記憶の断片
ホーストリッチに乗って颯爽と砂の大地を駆ける俺たちは、ふと様子のおかしい通りすがりの馬車を見つけた。
「あれって……!」
「魔物に襲われてるですぅ!」
タマコの声の通り、馬車は銀色に輝く大型犬ほどの蟻の魔物の群れに襲われていた。
「助けてくださーい‼」
「助けなきゃ!」
「ちょっと、リリカさんっ!?」
ピルクの制止も聞かず、リリカはホーストリッチに拍車をかけて馬車に駆け寄る。
「それぇ!」
騎乗したまま弓を引き絞り、矢を放つ。
「キギイイイ!?」
脳天を撃ち抜かれた蟻の一匹が倒れると、残りの群れがこちらを一斉に振り向いた。
『ストームフラップ!』
援護に俺が翅を羽ばたかせ、烈風を起こす。
銀色の蟻たちはまとめて吹き飛ばされ、砂を巻き上げながら退散した。
「大丈夫!?」
「おお、助けてくださったのですね! ありがとうございます!」
感謝の声をあげたのは、頭に布を巻いた若い商人らしき男だった。
荷車には商品がぎっしり積まれている。
「リリカちゃーん!」
「待ってくださいよ~!」
遅れてタマコとピルク、リカーシャも駆けつける。
「全く、一人で突っ走るんじゃない!」
「えへへ~、ごめんごめんっ」
リカーシャに咎められ、リリカは舌を出して謝る。
そんな中、商人はリカーシャに気づくと慌てて片膝をついた。
「これはこれは勇者様! ご活躍のほどは私も耳にしておりますっ」
「顔を上げろ。私は何もしていない」
照れたようにそっぽを向くリカーシャ。
どうもこうした称賛には慣れないらしい。
「ところで勇者様が、こんな砂漠の只中で何を?」
「教会の命を受け、サバ神殿の調査に向かっている」
リカーシャの返答に、商人の顔が一瞬で青ざめた。
「サバ神殿……! 噂をご存知ですか? あそこは最近、封印された古代の悪魔が目覚めたとか……。周辺には凶暴な魔物が増えています。どうかご用心を……」
「貴重な情報、感謝する」
「いえ、勇者様こそご武運を!」
商人は深く一礼すると、慌てるように去っていった。
「……これは予想以上に深刻かもしれんな」
「さっきのロックバードも、その影響だったのかも知れませんね……」
リカーシャとピルクが真剣に顔を寄せ合う。
だが、そんな空気を一変させるように、リリカが明るく笑った。
「でもさ! リカーシャとリリカたちがいれば余裕っしょ!」
「……相変わらずお気楽ですね、あなたは……」
「え~、悪い~?」
また火花を散らす二人に、タマコが間に入る。
「まあまあ! リリカちゃんもリカーシャさんもお強いですし、きっと大丈夫ですぅ! もちろんピルクくんも!」
「……ふ、当然ですっ」
おだてられて、少し照れくさそうなピルク。
……意外とおだてに弱いらしいな。
「ーーともかく、気を引き締めて進むぞ」
「はーい!」
「はいですぅ!」
「了解!」
気持ちを新たに、俺たちは再びホーストリッチに跨って砂漠を駆け出した。
日が傾き始める頃、砂の大地はやがて荒れ果てた岩場に変わる。
「ここで野営にしよう」
「わーい!」
リカーシャの声に、皆も簡易テントを下ろし、荷を解き始める。
さざ波のような夕風が、熱を冷ますように吹き抜けていった。
焚き火を囲むようにみんなが座ると、リカーシャが口を開く。
「サバ神殿に封印されているという悪魔だが、アテナルヴァ様からは……古代の世界を滅亡寸前まで追いやった存在だと聞いている」
「滅亡、寸前……!」
「お、恐ろしいですぅ……」
リカーシャの語った伝承の一端に、リリカとタマコもさすがに顔を青くした。
砂漠の夜風に焚き火が揺れて、どこか厳粛な空気が流れる。
リカーシャに続き、ピルクがやや緊張した面持ちで言葉を継いだ。
「……しかし、初代の勇者が見事封印を成し遂げたと、教会の書には記されています」
「勇者ってすごいですぅ……」
「ね! マジ救世主って感じ!」
「……そんな大層なものじゃないさ、勇者というのも」
少しうつむいたリカーシャの声は、焚き火の音に紛れるほどに小さかった。
「えーっ、でもリカーシャすっごく強いじゃん!」
「確かに力はある……。……だが私は女神様に選ばれただけの器だ。過去の記憶も、自分の意志もない、空っぽな器。それが私だ」
『リカーシャ……』
夜気が冷たいのか、それとも心が寒いのか。言葉が出ない。
リリカは胸元から俺をそっと外すと、近くの荷物の上に置いた。
『……リリカ?』
「ちょっとそこにいてね、ヘラクレス」
それからリリカは、焚き火越しにリカーシャを抱きしめた。
「リリカ……?」
「でもリカーシャはリカーシャじゃん! 何もない器だなんて、そんなわけないし!」
そう語るリリカの目は、焚き火よりもずっと熱く光っていた。
「リリカは好きだよ。勇敢なリカーシャも、仲間思いなリカーシャも……! 全部ひっくるめて、リカーシャなんだよ‼」
「リリカ……ありがとう……。そんなことを言ってくれたのは……お前が初めてだ……うっ、頭が……!」
「リカーシャ?」
突然頭を抱えたリカーシャに、リリカが目を丸くする。
「……すまない。少し、覚えのない光景が……」
「光景?」
「網を持って草原を走る……父と娘だろうか。……そんな光景が、一瞬だけ……浮かんだんだ」
『なにっ?』
リカーシャの声に、胸がひどくざわつく。
「どうした、ヘラクレス?」
『……なあリカーシャ、その話……もう少し聞かせてくれ』
「……大したものじゃない。ただ、黒髪の幼い娘と……父親がいて。……父親は娘を……『リカ』と、呼んでいた気がする」
『……それは……』
それはきっと、前世の俺と娘・梨香の記憶だ。
でも、どうしてリカーシャが……。
問いかけようとして、言葉が喉で止まった。
「ヘラクレス?」
『……いや。なんでもない。俺も……少し、昔のことを思い出しただけだ』
「……そうか」
誰も何も言わなくなった。
焚き火の火が、乾いた砂を小さく照らす。
そうして、夜は静かに更けていった。




