攻略の宴
そんなわけで、洞穴の探索を続けたソフィーラさんたちは――アンテオスの残した巨大な魔石に加えて、一面に張り巡らされていた強靭な糸を、戦利品として持ち帰ることにした。
もちろん、ベッタリと岩肌に張りついた糸の採取には、巨大化した俺の怪力が大いに役立った。
そして戦利品の回収を終えた頃、俺たちの目の前に、淡く輝く魔法陣が現れる。
「ソフィーラさん、あれって……?」
「あれは帰還用の転移魔法陣よ。ダンジョンを完全に攻略した時だけ出現するの。あれに乗れば、瞬時に地上へ戻れるわ」
「すっごーい! ダンジョンって便利ですぅ!」
俺は巨大な魔石を角で挟み込み、みんなでその魔法陣の中央に立つ。
次の瞬間――視界が真っ白に染まり、風のような感覚が駆け抜けた。
気づけばそこは、最初に潜ったダンジョンの入り口だった。
「おおっ、帰ってきたぞ!」
「ソフィーラさんたちが無事に戻ったーっ!」
俺たちを出迎えたのは、ダンジョンの外で待っていた冒険者たちだった。
「……みんな、ここで待っていてくれたのね。ありがとう」
ソフィーラさんが目を細めてそう言うと、冒険者の一人が誇らしげに親指を立てた。
「当然だろ! 仲間を置いて帰るなんて、俺たちの流儀じゃねえからな!」
義理堅い連中だ――どうやらこのダンジョン遠征に集まった冒険者たちは、腕だけじゃなく心も確かなようだ。
だが、そんな温かな再会の空気の中で、ひとりが目を剥いて叫んだ。
「っつーか、なあアレ……あのデカい虫みたいな化け物は一体!?」
リリカが笑顔で答える。
「この子がヘラクレスだよ! ダンジョンボスを倒してくれた、リリカたちの大英雄!」
「……マジかよ!?」
「けどあのデカブツ、見ろよ! あの魔石、デカすぎだろ!?」
「本当にやりやがったのか……!」
俺の姿に驚きながらも、冒険者たちはしだいに称賛の目を向けてくる。
――俺のことを「ただの虫」なんて誰も言わない。
そんな高揚の中だった。
まるで風船が萎むように、俺の体からスゥ……っと力が抜けていく感覚が走った。
『……あっ』
視界がぐんと低くなり、足元の地面が近づく。 ――俺は、元の小さな姿に戻っていた。
「ヘラクレスさんが縮んじゃったですぅ!?」
「やっぱり不思議な子ね……ふふっ」
あはは……どうやら、あの巨大化には時間制限があるらしい。
今はもう、力が湧かない――。
そう思っていると、リリカがそっと俺の角をつまみあげて、胸元にぽすんと乗せてくれた。
「お疲れさま、ヘラクレス」
『……ああ』
柔らかな胸のぬくもりに包まれながら、俺はようやく力を抜いた。
仲間に守られるって、こんなにあったかいものだったんだな。
そして――後から知ったことだが、俺の背中に浮かんでいたアルティアナ様の加護の紋様も、このときふっと消えてしまっていたらしい。
ありがとう、アルティアナ様。
……そして、また必要な時に、力を貸してください。
――目を覚ますと、俺はいつの間にか木の机の上に寝かされていた。
ツンと鼻にくる酒の香り、にぎやかに笑いさざめく声の波。
ここは……酒場か?
角を上げてあたりを見渡すと、ちょうど目が合ったリリカが笑顔を向けてきた。
「あ、ヘラクレス。起きたっぽいねっ!」
『ああ、今起きた。……それで、ここは?』
「ん~、みんなで来たの! ダンジョン攻略の打ち上げってやつ!」
なるほど、確かにそれにふさわしい賑やかさだ。
「みなさ~ん! ヘラクレスさんが目を覚ましたですぅ~‼」
タマコの声が店内に響くと、冒険者たちがどっと俺の周りに集まってくる。
「よくぞ戻ってきたわね、英雄!」
「最大の功労者を讃えなきゃ始まらないさ!」
ソフィーラさんとルクスの言葉に、みんながわっと湧く。
その勢いのまま、俺は冒険者たちの掌の上に乗せられ、次々と高く掲げられていく。
いわば虫サイズの胴上げだ。
「それじゃあみんな、ダンジョン攻略に――乾杯!」
ソフィーラさんの掛け声に、酒場中のジョッキが高らかに掲げられた。
『かんぱーい!』
がしゃんと木のジョッキがぶつかり合い、場の盛り上がりは最高潮に達する。
「ぷはーっ! やっぱり一仕事終えた後のリンゴ酒は最高ね~!」
豪快にジョッキを空けるソフィーラさんの隣で、タマコもブドウジュースをちびちびと口にする。
「わたしたち、ホントにがんばったですぅ!」
……その言葉に、リリカの笑顔がふと翳った。
「がんばった……ね」
『どうした? リリカ』
「えっ、ううん、なんでもないっ。……ほら、ヘラクレスもジュース飲む?」
差し出されたジョッキには、紫色の果汁が並々と注がれていて、芳醇な香りが漂っている。
『それじゃあ、ありがたくいただこう』
木のふちにしがみついてブドウジュースに口をつけると、甘くて濃厚な味が口いっぱいに広がった。
『うまいじゃないか』
「でしょ~? リリカはお酒よりこういうのの方が好きなんだっ」
そう言って無理に笑ってみせるリリカ。
その表情には、どこか――わずかな影が差していた。
その様子に、タマコがちょこんと首をかしげる。
「リリカちゃんは、どうしたですか?」
「ううん、ホントになんでもないよっ。……ねえ、ルクっちが呼んでるし、ヘラクレスも行ってきな~」
その時、向こうの席でほろ酔いのルクスが手を振っていた。
「おーい、ヘラクレス! 一緒に飲もうじゃないか!」
酔いの回った顔で、俺にジョッキを差し出してくる。
ふむ、それじゃあ――
俺は翅を広げてルクスのところへ跳んでいき、彼の差し出したリンゴ酒に口をつける。
ツンとした刺激の奥に、果汁と甘みがしっかりあって……なるほど、これが「味わい」ってやつか。
「へっへ~ん、うまいだろ~?」
たしかに、これは悪くないな。
さしずめ背中の鞘翅も、これで漆黒に染まっていくのだろう。
笑い声と酒の匂いに満ちた酒場の夜。
場はどんどん盛り上がっていく。
けれどその隅で、リリカはジョッキを抱えたまま、空になったグラスを見つめていた。
その指先が、ほんの少しだけ震えていたことに、俺はまだ気づいていなかった――。




