ヌイヌイタウンにて
道なりに歩くことしばし、俺たちは森を抜け、開けた平原の道へと出た。
リリカの胸元にくっついたまま、俺は広がる風景をぼんやりと見つめる。
『は~っ、すごいな……。こんなにだだっ広い平原があるなんてな~』
「ヘラクレスのとこにはなかったの~?」
『ああ。君には想像つかないと思うけど、地面は全部コンクリートで固められてて、空には高層ビルがずらっと並んでたんだ』
「何それ! 意味わかんないけど、チョー都会ってこと!? ヤバすぎじゃん!」
平原をなでるような穏やかな風が、草むらをサワサワと揺らしていく。
遠くでは、羊飼いたちが白い群れをゆっくりと導いていた。
鳥のさえずりも、風の音も、すべてがのどかで優しい。
心が、ふっと軽くなる。
この世界――案外、悪くないかもしれない。
『こういうとこには、どんな虫がいるんだろうな~。トノサマバッタとかいそう』
「えっ、虫のくせに虫に興味あるとか、ガチでウケるんだけど~!」
『なっ……! 当たり前だろ、虫が好きなんだから!』
リリカがクスクス笑いながら、俺の角をつんつんとつついてくる。
くっ、くすぐったい……!
そんな中、リリカの頭上を小さくて鮮やかな蝶がふわりと横切った。
『あっ、シジミチョウか!』
「えっ? ちょうちょ!? どこどこ~?」
『ほら、あそこ』
俺が節くれだった前肢で方向を示すと、リリカはパッチリとした瞳を輝かせた。
「わ~、ちっちゃくて可愛い~! マジでエモいっ!」
「……何してるんですか? そろそろ行きますよ」
やや呆れ顔のタマっちが、後ろからじと目でこちらを見ていた。
そういえば彼女、虫が苦手なんだった。
「あ、ごめ~んタマっち~! すぐ行くから~!」
追いつかれる前に、リリカは軽快に小走りで前進。
俺ももう少し、あの異世界シジミチョウを眺めていたかったなぁ……。
やがて、遠くにどっしりとした石造りの外壁が見えてきた。
『あれが、町の入り口か?』
「そっ! ここがリリカたちのホーム、ヌイヌイタウンでっす!」
ヌイヌイタウン……。相変わらずネーミングセンスが自由すぎる。
リリカたちは、門の左右に立っていた鎧姿の門番に小さなカードを提示した。
『今の、なんのカード?』
「ギルド会員証だよ~! 身分証明みたいなもん? ギルメンはこれで街に入れちゃうの!」
『へえ……異世界にもそんなシステムがあるんだな』
重厚な門をくぐると、先ほどまでの自然風景から一転。
色とりどりの布をかぶせた露店が並び、人々の話し声が四方から飛び交う賑やかな通りへと入った。
パンを焼く香ばしい匂い、果物を売る声、鍛冶屋が金属を打つ音。
通りを歩く人々の中には、タマっちのように獣の耳や尻尾を持つ者もいれば、角の生えた人間離れした姿の者もいる。
『これが……異世界の町か』
「ヤバいでしょ~? めっちゃエモいし、テンション上がるっしょ?」
『ああ。うん……正直、すごくいい場所だと思うよ』
どこか懐かしさを感じる風景の中で、俺は小さく、心の中で息を吐いた。
これからどんな出会いがあるのか――少しだけ、楽しみになってきた。
にぎやかな町並みをリリカの胸元から眺めながらしばらく進むと、俺たちは一際立派な建物の前にたどり着いた。
『ここは……?』
その正面には、盾を両脇からライオンのような獣が支える荘厳な紋章が掲げられており、まるで城のような風格を醸し出していた。
「冒険者ギルド《レオ・ガルド》! リリカたちの所属ギルドだよ~!」
「依頼も完了してますし、早く報告しましょ~です!」
「レッツらゴー!」
リリカが分厚い扉を押し開けると、中は木造と石造りが調和した空間で、前世でいう“ハローワーク”のような雰囲気が広がっていた。
仕切りのあるカウンターに歩み寄ると、メイド風の制服を着た受付嬢がすぐに顔を上げて迎えてくれる。
「お待ちしていました、リリカ様、タマコ様」
「エミリーさ~ん、ゴブリンの魔石、ちゃーんと取ってきたよん!」
笑顔を返す受付嬢に、二人も自然と表情をほころばせる。
――そういえば、タマっちの本名は“タマコ”だったか。
これからは気をつけて呼ぼう。
差し出された魔石を、エミリーさんは虫眼鏡で丁寧に鑑定していく。
「はい、すべてゴブリンの魔石で間違いありません。依頼達成となります。お疲れさまでした」
「ありがと~! サンキュー、エミリーさんっ!」
報酬の入った布袋を受け取ったリリカは、満面の笑みを浮かべる。
『こうやって君たちはお金を稼いでるんだな』
「そゆことそゆこと~! これからはヘラクレスも一緒にがんばろねっ!」
『あ、ああ……』
役に立てるかな……?
