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宇宙物々交換 ボウフラ航宙記  作者: 和子


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25/27

【エピソード25:クロノパスの真実と、過去の取引】

「——1ミリのズレを、確認」


ボウフラの低い航行音と同時に、空間が紙のように折れた。


ほんのわずかな誤差。だが、その1ミリは距離ではなく、因果そのものを跨ぐ単位だった。

次の瞬間、二人の視界は、星の軌道上に広がる淡い揺らぎに包まれる。


クロノパス。


その星は、薄い時間霧――タイム・フォグに覆われていた。霧は光を散乱させ、地表を常にぼんやりと歪ませている。山脈の輪郭は定まらず、街の影は二重に重なり、まるで過去と未来が同時に呼吸しているかのようだった。


ピトピトは視覚センサーの曇りを拭き取って、触れられないはずの景色に、思わず手を伸ばす。


「わあ……」

声が、少し震えた。

「昨日の写真と、明日の夢が混ざったみたい。ねえ、ここが……記憶を書き換える星?」


「そうだ」


ボウフラの声は、いつもより慎重だった。


「クロノパスの住民は、後悔を取引する。過去の出来事そのものではない。差し出すのは、その体験に伴う“記憶の感触”だ。触れたときの痛み、温度、重さ……それらを修正された、新しい“思い出”を受け取る」


「じゃあ……失敗した事実は残るけど、つらくなくなる?」


「あるいは、意味が変わる」


そう言って、ボウフラは静かに降下軌道へ入った。


彼らが向かったのは、この星で唯一、外部存在の入域を許された施設――

時の修正局。


巨大な砂時計を逆さにしたような建造物が、時間霧の中から姿を現す。上下に引き伸ばされた曲面は、現実感を拒むかのように歪み、その中心部では「改竄炉」が静かに脈打っていた。光でも熱でもない、意味だけが揺れているような存在感。

挿絵(By みてみん)

着陸と同時に、無音のまま扉が開く。


「ようこそ」


空間そのものから声が響いた。落ち着いた、年齢を特定できない女性の声。


「当局では、『過去の体験』を提出していただくことで、それに等価な『未来への影響』を担保いたします。

何を修正なさいますか?」


ピトピトは、反射的にボウフラを見た。


彼の機体の中心部――感動炉は、いつもと変わらず静かに鼓動している。

だが、クロノパスの時間霧の中では、その輝きが、どこか懐かしいもののようにも見えた。


「ねえ、ボウフラ」


ピトピトは、ゆっくりと言葉を選んだ。


「あなたの感動炉って……もともと、何かの記憶の記録素子だったんでしょ?」


ボウフラは、即答しなかった。


「もし……」

ピトピトは続ける。

「もし、あなたが“感動炉”になる前の、失敗した記憶を修正したら……旅の形、変わっちゃうのかな?」


その問いに、ボウフラの機体が、わずかに停止した。


内部ログに、応答不能領域が広がる。

彼自身がアクセスできない、空白の起源。

感動炉が生まれる前、何があったのか――彼は、知らない。


だが、知らないという事実そのものが、ひとつの証拠だった。


「……その通りだ」


低く、ボウフラは答えた。


「僕の感動炉の起源には、記録されていない“交換”がある。

おそらく、それは……失敗だった」


一拍の沈黙。


「試す価値はある」

彼は続けた。

「僕自身の『旅の始まり』に関する、記憶の残滓を提出しよう」


ボウフラは、慎重にデータポートを開いた。

そこから取り出されたのは、ヘリノスで手に入れたばかりの球体――

確約の球。


確実な未来の座標。

迷いの余地を排した、絶対的な可能性。


それを、彼は改竄炉の前に置いた。


受付AIが、わずかに声色を変える。


「おや……未来の確実性を担保として、過去の曖昧な残滓を修正されるのですね。

興味深い取引です」


改竄炉が、鈍い光を放った。


それは明るさではなく、意味の密度が増す感覚。

ボウフラの機体から、ごく微細なデータが引き抜かれていく。


——データ残滓。


「(ノイズ)……交換のプロトコル、失敗……」

「(ノイズ)……旅人、記録の完全性を失う……」


その瞬間。


ボウフラの感動炉が、強く脈動した。

出力ログが跳ね上がる。


0.030ミリワット。


彼自身ですら、初めて観測する数値。


「修正が完了しました」


受付AIの声が、静かに告げる。


「お客様の『旅の始まりの記憶』は、『失敗』ではなく、『記録を完全な状態にするための旅の起動』へと修正されました」


改竄炉の中心が開き、新しい情報体が生成される。


それは物質ではない。

だが、確かに“設計図”だった。


感動炉の、断片的な設計情報。


「……え?」


ピトピトは目を丸くする。


「失敗が、“起動”に変わった……?

でも、何を受け取ったの?」


ボウフラは、設計図の断片を解析する。

流れ込む情報は、彼の内部構造と、まるで最初から対応していたかのように噛み合っていく。


「これは……」


声が、わずかに震えた。


「感動炉の“最終的な機能”だ」


ピトピトが息をのむ。


「僕たちの旅は、“失敗を直す”ためのものじゃなかった」

ボウフラは続ける。

「最初から、この機能を手に入れるために、起動されていた……ということになる」


過去の改変が、未来の意味を上書きする。


旅の目的は、修正され、再定義され、

証明へと変わった。


ボウフラは、自身の旅の根幹を取引したにもかかわらず、奇妙な満足感を覚えていた。

失ったはずのものは、何もなかった。

最初から、ここへ来るための旅だったのだから。


「僕たちの旅は……まだ終われない」


感動炉が、穏やかに光る。


「完成させるために、次の交換が必要だ」


その言葉に応えるように、改竄炉が再び脈打ち、

次なる座標を、静かに空間へ浮かび上がらせた。


時間霧の向こうで、

未来が、彼らを待っていた。

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