異世界の食事
ギルドを後にして少し歩くと、俺は胸元に揺られながらリリカに問いかけた。
『なあ、これからどうするんだ?』
「そりゃあもう、腹ごしらえっしょ~! リリカ、お腹ぺっこぺこ~!」
お腹をさすりながらケロッと言うその姿に、思わず頬が緩む。
梨香も、腹が減るとよくそんなポーズしてたっけな。
「ん? どうしたのヘラクレス~?」
『いや、なんでもないよ。それで、どこで食べるつもりなんだ? レストランでも?』
「レストランもいいけど、やっぱ市場でしょ~。手軽で安いし、雰囲気もエモいし?」
『なるほど』
異世界の市場――どんな光景が広がってるんだろうか。
そんな期待を胸に、俺は揺られながら視線を前に向けた。
やがて雑踏の音が次第に大きくなり、活気あふれる市場にたどり着いた。
色とりどりの布がかかった屋台が並び、人々の呼び声が飛び交う。
焼き立てのパンの香ばしさ、果物の甘い匂い、香辛料の刺激……異世界の空気が、五感を刺激してくる。
「ねえヘラクレスってさ、何食べんの~?」
『俺か? 甘い果物なんかがあると嬉しいな』
「果物か~! ねえタマっち、果物探そ~っ!」
「えっ、急にどうしたんですかぁ?」
タマコはきょとんと目を丸くする。
そっか、彼女には俺の声が届いてないんだったな。
「ヘラクレスがね、果物食べたいんだって! ほら、昨日いっぱい飛び回ってたし~?」
「なるほどですぅ。じゃあ探しましょ~!」
「おー!」
二人の元気な声が市場の喧騒に混じって弾けた。
足を止めたのは、果物屋の屋台だった。
「へいらっしゃい! 今日も採れたて、うまい果物揃ってるよ!」
威勢のいいおっちゃんの声が飛んでくる。俺も軽く角を上げて挨拶。
「おっ、嬢ちゃんたち、珍しい虫連れてんな~! こんなの初めて見たぞ!」
「でしょ~? ヘラクレスっていうの! マジでヤバくない?」
どうやら店主のおっちゃんも、俺に興味津々らしい。
「それでおっちゃん、今いちばんオススメの果物ってどれ~?」
「だったらコレだな! 西のオアシス都市から届いた縞々瓜、甘くてジューシーで大人気だぜ!」
どん、と差し出されたのは見覚えのある緑の果実。
――スイカ……だよな、どう見ても。
『うわ、こっちにもスイカあるのか……。でも……』
スイカは水分が多すぎて、カブトムシの腹にはあまり良くない。
『リリカ、悪いけど……別の果物がいいかも。縞々瓜はちょっと水分が多すぎるからさ』
「え~、そうなん? ……じゃあ、おっちゃん! もうちょっと水気の少ないやつある~?」
「んじゃ、こっちの“ナナバ”はどうだ? ほら、甘くて栄養もあるぞ」
取り出されたのは、黄色い房状の果実。
って、バナナじゃないか! 名前が逆なだけだし!
