ダンジョンボスの巣穴
ソフィーラさんを先頭に、魔物との戦闘を挟みつつ、俺たちは地面に張り巡らされた糸をたどりながら進んでいた。
しばらくして、ひときわ不自然な地形にたどり着く。
そこだけぽっかりと円形に、糸が見事に途切れている。
周囲から放射状に伸びる糸が、まるで一点に集まるように収束していた。
これは――まるでトタテグモの巣だ。
獲物が糸に触れた気配を察知し、地面の蓋を開いて飛び出してくる。
その捕食スタイルは俺の前世の知識でも鮮烈なものだったが……ここまで巨大な巣は見たことがない。
『リリカ、ソフィーラさんに伝えてくれ。ここがダンジョンボスの入り口かもしれない』
「りょーかいっ!」
リリカがひょいっと敬礼ポーズをしながらソフィーラさんのもとへ駆ける。
「――なるほど、確かに。ここだけ糸が途切れてる上、集中して集まっている……この下にいる可能性は高いわね」
「よっしゃ~、ダンジョンボスのとこ行くしかないっしょー!」
リリカが意気込み、パーティー全員の視線が一点に集中する。
「よし、こいつを開けるぞ――うおおおらあああ‼」
レッドが腕まくりをして力任せに地面の蓋をこじ開けると、音を立てて土が崩れ、ぽっかりと闇に続く穴が口を開けた。
その中には、緩やかだが真っ暗な傾斜が続いていた。
「行くわよ。気を引き締めて」
ソフィーラさんが松明を灯し、静かにその口に足を踏み入れる。俺たちもそれに続いた。
――とにかく、足元が最悪だった。
「うえ~、足がネチャネチャする~っ! 最悪っ!」
「歩きづらいですぅ……ぺとぺとしますぅ……」
二人の文句が飛び出すが、ソフィーラさんはピシャリとたしなめる。
「これでもマシなの。こういう場所ってコウモリの糞が山ほど積もってるのもあるから。それに比べたら糸ぐらいどうってことないでしょ?」
「うへぇ、それはそれで無理~っ」
「なるほど……想像しただけでツライですぅ」
くだらないやり取りに見えて、こういう日常の会話が緊張を和らげてくれる。
だが、その油断の隙を見逃すほどダンジョンは甘くなかった。
『リリカ、来るぞ!』
「えっ、マジ!?」
俺の視界に映った反応は複数、そして速い。
すぐさま、壁という壁を這うようにして、巨大な蜘蛛の群れが這い寄ってくる!
「ちょっとぉ!? 本当に来てるし~!?」
「迎撃する! ――ソードスプラッシュ!」
ルクスが剣を振り抜くと、水の刃が風のように走り、前方の蜘蛛たちをまとめて切り裂いた。
「クシャアアッ!?」
「うおおおおお‼」
「ダブルエッジ、ニャア!」
レッドの一撃が前方を粉砕し、マオの双剣が舞うように蜘蛛の急所を的確にえぐる。
「リリカたちも負けてらんないし!」
「いきますぅ! ――唐草結びっ!」
タマコの術式が足元の蔓を伸ばし、絡まった蜘蛛を動けなくする。
「んじゃあ撃つだけーっ!」
リリカの矢が次々に放たれ、束になった蜘蛛たちを寸分違わず射抜いていく。
蜘蛛たちは叫ぶ間もなく魔石へと姿を変えて砕け散った。
「はーっ、終わったぁ……」
「やったですぅ!」
「素晴らしいわ、みんな。私の出る幕もなかったわね」
ソフィーラさんがやや驚いたように言うと、リリカたちは得意げに笑った。
「へっへーん、リリカたち、成長してるっしょ?」
「ちょー成長してるですぅ!」
「僕にかかればこんなもんだよ」
「まだまだ戦える」
「ウチら最強パだニャア!」
仲間たちの頼もしさに、自然と俺の中にも誇らしさが広がっていた。
……でも、俺の出番がなかったのは、少し寂しいような気もする。
「気にしない気にしない! ヘラクレスがいてくれるだけで、リリカは超安心なんだから!」
ニコッと笑うリリカの言葉が、そんな心を吹き飛ばす。
『ありがとう、リリカ。君がそう言ってくれるなら、それが何よりだ』
「だって仲間だもんね、ヘラクレス!」
――仲間。
その言葉が今の俺には、どんな武勲や称号よりも嬉しかった。
その時だった――。
周囲の壁に絡みつく糸が、不意に淡く青白い光を帯び始めたかと思うと、俺の脳裏に――声が響いた。
――パパ。
……え? いま、何の声だ?
