神の紋様と神官ニコラス
一息ついた途端、背中の熱がすぅ……と引いていくのを感じた。
『なあリカーシャ、これって……』
「あなたもか。私の紋様も光が落ち着いた。どうやらこの討伐、神々に見られていたらしい」
『神々に、見られてた……?』
思いもよらぬ言葉に、俺は思わず目を白黒させた。
「……あの魔物、女神様の試練だったのかもしれない。ただ強いだけじゃなく、連携や判断力を問うような戦い方だった。そんな気がする」
なるほど、そういう理屈か。
確かに、知恵と連携が勝敗を分けた戦いだった。
そんなリカーシャに、突然後ろから抱きついてきたのはリリカだった。
「リカーシャ~! さっきのめっちゃすごかったよ~! ちょーヤバなんだけど~!」
「そ、そうか……。って、ちょっ、そんなにくっつくなっ」
「え~? いいじゃ~ん、ちょっとくらいサービスしてくれたって~」
頬をすりすりと押しつけてくるリリカに、リカーシャは顔を真っ赤にしながら困惑していた。
「とにかくっ! 目的は果たしたんですから、さっさと戻って神官様に報告しないと!」
「……そうだな。ピルク、行くぞ」
リリカを引き剥がしたリカーシャに続き、俺たちはネメオスの谷をあとにした。
✳
その頃——真っ白な神域に広がる、空虚で静謐な空間。
その中心に、下界の様子を映すモニターのような光景が広がっていた。
その前に立つのは二柱の女神。
ひとりは、翡翠色の長髪を風にたなびかせ、柔らかなギリシャ風のローブを纏った命の女神・ガイヤ。
もう一柱は、金の三つ編みを後ろで結い上げ、洗練された黄金の軽鎧に身を包む戦と知恵の女神・アテナルヴァ。
「どうやら、あなたの試練も無事に乗り越えたようですね、アテナルヴァ」
「そのようだな。あの子なら、この程度の難関、容易いことだったろう。……しかし、本当に良かったのか? 貴女の“英雄”まで巻き込んでしまって」
「ええ。彼にも、必要な試練だったと思いますから」
穏やかな笑みを浮かべてそう告げるガイヤに、アテナルヴァは肩をすくめてため息をひとつ。
「まったく……貴女はいつも手際がいい。もはや“知恵の神”の座は貴女に譲ったほうがいいのでは?」
「ふふっ、またまた。そういうことは、戦場で後れを取ってから仰ってくださいな」
アテナルヴァの軽口に、ガイヤは口元に手を添えて、優雅に笑った。
こうして、二柱の女神に見初められた英雄と勇者。
彼らの行く末は、果たして祝福か、それとも更なる試練か——。
✳
ホーリーシティーに戻った俺たちは、リカーシャに教会へ顔を出すよう伝えられた。
協力してくれた礼として、一度は神官と顔を合わせたいとのことだ。
「神官って、どんな人なんだろ~?」
「ヌイヌイタウンの牧師様とは違うですぅ?」
神官に興味津々のリリカとタマコに、ピルクが指を立てて説明する。
「神官ニコラス様は、ホーリーシティーのみならず、オリンス王国の教会全体の最高位に立つお方です。その高名さ、右に出る者はいません」
「へ~、なんかすごそうじゃ~ん。マジでヤバっ!」
「これは巫女見習いとして、ちゃんと挨拶しないとですぅ」
それぞれの反応を見せるリリカとタマコに、俺は小さく目を細める。
――って、この国、オリンス王国って言うんだな。今さら知ったぞ。
ホーリーシティー特有の神聖な空気をまとった雑踏を抜けて、俺たちは一際目を引く建物の前に立った。
巨大な十字架型のモニュメントが天を突くようにそびえる、大聖堂だった。
「うっわー、これが教会……デッカ!」
「さすがホーリーシティーの教会ですぅ……!」
ぽかんと口を開けて見上げるリリカとタマコをよそに、リカーシャとピルクは迷いなく中へ入っていく。
中へ入ると、白い壁に彩り豊かなステンドグラスが映え、まさに荘厳のひとことだった。
「中も外もすごすぎじゃん! ヤバ~っ!」
「“ヤバい”なんて軽々しい言葉で済ませないでくださいっ、リリカさん!」
「え~、ピルクってばガチ堅物~!」
リリカのギャルテンションに、ピルクがしかめ面を見せる。
……やっぱりこの二人、性格的に相容れない気がする。
やがて俺たちは、とある重厚な扉の前で足を止めた。
「ニコラス様。勇者リカーシャ、ただいま戻りました。協力者も同伴しています」
「入れ」
中から響いた声は、重々しくも威厳に満ちていた。
応接間のようなその部屋で待っていたのは、豊かな白ひげをたくわえた壮年の男だった。
「勇者リカーシャよ、任務は果たされたか?」
「はい、無事に討伐を完了いたしました。ーーそして、こちらが今回協力してくれたヘラクレス一行です」
紹介に合わせて、俺も角をピンと立てて挨拶する。
「リリカでーす!」
「た、タマコですぅ!」
軽々しく横ピースを決めるリリカと、ペコペコと緊張した様子のタマコ。
「リリカさん! その態度はさすがに不敬では!?」
「え~、いいじゃ~ん、そんなに堅くならなくってさ~!」
ピルクにたしなめられても、リリカはへらっと笑って受け流す。
そんな様子に、ニコラス様はふっと目を細め、笑った。
「ふむ。まあ良い。そなたらも席に着くがいい」
「はーい!」
「失礼しますですぅ」
席に着いた俺たちに、ニコラス様は手を組んで問いかける。
「リカーシャよ。そちらの者が、貴様と同じく神に見初められたという“存在”か?」
「はい。こちらのヘラクレスがそうです」
リカーシャに角をつままれ、机に乗せられた俺に、ニコラス様の視線が注がれる。
「ほう……この虫が……。この背の紋様……なるほど、確かにガイヤ様の御印のようだな」
……じろじろ見られるのは、やっぱり落ち着かない。
その後、リカーシャがこれまでの経緯を説明すると、ニコラス様の表情はさらに深くなった。
「ふむ……にわかには信じがたいが、勇者リカーシャの言葉に嘘はあるまい。……確かに、このヘラクレス殿こそが、ガイヤ様に見初められし者なのだな」
「はい。少なくともあの戦いでは、ある一点では私以上の力を見せてくれました」
『いやいや、そんなことはないぞ、リカーシャ。君も本当に強かった』
慌ててフォローを入れる俺に、リカーシャはふっと笑みをこぼす。
「……ありがとう、ヘラクレス。あなたにそう言われると……不思議と懐かしい気持ちになる」
懐かしい、か。
……やっぱりリカーシャとは、なにか因縁があるのかもしれない。
そんな俺の思案をよそに、ニコラス様が重々しく告げる。
「それではリカーシャよ、しばらくはヘラクレス殿と行動を共にするがよい。そうすれば……何かが見えてくるかもしれぬ」




