リリカの思い出
夕食の時間になると、俺たちの宿泊する部屋に色とりどりのごちそうが運ばれてきた。
「うひゃ~っ、ヤバっ! めっちゃ美味しそうじゃーん‼」
「こ、こんなごちそう、初めて見たですぅ……!」
山の幸がふんだんに盛られた豪勢な料理に、リリカとタマコは目をキラキラと輝かせる。
その中で俺の目を引いたのは、きらきらと輝く紫色のゼリーのような料理だった。
『なあリリカ、あの紫のやつ……なんか美味そうだな』
「お、ヘラクレスも食べたいん? ほい、あーんっ」
リリカが木のスプーンでゼリーをすくい、俺の前に差し出す。
俺はそのスプーンにちょんと口をつけ、ぺろぺろと味わう。
『ほぉ……これは……ブドウだな。芳醇な香りと自然な甘さ、なかなかやるじゃないか』
「キャハッ、ヘラクレスってばムチューになってんじゃ~ん!」
リリカの茶化しにも動じず、俺は甘味に集中する。……やっぱり虫でも甘いものは癒しなのだ。
「ヘラクレスちゃんって、そういうの食べるのね」
「ね~、虫さんのくせにスイーツ男子っぽいし!」
「なんか……かわいいですぅ」
『……いや、君たちこそ。見てばかりいないで、ちゃんと食べるんだぞ?』
「はっ……そうだったぁ!」
ようやく料理に手をつけた二人は、肉と山菜の鍋に箸をのばす。
「んっ!? ヤバっ! 肉柔らかっ!」
「山の風味が豊かで、とっても美味しいですぅ!」
頬をふくらませながら夢中で食べる姿は、見ていて本当に微笑ましい。
娘の梨香も、ああやって嬉しそうに食べてたなぁ……。
「またまた~、ヘラクレスってば昔のこと思い出してんの?」
『……ああ、すまん。リリカたちの顔見てたら、ついな』
「ふふっ……」
リリカが静かに笑った。
その笑みはどこか、ほんの少しだけ切なくて。
――そして夕食後。
「ふ~っ、食った食ったぁ~!」
リリカが満腹の腹をさすって座敷にごろんと横になる。
『旅館の料理は量が多いからな。俺も少し満腹だ』
「ね~! マジでパンク寸前だし~」
「わたしも、もうお腹いっぱいですぅ~」
タマコはふさふさの尻尾をゆっくりと梳いて、穏やかな表情を浮かべていた。
「気に入ってもらえたみたいで、紹介した甲斐があったわ」
ソフィーラさんもにこやかに湯呑を口にする。
そんな和やかな空気のなかで、リリカが俺をふっと手に取った。
「ねえヘラクレス、ちょっと散歩付き合って~?」
『……お、おう』
リリカに連れられて、俺は宿の庭園に足を運ぶ。
静かな夜気に包まれたその庭園は、まさに日本の“わびさび”を感じさせる静謐な空間だった。
風に揺れる竹の葉、灯籠の淡い灯り。
肌を撫でる夜風が心地よい。
「ねぇ、ヘラクレス」
ふと、リリカが静かな声で口を開いた。
「……リリカさ。パパが冒険者だったの」
その声音は、いつもの明るいリリカとは違っていて。
「人間だったんだけどすっごく強くてね、誰よりもかっこよかった。どんな魔物だって倒しちゃうし、家に帰ってくると……大きな手でリリカの頭を撫でてくれるの。あったかくて、安心して……」
語るリリカの瞳は遠くを見ていた。まるで、過去の光景をそのまま映しているようだった。
「でもね。ある日、帰ってこなくなったの。……もう五年になる」
ぐっと唇を噛み、彼女は顔を伏せる。
「村の人たちはみんな、死んだって……。でも、リリカだけは信じてる。絶対どこかで生きてて、きっと帰ってくるって」
『……リリカ』
「だからリリカも冒険者になったの。自分の足でパパを迎えに行けるように。強くなって……自分で、探しに行くの」
震えそうな声で、でもはっきりとリリカは言った。
そのひたむきさに、俺の胸がぎゅっと熱くなる。
――守りたい。今度こそ、大切なものを守りきりたい。
『リリカ……君の想いはきっと届くさ。俺も、第二のパパとして君を守りたい』
そう言うと、リリカがふっと微笑んで――俺の角に、そっと唇を触れさせた。
「大好きだよ、ヘラクレス」
その声は、たしかに心の奥に届いてきた。
『……ああ。俺も、君を大切に思ってる。いつまでも、傍にいるよ』
「えへへ~、なんかヘラクレスって、パパっていうより騎士様みたいだね」
くすぐったそうに笑って、リリカが俺に指先を差し出す。
「これからも、リリカのこと守ってくれる?」
『もちろんさ』
指と角先が触れ合う――それは、ささやかで強い“契り”だった。
満天の星空の下で、俺たちはもう一歩、心の距離を近づけたのだった。
俺とリリカが部屋に戻ると、畳の上にはすでにふかふかの布団が三組、きれいに敷かれていた。
「うわ~、なにこれ! フカフカでちょー気持ちいい~!」
リリカが勢いよく布団に飛び込んで、顔をとろけさせながらその感触に身を沈める。
「まるで雲の上みたいですねぇ……」
「湯上がりの布団って、ほんとに至福よね」
タマコがほわんと笑い、ソフィーラさんも微笑みながら明かりを落とした。
「それじゃあ、みんなおやすみなさい」
「「おやすみ~!」」
部屋が静寂に包まれるなか、俺はリリカの胸元で心地よい眠りに落ちていった。
そして翌朝。
名残惜しさを抱えながらも、俺たちは湯癒の宿を後にし、村で新たに借りた馬車でヌイヌイタウンへと帰路に着いた。
「いや~、マジでサイコーだった~! また絶対行こ~ねっ!」
「ほんっとに極楽でしたぁ~。次はもっと長く滞在したいですぅ!」
旅の余韻に浸るリリカとタマコの隣で、ソフィーラさんがいつもの柔らかな微笑みを浮かべる。
「二人とも喜んでくれて嬉しいわ。……ああいうひとときって、案外冒険には必要なのよ」
窓の外に広がる山の風景を眺めながら、彼女は穏やかにそう語った。
「ねえソフィーラさん! また今度、他にも面白そうなとこ教えてよ~!」
「はいっ、わたしも行きたいですぅ!」
リリカとタマコが身を乗り出すように尋ねると、ソフィーラさんは小さく笑って頷いた。
「もちろん。だって私たち――仲間なんだもの」
「よっしゃ! じゃあソフィーラさんもココトモ決定だねっ!」
「ココトモですぅ!」
笑い合う三人の姿は、まさしく“旅の戦友”そのものだった。
帰り道を進みながら、俺は小さな体を風に揺らしつつ、ふと考える。
この旅で得たもの――温泉の癒し、美味しい料理、命がけの戦い、そして何よりも、仲間たちとの絆。
これからまた、冒険者としてのいつもの日々が戻ってくる。
だがきっと、もう何かが変わっている。
そう、俺の中で“この世界”が、ほんの少しだけ“帰る場所”になり始めていたのだ。