「うわ~! なんかカワイイかも~! ヘラクレス、これならイケる?」
『ああ、ナナバなら食べやすそうだ。いけると思う」
「おっけ~! それ、くださーいっ!」
「へい、まいどあり!」
手際よくナナバを買い上げたリリカは、近くの噴水広場へと歩き出す。
「はい、ヘラクレス!」
元気よくナナバを差し出すリリカ。
俺はちょっと戸惑いながらも、ぴょんと跳びついて房の中央にしがみつき、しゃぶりついた。
……うん、優しい甘みとほどよい香り。
果肉はやわらかく、口の奥でとろけるようだ。
『……うまい!』
「うはっ、マジ夢中なんだけど~!」
リリカがケラケラと笑いながら俺を覗き込むけど、そんなのお構いなしに、俺はナナバに集中する。
あれよあれよという間に一本、ぺろりと平らげてしまった。
「ちょ、全部食べちゃったじゃん!? マジでヤバすぎ~!」
『リリカも食べてみなって。けっこういけるぞ』
「ん~じゃあ、いただきまーすっ!」
リリカが皮をむいてかじると、途端に目がキラッと輝いた。
「んんっ!? 何これめっちゃウマっ! ねぇタマっちも食べてみ!」
「はいですぅ……。――ん、あっ……ほわぁ……おいしいですぅ!」
タマコもナナバにかじりつき、ふさふさの尻尾がぴこぴこと揺れだした。
耳もぴくぴくと動いていて、なんだかリズムに乗っているみたいだ。
――とはいえ、ナナバ一本じゃこの二人のお腹は満たされないらしい。
「う~ん、やっぱ甘いものの後ってさ~、しょっぱいの食べたくならない?」
「なるですぅ!」
そうして二人は別の屋台に立ち寄り、香ばしい香りの立ち上る串焼きを購入。
串に刺さった肉と野菜が、ジュウジュウと音を立てている。
「んん~! しょっぱいのも最高~っ!」
「お肉、ぷりぷりでジューシーですぅ!」
勢いよく串にかじりつく二人。
目を輝かせながら、交互に口に運ぶ姿はまるで姉妹のようだった。
……見ていて微笑ましいけど、俺は特に食べたいとは思わない。
肉はちょっと……な。
『あー、匂いはいいんだけどな……』
そんなことを考えていたら、リリカがふと俺の背中を見て声を上げた。
「おっ、ヘラクレスの背中がいつの間にか黒くなってる~!」
「満腹サインですねっ!」
「わっかりやすくてマジかわいいんだけど~!」
俺の背中の変化に、面白がる二人の娘。
俺の背中って、まるで満タンランプだな……。
『……我ながら、便利な体になったもんだ』
果物と串焼きでお腹を満たしたリリカたちが足を運んだのは、二本の木の間に布製のハンモックがかけられた看板が揺れる、のんびりとした雰囲気の宿屋だった。
『ここが、リリカたちの宿?』
「そだよ~! 安いし、ゆったりできてお気に入り~!」
胸を張って笑うリリカの手のひらに乗ったまま、俺も一緒に宿の中へ入っていく。
木材の温もりを感じる内装と、ほんのり甘い石鹸の香り。
カウンターの奥から現れたのは、どっしりとした体格をした恰幅のいい女将さんだった。
「あら、おかえり。今日は早かったね」
「ただいま~、女将さん!」
「ただいま戻りましたですぅ」
元気に手を振るリリカと、丁寧に頭を下げるタマコ。
階段を上がろうとしたとき、女将さんの視線が俺に向けられる。
「あらまぁ……そんな大きな虫を連れて入るの?」
「この子はヘラクレス! リリカたちの新しい仲間なんだよ~! カッコよくない?」
自慢げに俺を突き出すリリカ。
女将さんは肩をすくめて、ちょっとため息まじりに言った。
「……まあ、部屋を汚さなければね。特別に許すわ」
「わ~い! マジ感謝っ!」
これで俺も晴れて宿泊OKということらしい。
リリカの手に運ばれてやって来たのは、二人部屋のシンプルな部屋だった。
白いシーツがかけられたベッドが二台、窓からは夕方の風がそよいでいる。
『……二人、同じ部屋なんだな?』
「そ~だよ! 一部屋の方が安いし、タマっちとも仲良しだしね~!」
リリカの言うとおり、部屋は広めでゆったり。二人が寝泊まりしてもまったく窮屈さはなさそうだ。
そんなことを考えていると、リリカが勢いよくベッドにダイブした。
「ふあ~っ! 二日ぶりのベッドはサイコーだよ~!」
「ほんとですねぇ……」
隣のベッドに腰かけたタマコは、器用に自分の尻尾を手入れしている。
ふわふわの毛並みを撫でる指先が、どこか几帳面な彼女らしい。
……年頃の女の子二人に囲まれて、俺はちょっと落ち着かない。
だが、今の俺は虫。カブトムシ。そういうのは関係ない。たぶん。
やがてリリカの寝息が聞こえてきたかと思えば、タマコもそのまま布団に潜り込んだ。
ふたりの間に置かれた俺も、穏やかな空気に包まれながら、そっと視界を閉ざす。
この世界で迎える、初めての安眠だった。