引っ張ってばっかでさ……。全然、役に立ててないんじゃないかなって……」
リリカはそう言いながら、俺をぎゅっと胸に抱きしめる。
その腕には震えがあって、どこか苦しそうだった。
──胸の感触は……いまは言わないでおこう。
「悪魔パズズのときも、何もできなかった。しかも……リリカがうっかりしゃべっちゃったせいで、こんなことになっちゃったし……」
声が次第にかすれ、ぽたぽたと涙が彼女の瞳からこぼれていく。
「……いなければよかったのかな、リリカなんて……」
『リリカ……』
リリカは、いつも明るくて元気で、冗談を飛ばして周囲を和ませる存在だ。
でも、その裏にはこんなにも繊細で優しい心があるんだ。
俺は、そんな彼女の苦しみに今まで気づけなかった。
『……俺も父親失格だな。君がこんなにも辛い思いをしていたことに、まるで気づけていなかった』
「……ヘラクレス?」
リリカが小さく俺を見つめる。
『でもな、リリカ。俺がこの世界で最初に出会ったのは君だった。君がいたから、俺は人と共に歩む決心ができたんだ』
「それって……リカねぇのことじゃなくて?」
『もちろん、梨香も大切な娘だ。だがな、君も同じくらい、大事な存在だよ。リリカ……君も俺にとっては、かけがえのない家族だ』
そう言い切ると、リリカは驚いたように目を見開いた。
『だから──“いなければよかった”なんて、もう言わないでくれ。俺は君に出会えて、本当に良かったと思ってる』
「……ヘラクレス……」
しばらくの沈黙ののち、リリカが小さく微笑んだ。
「うん……ありがと。リリカ、やっぱりヘラクレスがパパだって思ってた」
『そうだ。もう落ち込むことなんてない。大事なのは、これからだ』
「うん……リリカ、また頑張るよ。今度こそ、みんなの力になるんだ」
そう言って涙を拭った彼女の笑顔は、どこか吹っ切れたように清々しく見えた。
『いざというときは、俺も全力で支えるさ』
「うん。そのときは、頼りにしてるからね!」
──確かに今は、厳しい時だ。
だけど、リリカがそばにいてくれる。
仲間たちがいてくれる。
だから俺は、きっと乗り越えられる。
そう信じているんだ。