いや、この声は――
梨香。
間違いない、娘の声だ……!
『梨香……!? 梨香、どこだっ!?』
リリカの胸元から飛び降りた俺は、迷うことなく駆け出す。
周囲の景色がぐにゃりと歪む。
だが気にしていられない。
娘の声がする、それだけが真実だった。
――パパ……いかないで……
『梨香……ッ!』
次の瞬間――。
「ヘラクレス、危ないっ!」
不意にリリカの手が俺の角をつまみ上げ、宙に引き上げた。
直後、俺がいた地面から鋭利な土の槍が突き出してきた。
地面が割れていた――あと数秒遅ければ串刺しだっただろう。
『な、何が……』
「どうしたのさ、急に!?」
目を丸くするリリカに、俺は息を呑みつつ答えた。
『……さっき、娘の声がしたんだ。前世にいた……梨香の』
「え? リリカには何も聞こえなかったけど?」
リリカは不満げに唇を尖らせ、むっと頬を膨らませる。
その様子に、俺はようやく自分が幻覚に囚われていたことを理解した。
……厄介だな、この場所は。
そう思った矢先、今度はリリカがぴたりと足を止める。
「……パパ? どこ行っちゃったの、パパああああ‼」
豹変するように叫ぶリリカが、暗闇へ走り出そうとした瞬間――。
『落ち着け、リリカ!』
俺はとっさに角を使って、彼女のエルフ耳をガシッと挟む。
「いたたたたたっ!? な、なにすんのさヘラクレスぅ!?」
涙目で振り返った彼女に、俺ははっきり告げた。
『お前も幻覚を見てたんだ。おそらく俺と同じく、この場所の罠に引っかかったんだよ』
「……あっ」
ようやく我に返ったらしいリリカは、困ったように目を伏せる。
そこへ他の仲間たちが駆け寄ってきた。
「なにやってんのよ、二人とも! 勝手に先行ったら危ないじゃない!」
「一人で突っ走ったら駄目ですぅ~!」
「ごめんごめん、リリカもヘラクレスも幻覚にやられてたっぽい!」
ぺろっと舌を出すリリカに、ソフィーラさんが眉をひそめて考え込む。
「……幻覚ね。やっぱりこの洞窟、ただの魔物の巣じゃないわ。精神に作用する何かがある……」
「そうなのっ。リリカも、昔のパパの声が聞こえて……姿まで見えた気がして……」
『俺もだ。梨香の声が……』
「へっ!? ヘラクレスまで!? リリカだけじゃなかったの!?」
顔を真っ赤にして叫ぶリリカをよそに、猫耳のマオが洞窟の壁に絡まる糸を指でつついていた。
「やっぱりニャア。この糸、ただの罠じゃない。魔力で幻覚を見せるように仕込まれてるニャア」
「ってことは、あんまり壁とか見ちゃダメってこと?」
「そうニャア、ルクス。なるべく視線を地面か正面に固定して進むニャア」
対策も決まり、俺たちは再び行進を再開した――壁を見ず、静かに、慎重に。
……と、その時だった。
『リリカ、前方に何かいる。デカい……!』
「えっ!?」
暗がりの先に、嫌な気配が這うように迫ってくる。
視界の奥でゆっくりと浮かび上がるのは、異形の影――八本の脚、異様に膨らんだ腹。
そして、その腹の中心には――
「ニヘヘ……」
人間の女の顔のような、笑顔が刻まれていた。
蜘蛛の腹に浮かぶ、歪んだ女の面がこちらを見つめている。
「な、なにあれ……!?」
「顔が……腹に顔があるですぅ!?」
『あれが……次の敵か!?』
人面蜘蛛――その不気味な笑みを浮かべた化け物は、俺たちの前に、静かに立ち塞がっていた。




