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宇宙物々交換 ボウフラ航宙記  作者: 和子


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23/27

【エピソード23:夢の交易所と、詩の残響】

ウラエヌス・ノクターンは、自分の呼吸音がいつから聞こえなくなっていたのか、思い出せなかった。

夢の都市は、沈黙そのものが設計図であるかのように、規則も輪郭も定かではなかった。


「見て。あれが――忘却のビルよ」


ピトピトの声だけが、都市の形を決めた。

遠くに、霧を漏らし続ける塔がある。

最上階から流れ出る霧は、薄い。

下層へ降りるほど濃くなり、まるで重い記憶ほど手放すときに色づくかのようだった。


ウラエヌスは胸の奥に、かすかな痛みを覚えた。

忘れるという行為は、なぜこうも青白く見えるのか。

なぜ人は、自分の影を切り捨ててまで、前へ進もうとするのか。


その問いに対して、形にならない輪郭をなぞる前に、視界は広場へ開けた。


建物は無い。

ただ、光のうねりだけがあった。

海でもないのに、潮騒のようなひそやかな寄せ返しが聞こえる。

それは、人々の夢がひとつに凝り固まってできた集合意識だった。


「ようこそ、覚醒者の旅人」


光が微笑むように揺れた。

その声は、誰の肺から放たれたものではなかった。


「あなたの詩的な感覚は、この街にとって希少です。何を求めますか?」


ボウフラ――彼は夢の中ではその名で呼ばれていた――は、ゆっくり息を吸うように意識を定めた。


「目覚めの秘密を。

この夢から、現実へ帰るための手がかりを」


光は、静かに笑った。


「それは取引できません。

覚醒は、我々の終わりを意味するからです」


ピトピトが息をのむ。

ボウフラは、その沈黙の端が、どこか温かいと感じた。


だが光は続けた。


「けれど……あなたが持つ“詩的合意書”は、魅力的だ」


ボウフラはそれを懐から取り出した。

紙ではない。

文字でもない。

掌の上で淡く脈打つ、小さな残響――“心が笑ったときの音”が、まだ微かに息をしていた。


彼はそれを掲げた。


「この詩を差し出す。

対価として……あなたたちの夢を動かす核の、断片を」

挿絵(By みてみん)

光は震えた。

夢の波に、深い皺が走る。


ピトピトが小さくささやく。


「……泣き笑い。

あのときホリョメルを救った、あの感情……」


光はゆっくりと揺れた。

それは、迷いか、郷愁か、あるいは恐れか。


「――その詩は、我々が排除したはずの孤独を呼び覚ます。

……取引に応じましょう。

だが、完全なプログラムは渡せない」


光の波面から、ひと粒の光子が落ちてきた。


《覚醒調整モジュール:A-58》


薄桃色の光を宿した、小さな欠片。

ボウフラの意識に吸い込まれた瞬間、温度の無い熱が胸を貫いた。


彼はその場に立ったまま、目を閉じた。


――帰れる。

夢に囚われず、現実へ。


その確信は、祈りにも似ていた。


詩的合意書は、まるで名残を惜しむように明滅し、やがて光の市場へ溶けていった。


「覚醒者よ」と、集合意識が遠くで囁いた。

「夢で得た価値は、いつか現実のあなたを支えるだろう……また眠りに来なさい」


声は、祝福にも呪いにも聞こえた。


---


ボウフラが目を開けると、ピトピトが腕を振り回していた。

挿絵(By みてみん)

「夢から覚めた……ほんとに!

あそこ、もう二度と戻れないかと思った!」


彼は胸に手を当てた。

感動炉の出力は、0.019ミリワット。

微かだが、確かに大きくなっていた。


「詩と引き換えに、僕たちは“戻る意志”を手に入れたんだ」

ボウフラはつぶやいた。

「夢の中の共感が、僕たちを強くした」


彼は次の座標を起動した。

空間の奥で、青く深い光が脈動する。


「次は……ヘリノスの空虚市場だ」


「空虚……?」


「そこでは、“期待”だけが通貨なんだそうだ」


ピトピトは眉を寄せた。


「期待って……交換できるの?」


ボウフラはうっすら笑った。


「わからない。

でも――期待は、未来に投げる意志の欠片だ」


夢の残響がまだ耳の奥で微かに震える。

ふたりは、その揺れを抱えたまま次の旅へ歩みだした。


“期待とは何を値づけし、何を奪うのか?”


その問いだけが、静かに彼らのあとを追ってきた。


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