いざダンジョンへ
休憩を終えた冒険者たちは、再び深い森を進み始めた。
「……なんか、魔物がピタッといなくなっちゃったね」
「さっきまであんなに出てきてたのに、不思議ですぅ」
リリカとタマコが訝しげに辺りを見渡す。ついさっきまで次々と湧いて出ていた魔物たちが、嘘のように気配を消していた。
「ヘラクレス~、魔物が身を潜めてるってことはないよね?」
『いや、それなら分かるはずだ。気配は……まったく感じない』
異様な静けさに、森の空気すらぴたりと張り詰めている気がする。
そんな中、リリカがふと足を止めて耳を澄ます。
「……あれ、なんか変かも」
『どうした?』
「さっきまで草の声とか、鳥さんのさえずりみたいな感じが頭に届いてたんだけど……今は、みんな黙っちゃってるの」
リリカは、ほんの少し眉を寄せて言葉を続ける。
「“近寄るな”っていうか、“静かにしてろ”って空気……森ごと、息を潜めてる感じなんだよね~」
「それって……瘴気のせいじゃないですかぁ?」
「かもね! 森の子たちもヤバいって察知してるのかも~」
リリカの《動植物の声》スキルは、森の異変を誰よりも早く察知していたようだった。
そんな中、ソフィーラさんが足を止めて言う。
「……ダンジョンの入り口が近いのかもしれないわ」
「入り口と魔物の出現って、何か関係があるんですか?」
「ええ。魔力の流れに敏感な魔物ほど、ダンジョンの“瘴気”を避けて外れに移ることがあるの」
「なるほどね~。それならこの静けさも納得かも!」
「とはいえ油断は禁物よ。逆に言えば、これからが本番だから」
ソフィーラさんの声が、森の空気に緊張感を加える。
そのまましばらく進むと、目の前に巨大な一本の木が姿を現した。
その幹は異様なまでに太く、根元には人が三人は並んで入れそうなほどの大きな“うろ”がぽっかりと口を開けていた。
しかもそこからは、明らかにただならぬ瘴気――黒紫の靄が、微かに立ちのぼっている。
『……この気配、間違いない。中に何かがいる』
「ここがダンジョンの入り口……間違いないわ。先行隊からの情報と一致するもの」
「わ……なんかゾクゾクしてきたですぅ……」
タマコが狐耳を伏せ、リリカに身体を寄せる。
「こっからが、いよいよ冒険って感じだね~!」
「気を引き締めてね。命を賭けるってことを忘れないこと」
ソフィーラさんが指を立てて忠告すると、冒険者たちは一斉に頷く。
……ただ、タマコだけは緊張でぎこちない表情だった。
そんな彼女の肩に、そっと大きな手を置いたのはレッドだった。
「……怖がるな。俺が……お前を守る」
「レッドさん……ありがとうですぅ……! ちょっと元気出たかも……」
タマコが微笑むと、レッドは言葉に詰まりながらも照れくさそうに視線を逸らした。
「おお~、レッドってばイケてるニャア~!」
「マジ惚れ直しちゃうかも~?」
マオとリリカにからかわれて、レッドの顔が耳まで真っ赤になる。
「や、やめろ……!」
おいおい、からかうのはほどほどにしてやれ。
「それじゃあ……みんな、準備はいいわね? ――行くわよ!」
『おー!』
ソフィーラさんがうろの中へと足を踏み入れる。
次いで俺たちも、異世界への扉とも言える巨木のうろをくぐり抜けた。
通り抜けた瞬間、空気が変わる。
肌に触れる風は重く湿り、景色は一変していた。
「これが……ダンジョンの中……!?」
「すごい……空気が違うですぅ……!」
そこはまるで別世界だった。
森のような景観だが、木々の枝先には絹のような白い糸が幾重にも張り巡らされ、ほのかに発光するキノコが足元を照らしていた。
空には空間のひび割れのようなものが浮かび、重力すらねじれているような幻想的な眺め。
その中心で、ソフィーラさんが糸に触れて何かを確かめていた。
「ソフィーラさーん、発見っ!」
「ふふ、ちゃんと来れたのね、リリカちゃん」
「何してるの~?」
「この糸……魔力が流れてるの。たぶん、この奥に“何か”がいるわ」
「ってことは、これをたどっていけばボスにたどり着けるってこと!?」
「ええ、でも……当然、たどり着くまでに何が待っているか分からないわよ?」
「へへっ、それでも行くっしょ!」
そのとき、別の方向から軽やかな足音が響いた。
「やあ、間に合ったようだね」
現れたのは、ルクスたち三人だった。
「あっ、ルクっち~!」
「リリカちゃんたちも無事だったんだね。よかった」
「……他の冒険者たちは?」
「それが……僕たち以外は、この“うろ”に近づくことすらできなかった」
「結界、ですねぇ……」
タマコの口にした言葉に、ソフィーラさんが頷く。
「厄介な仕掛けね……となると、入れたのは私たちだけ……か」
「ってことは、このメンバーだけで攻略しなきゃってこと!?」
「まあ、その分目立つ活躍ができるってことでもあるけどね」
ルクスがウインクすると、リリカが「それな~!」と笑い返す。
「……強敵が出てくるなら、俺の出番もあるかもな」
「レッドさん、頼りにしてますぅ!」
それぞれの顔に緊張と闘志が浮かぶ中、ソフィーラさんが再び皆を見渡した。
「さあ、私たちだけでも……やってみせましょう。覚悟はいい?」
「いつでもオッケーだよ!」
「がんばるですぅ!」
「もちろんニャア!」
「問題ない」
『よし、行こう!』
士気を一つにした仲間たちとともに、俺たちはダンジョンの深淵へと足を踏み入れた――。
✳
時を同じくして――
そこはダンジョンの最深部、光すら届かぬほの暗き空間。
天井から垂れ下がる無数の白糸が、洞窟の床に張り巡らされ、まるで世界の根を編む網のように広がっていた。
その中心、まるで岩塊のごとく鎮座する巨大な蜘蛛が、わずかに身じろぎする。
土蜘蛛アンテオス。
八つの黒い単眼が、糸を通じて伝わる微かな振動を捉え、妖しく輝いた。
「……早速反応カ。招イタ甲斐ガアッタトイウモノ」
その声は底冷えするような響きで、岩壁にこだまする。
音が闇に溶けていくたび、天井の糸がわずかに震えた。
「サア来イ、初ノ来訪者ヨ――」
アンテオスは、長い脚の一本をカツンと地に打ち付けた。
その瞬間、空間に走る糸がすべて、震えるようにうねり出す。
「コノ土蜘蛛アンテオスヲ……楽シマセロ。
ソシテ――我ガ血肉トナルノダ」
それは待ちわびた饗宴の始まりの鐘。
静謐の中に、狂気が胎動を始める――。




