ネメオスの谷
「それで……その、ヘラクレスはいいだろうか?」
目を伏せるリカーシャ。その頬はわずかに赤らんでいる。
その申し出に、俺が断る理由なんてなかった。
『もちろんお安いご用だ。俺たちでよければ、力になるよ。な、リリカ?』
「もち! リリカもリカーシャともっと仲良くなりたいしっ!」
俺たちの返答に、リカーシャの眉がやわらかく緩んだ。
「……そうか。ありがとう。助かる」
「それじゃあ、改めてよろしくね、リカーシャ!」
「あ、ああ」
リリカが差し出した手を、リカーシャが少し戸惑いながらも、そっと取った。
一方で、その隣にいる少年ピルクは唇を尖らせている。
「……魔物退治なら、ボクとリカーシャさんだけで十分だったのに」
その呟きに、リリカが眉を吊り上げる。
「何それ! あたしたちのこと信用してないわけ~?」
「そ、そんなつもりじゃ……」
「まあまあ、仲良くするですぅ~」
タマコが両者の間に割って入って、なんとか場を和ませる。
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俺たちはリカーシャたちを加えて、一行で馬車を借り、目的地へと出発することになった。
『聖地って言ってたけど、具体的にはどんな場所なんだ?』
「ネメオスの谷。神聖な薬草が群生する霊域で、古くから守られてきた場所だ」
「その薬草は薬師たちの命綱でもあり、地元民の大切な収入源でもあるのですよ」
『そんな神聖な場所で、魔物が出るっていうのか』
リカーシャは、険しい表情でうなずく。
「目撃者の話によれば、黄金のように輝く甲殻を持つ昆虫型の魔物だと」
その言葉に、俺はつい複眼をひそめる。
巨大リオックに土蜘蛛アンテオス、そして今回の“黄金虫”――。嫌な予感がする。
「まさか、あなたの仲間ではないでしょうね?」
横から飛んできたピルクの疑念の言葉に、思わず俺は絶句した。
『なっ、仲間なわけないだろっ!』
「それ、言いがかりでしょっ!? ヘラクレスはあんな変なのと一緒じゃないし!」
リリカが俺を掬い上げ、ピルクに詰め寄る。
「……本当ですかぁ?」
「ピルクくん、ちょっと感じ悪いですよぉ?」
タマコの一言に、ピルクは小さく「すみません」と頭を下げた。
そうして馬車は霧の中へと差しかかり、ついに谷が視界に現れた。
「……着いたな」
濃霧に包まれた谷は、まるで別世界のようだった。
視界は白く滲み、耳に届くのは風の音と、どこか遠くで虫が羽音を鳴らすような不気味な響き。
古代植物のような巨大な葉、光を宿したような花々――。
『ここが、ネメオスの谷……』
「馬車はここまでだ。あとは歩きだ」
「それにしても……この霧、ただの自然現象じゃないですぅ」
「この空気……神聖な魔力が満ちてる」
タマコとピルクが感覚を共有するように呟いた。
神聖でありながら、どこか不穏でもある空気。
リリカは周囲を見回しながら顔をしかめていた。
『どうかした、リリカ?』
「……周りの草たちが、“近づくな”って、ずっと警告してくるの」
『……やはり、魔物が潜んでいるのか』
リリカの手に俺はそっと角を添え、励ますように声をかけた。
『心配するな。俺たちは絶対に、負けたりしないさ』
「……うん、ありがと、ヘラクレス」
リリカはパチンと自分の頬を叩いて、にっと笑った。
「よーし! リリカ、元気チャージしたよっ!」
谷を進むうちに、霧が急に渦を巻き始めた。
「何か来ます……!」
「それリリカも分かるっ! 草がザワザワしてる!」
皆が武器を手に構えた。
霧の向こうに現れたのは、十数体のゴブリン、そしてそれを率いる異様な気配を放つ人型魔物――!
「ゴブリンだ!」
「ホブゴブリンも混じってます!」
ピルクの声とともに、霧の中から現れたのは十数体のゴブリン。
中には一際大きな個体――ホブゴブリンの姿もある。
『上位種か……だが相手にはならん』
「皆さんに加護をかけます! ホーリー・ブレッシング!」
ピルクが杖を掲げると、柔らかな金光が俺たちを包んだ。
「うわ、なんか力が湧いてきた~!」
「これはありがたいですぅ!」
力が満ちていく感覚を確認しつつ、俺はリリカの胸元から跳び降り、角を掲げて叫んだ。
『行くぞ、みんな!』
「了解! さくっと片づけちゃおう!」
リリカが弓を素早く引き絞り、矢を連続で放つ。放たれた矢が次々とゴブリンの額を撃ち抜いた。
「グギャッ!?」
「キシャア!」
崩れ落ちる数体のゴブリン。
「さすがリリカ、いい腕だな」
「えへへー、リリカの前では雑魚モンスターだし?」
「加護が効いてるでしょ? ボクの力、すごいんです!」
ピルクが胸を張ると、リリカも笑ってギャルピースで応えた。
――が、その隙をついて、残りのゴブリンが突っ込んでくる!
『リリカ、下がれ! ストームフラップ‼』
俺が翅を猛然と羽ばたかせると、竜巻のような風がゴブリンたちをまとめて吹き飛ばした。
「うわっ、ごめーん! 気を抜いてた!」
『まったく……油断するな!』
舌を出すリリカを横目に、今度はタマコが前に出る。
「大地の怒りを、喰らうですぅ!」
杖を振り下ろすと、地面が裂けて岩の槍が突き上がり、数体のゴブリンを串刺しにする。
「私もいくぞ! セイクリッド・スラッシュ!」
白銀の剣が閃き、リカーシャがホブゴブリンに斬りかかる。一閃――光が走り、その巨体が断末魔を上げて崩れた。
「ヌジャアアアアア‼」
「やっぱリカーシャ、すっごーい!」
「当然です! リカーシャさんは勇者ですからね!」
リリカのはしゃぎ声に、ピルクも得意げに頷いた。
こうして俺たちは、ピルクの加護と全員の連携で、ゴブリンの集団を一掃したのだった。




