異世界で愛娘との再会?
器用にも木をよじ登ってきたゴブリンが、俺を無造作に掴んでいた。
「クヘヘヘヘヘ……!」
よだれを垂らしながら下品に笑うその姿に、俺は本能的な嫌悪感を覚えた。
……こいつ、俺を食う気か!?
その予感は的中した。
ゴブリンがいきなり俺の背中にかじりついてきたのだ。
ガリッ、ガリガリッ!
だがゴブリンのちんけな歯では、俺の頑丈な甲殻に傷ひとつつかない。
「クギャッ、クギャギャ!」
苛立ったゴブリンは、今度は拳で俺を叩き始める。
ゴツッ、ゴツン!
……もちろん、痛くも痒くもない。
むしろ一方的に暴れている姿が滑稽に思えてきた。
だが、いい加減うるさい。
俺は長い角を勢いよく掲げる。驚いたゴブリンはバランスを崩し――
「クギャ~!!」
そのまま木から落ちて、転げるように逃げていった。
へへっ、どんなもんだい。
ゴブリンを退けた俺は、再び樹液をすすりはじめる。
腹が満たされるにつれて、背中にじわりとした変化を感じた。
さしずめ金色だった翅が、満腹によって漆黒に染まっているのだろう。
――これも、ヘラクレスオオカブトの特徴のひとつだ。
ふと気づけば、辺りはすっかり夜の帳に包まれていた。
カブトムシの活動はむしろこれからが本番。
樹液の出が悪くなってきたのを機に、俺は新しい木を探すことにした。
カブトムシなら飛べるはず。
その知識を頼りに背中へ意識を集中させると、固い鞘翅がパカリと開き、薄く透き通った翅が重低音を響かせて震え出す。
――そして、身体がふわりと浮いた。
おお、本当に飛んでる!
とはいえ、カブトムシは飛行が得意な昆虫ではない。
不格好な姿勢のまま、どうにか空を滑っていくのが精一杯だ。
まあ、地を這うよりはマシだろう。
俺は森の上を、羽音を轟かせながら飛び回る。
……うーん、なかなか良さげな樹液の木が見つからないな。
そんなことを考えていたとき、視界の先にふわりとした明かりが映った。
――光?
気づけば身体が勝手にそちらへと引き寄せられていく。
ヘラクレスとしての本能か……!?
光源へ近づいた瞬間、熱気を帯びた炎が眼前に現れた。
おわっ! 危なっ!?
まさか“飛んで火に入る夏の虫”を体現する羽目になるとは――と、慌てて急ブレーキをかけた。
が、それがまずかった。
もともとバランスの悪い飛行姿勢が、ブレーキの反動で完全に崩れてしまったのだ。
――落ちるっ!!
あえなく地面に落下。
だが、下はふかふかとした落ち葉だったため、大したダメージにはならなかった。
まあ、虫の身体って案外頑丈なんだな……。
ひとまず無事を確認した俺は、周囲を見回す。
どうやらあの光は、誰かが焚いた焚き火だったらしい。
ということは、この世界にも人間がいる――!
興味が湧いたのも束の間、俺はふと自分の姿を思い出す。
……俺、今は人間じゃなくて、ヘラクレスオオカブトだよな。
さっきのゴブリンみたいに、食材扱いされる可能性もあるし――下手したら、レア標本として捕獲される未来すらある。
転生して即、虫かご行きなんて絶対ごめんだ!
そう思って逃げ出そうとした瞬間――
俺の角が、誰かの指に摘ままれた。
――しまった!
慌てて後ろに目をやると、そこにいたのは醜悪なゴブリンなどではなく、金色の髪をポニーテールに結った、可憐な少女だった。
エメラルドのような緑色のパッチりとした目に、整った顔立ち。
ノースリーブのオレンジ色ワンピースから伸びた、ほどよく褐色に色づいた肢体。
健康的で快活な雰囲気が、どこか見覚えのある空気をまとっている。
――り、梨香……?
髪も瞳も色は違うけど、このエネルギッシュな雰囲気は、前世に遺してきた愛娘そっくりだった。
梨香も大きくなればこうなるのだろうか……?
その少女は、目をまん丸に見開いて叫んだ。
「えっ、なんでリリカの名前知ってんの!? え、マジ待って!? ヤバすぎんだけど~!?」
リリカ。どうやらそれがこの子の名前らしい。
俺の娘は「梨香」だけど、偶然とは思えない一致だった。
……いや、そんなことより――俺の心、聞こえてる!?
「うん。リリカね、『動植物の声』ってスキル持ってんの。てかさ、こんなハッキリ聞こえるのってレアすぎなんだけど~?」
スキル……。
やっぱりこの世界、ゲームみたいにスキルがあるんだな。
改めて見ると、リリカの耳は尖っていて長い。まるで妖精やエルフみたいだ。
「てかそれより! あんた何者なの!? なんでリリカの名前知ってんの!? てか虫がしゃべってくんのウケるんだけど~!」
いや、その……。
娘に似てる、なんて理由はとても口に出せない。
俺は今、ヘラクレスオオカブトの姿なんだ。そんな話をしても、混乱させるだけだろう。
どう言葉を選ぼうか悩んでいると――
「ぷっ……あっはははははっ!」
リリカは腹を抱えて笑い出した。
「なにその顔! 虫のくせにめっちゃ悩んでるし! ちょーウケるんだけど~!」
……このノリ、この言葉遣い、まさしく“ギャル”というやつか。
尖った耳には複数のピアス、褐色の肌、大きなリアクション。
なるほど、見た目もノリも完璧にギャルである。
「ん? ぎゃる? それ、リリカのこと~?」
あ、いや……それはこっちの世界の言葉でね。
慌てて前肢をバタバタと振って弁明すると、リリカはにやりと笑った。
「なんかさ~、あんためっちゃ人間くさいんだけど? 虫のくせに~」
まあ……元・人間なんで。
「え!? 人間!? え、マジで!? 何それウケるっていうかヤバない!?」
……しまった。リリカには心の声が筒抜けなんだった。
複眼でアタフタしていると、リリカがじとーっと睨んできた。
「なんかさ~、隠してるっしょ? 怪しい~」
うっ……。
これ以上誤魔化しても無理だな。
俺は観念して、今までの経緯を念じるように語った。
――転生したこと。
気がついたらヘラクレスオオカブトの身体になっていたこと。
そして、君が前世の娘によく似ていること。
「ええっ!? 虫さんって転生者!? しかも娘いたとかエモすぎじゃん!? ちょ、ヤバ~~~!」
……いちいち反応が派手すぎる。
「って、よく言われる~! ま、リリカだからね!」
本人も自覚しているらしい。
「で、その娘さんってのが、リリカにそっくりだったってこと?」
ああ、そういうことだ。
「ふ~ん。なんか不思議な縁だね。……んじゃさ、次はリリカの番だよね?」
そうだな。君のこと、教えてもらえるか?
「おっけ~! リリカはリリカ、ハーフエルフで現役バリバリの冒険者だよ! よろしくね~!」
冒険者か……。なんだか危なそうな仕事だけど、ひとりで活動してるのか?
問いかけると、リリカは首を横に振る。
「んにゃ、ちゃんと仲間いるよ! あ、今ちょうど来たかも~。おーい、こっちー!」
焚き火のそばで腰を下ろしながら、大きく手を振るリリカ。
その声に応えて走り寄ってきたのは――狐の耳とふさふさの尻尾を揺らした、もう一人の女の子だった。