と、俺が心配している間に、彼女たちはギルドを後にしようとする――が。
「おやおや、これはこれはリリカ嬢。今日も依頼をこなされたご様子で?」
唐突に現れたのは、やけに気障な口調の貴族風の青年だった。
光沢のある上等な服に、整えすぎた金髪。顔立ちは整っているが、香水の匂いがこれでもかと漂ってくる。
「そ、そうだねっ。あはは……」
リリカは一応愛想を見せるが、口元は完全に引きつっていた。
「女性二人ではさぞ心細いでしょう。ぜひ、私・セドリックを仲間に加えていただきたく!」
「また~? もう五回目っしょ、それ。毎回お断りしてるじゃん」
――こいつが噂の“迷惑セドリック”か。懲りずに何度も勧誘してるらしい。
セドリックは得意げに自分の胸を張りながら続ける。
「悪いようには致しませんよ。私と組めば、快適な生活は保証いたしましょうとも!」
言葉は立派だが、目の奥にあるギラついた視線がすべてを台無しにしていた。
リリカもタマコも、明らかにドン引きしている。
「だから~、リリカたち、そういうの全ッ然興味ないって、何回言わせんの?」
「そ、そうですっ。私たちは今のままで充分ですぅ!」
二人がはっきりと断っても、セドリックはしつこく食い下がってくる。
「そこをなんとか! どうか私、セドリックと――」
『……もう限界だ』
俺はリリカの胸元から飛び出し、セドリックのバタくさい顔面にダイブ!
「わっ、なっ……何だこいつ!?」
あわてて引き剥がそうとするも、俺は爪をしっかり食い込ませてしがみつく。
「痛っ! 痛い痛いいいいいっ!」
「ヘラクレス!? ダメだってば!」
リリカが慌てて俺の角をつかむ。
「やめとこ? セドリックさんって貴族だから、下手したらマズいってば!」
『なっ……貴族!?』
思わず力が抜け、俺は素直にリリカに回収される。
マズい、目上の人間にガチでやらかしたかもしれん……!
「てめえぇぇ! 俺を誰だと思ってんだ!!」
怒り心頭のセドリックが、腰の剣に手をかけた――そのとき。
「――やめなさい、セドリック。貴族だからってギルド内で暴れたら、みっともないでしょ」
その場の空気が凍る。
スリットの深く入った黒衣をまとった、妖艶な女性が割り込んできた。
「うげっ……ソフィーラさん……!?」
名前を聞いた瞬間、セドリックの顔から血の気が引いた。
「ギルド内での戦闘行為は禁止されてる。次やったら、追放だから」
「ひ、ひぇっ……申し訳ありませんでした~~っ!!」
尻尾を巻いて退散していくセドリック。
「マジありがと、ソフィーラさんっ! ガチで助かったってば~!」
「ほんとに感謝ですぅ……!」
「いいのよ。私はギルドの風紀を守るだけだから」
艶やかに紫の髪をかきあげながら微笑む彼女は、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。
よく見ると――白い肌、紅い唇、そして頭にはカモシカのような角。
まるで、悪魔の化身のような風貌だ。
「この人はソフィーラさん。リリカたちの先輩で、魔人族なんだよ~!」
リリカの小声の解説に、俺は内心うなずく。
魔人族……なるほど、この世界はまだまだ知らない種族がいそうだな。
「それにしても、その虫さん……なかなか勇敢だったわね?」
「アハハ……こっちは冷や汗モンだったけどさ~。あ、この子、ヘラクレスって名前! リリカたちの新しいガチ友だから!」
手のひらに乗せられた俺は、角をちょこんと上げてご挨拶。
『ど、どうも……』
「ふふっ。賢そうな虫さんじゃない。リリカちゃんたちのこと、ちゃんと守ってあげてね?」
ソフィーラさんの微笑みに、思わず見惚れてしまう。
……スタイルも、顔も、まさに一級品だ。
「ふ~ん、へぇ~……ヘラクレスって、そーゆーのが好みなんだぁ?」
うげっ。隣でリリカが、じとーっとした視線を向けてきている!
『ち、違うぞ!? 俺はただ、助けてくれた恩人をちゃんと見据えていただけであって……!』
「はいはい~、言い訳乙~」
……当分、リリカの疑念は解けそうにない。