高級レストラン
ニコラス様の指令に、リカーシャとピルクは敬意を込めて片膝をつく。
「承知いたしました。勇者リカーシャ、しばらく彼らと行動を共にいたします」
「わ、分かりました……」
ピルクの視線はちらちらとリリカをかすめ、そのたびに微妙に顔が引きつっているが……まあ、気持ちは分かる。
「我からは以上だ。皆の者、ご苦労であった」
ニコラスの締めの言葉を、ひらりと手を上げて遮ったのは、やはりリリカだった。
「ちょい待ち~! リリカたち、報酬もらってないんだけどー!?」
「ちょっとリリカちゃん! 神官様にそんな……ですぅ~!」
タマコが肘で突っついて制止しようとするが、リリカは全く動じない。
「だってさー、これじゃリリカたちタダ働きじゃん? 冒険者としてそれってナシでしょ~?」
彼女らしいちゃらけた言い分に、ピルクがまじめな顔で言い添える。
「金銭の心配は不要ですよ。ボクたち勇者と同行するなら、教会からの支援対象になります」
「マジ!? ならいーじゃん! リリカの勝ち~!」
現金なリリカはすぐさまご機嫌になるのだった。
任務を終えた俺たちは、リカーシャの案内でとあるレストランにやってきた。
「ここが勇者様ご用達の……って、すごっ」
リリカがぽかんと見上げた先には、金装飾が細やかに施された威風堂々たる外観。
「ここ、味も量も超一級ですよ。そしてもちろん教会権限で全額免除」
「リカーシャ様々じゃん!」
『確かに、これはありがたいな』
「でしょでしょ~!」
「いや、うむ……感謝こそすれ、気は引けるが……」
浮かない顔のリカーシャに、ピルクが力強く言う。
「リカーシャさんは世界を守る勇者です。これくらい、当然の扱いです!」
「そうか……そうだな。そう思うことにするよ」
その横で、リリカがにっこり笑ってリカーシャの肩に腕を回す。
「気にしすぎだってばー! はい、入店~!」
店の扉をくぐった途端、リリカが目を丸くして声を上げる。
「は~、なんかめっちゃ高級じゃん!」
大理石の床には赤い絨毯がまっすぐに伸び、天井には無数のシャンデリアが宝石のように輝いている。
壁には金の額縁に入った風景画がいくつも飾られ、漂う香りすら品があった。
「ここ、まるで王宮の晩餐会みたいですぅ……」
タマコも思わずため息を漏らす。
その視線の先には、スーツをビシッと着込んだ紳士と、宝石をちりばめたドレスをまとった貴婦人たち。
明らかに、普段から冒険で泥まみれになる俺たちとは住む世界が違う。
『本当に……俺たちが入ってきて大丈夫だったのか?』
リリカとタマコが嬉々として席に向かう一方、俺は少し気後れしつつリカーシャに尋ねる。
「気にすることはない……はずだ。私は以前から通っている。ここは、身分ではなく中身を見てくれる店だからな」
リカーシャは淡々と答えるが、その表情には僅かな緊張の色が滲んでいた。
「リカーシャがそう言うなら……」
そう言いつつも、俺の背後には周囲の客たちからの冷たい視線が刺さっていた。
特にリリカのはしゃぎっぷりが目立っている。
「何これ! 椅子ふっかふかじゃん! 天井高すぎじゃない!? なんか王子様とかいそう~!」
「リリカちゃん、ちょっと落ち着いて……ですぅ~」
タマコが焦りながらも小声で注意するが、リリカはくるくると椅子を回してはしゃいでいた。
「やばっ、ナイフとフォークがめっちゃ多い! これって順番に使うやつ!?」
「……リリカさん、ここはおとぎ話の舞踏会ではありませんよ」
ピルクが顔をしかめるも、リリカは「へーいへーい」と軽くいなす。
そんなやり取りに、店内の空気がピリついているのが肌で分かる。
『あんまり騒ぐと、他のお客さんの迷惑になるぞ』
「分かったってば~。……ってかさ、こういうとこ来るとリリカが一番庶民だって実感するよね~」
口を尖らせるリリカに、ピルクはため息をついた。
「……実感どころじゃないですよ」
とはいえ、彼女たちの無邪気さに、ふと何人かの客が笑みを浮かべるのが見えた。
この店は、思ったより懐が深いのかもしれない。
料理が運ばれてくるまでの間、ふと静けさが訪れたテーブルで、リカーシャが口を開いた。
「リリカ」
「なに~? もうステーキ来た?」
「いや、そうではない。……リリカは、なぜ冒険者になったんだ?」
問いかけられたリリカは、一瞬きょとんとした顔を見せたあと、テーブルに肘をついて笑う。
「ん~、やっぱパパかな~」
「父親?」
「うん。リリカのパパってね、五年前に旅に出たまま、帰ってきてなくってさ」
その言葉に、リカーシャの表情がわずかに揺れる。
「ママはもういないし……パパまでいなくなっちゃったら、リリカ、ひとりぼっちじゃん?」
リリカは明るく笑っていたが、その笑顔の奥にほんの少しだけ、影が差していた。
「だからさ、リリカも強くなって、迎えにいくって決めたんだ~! ……ま、帰ってきたらガツンと怒ってやるけどね!」
『……リリカ』
俺が言葉を探していると、リカーシャがぽつりと漏らす。
「父を追って旅に出る、か……。そういうのも、いいものだな」
そう呟くリカーシャのまなざしは、どこか遠い記憶を見つめるようだった。
そのまま沈黙が落ちそうになった空気を破ったのは、タマコだった。
「わたしはですぅ、東方の島国“ヤマタイ”から、巫女修行に来たですぅ!」
手をぴょこんと上げて自己紹介する姿に、場が少し和らぐ。
「最初はとっても心細かったんですけど、リリカちゃんと出会ってからは毎日楽しいですぅ~!」
「へへ~、タマっちとは今じゃ親友ってカンジ!」
「えへへ……そう、なのですぅ!」
笑い合うふたりを見て、リカーシャも自然と頬を緩めた。
「仲間というのは、良いものだな。……私も、もっと心を開くべきなのかもしれないな」
そう言ったリカーシャの言葉に、ピルクが食い気味で反応する。
「開くべき、なんて言わなくても、僕はリカーシャさんのことをちゃんと信頼していますよ!」
「ピルク……」
照れくさそうにうつむくピルクと、それを見つめて微笑むリカーシャ。
ほんの一瞬、空気がやわらかくなる。
そして。
「ーーそれでさ、リカーシャはどうして“勇者”やってんの?」
リリカの無邪気な問いかけに、テーブルの空気がぴたりと止まった。
リカーシャはフォークを置き、わずかに視線を落とす。
「……正直に言えば、よく覚えていないんだ」
「え?」
「私には過去の記憶がない。目覚めたときにはすでに、“勇者としての使命”だけが与えられていた」
『記憶喪失……だったのか?』
「ああ。断片的な夢を見ることはあるのだが、どこまでが現実でどこまでが幻想か、自分でも分からない。……けれど、あなたといると、少しだけ思い出しそうになることがある」
そう言って、リカーシャのまなざしが俺に向けられる。
そこには、寂しさと、微かな希望が宿っていた。




