【エピソード22:ウラエヌス・ノクターン、眠る星の囁き】
ウラエヌス・ノクターン。
かつて銀河の待ち合わせスポットと呼ばれ、多様な文明が寄港し、光の速さで飛ぶ航宙機が昼夜を問わず往来した星。
だが今や、広大な地表に人影はほとんどない。
風だけが、かつての喧噪を懐かしむように砂丘を撫でていく。
――それでも、"賑やか"だった。
夢の中では。
スクリーン越しに現れた代表夫妻は、古代劇場を思わせる円形の私室から朗らかに語りかけてきた。
壁には星座を象った浮彫がゆらぎ、淡い光がふたりの姿を縁どっている。
レオニス・ヴァルクレイとセレーネ・アークライト。
ウラエヌスを"管理"する者──正確には、この星の眠りに導く番人である。
レオニスは柔らかく微笑んだ。声の揺らぎは一切ない。
静謐すぎる平穏。だがその静けさこそ、逆に不穏を孕んでいた。
「かつて我々は、生き急ぎ過ぎました。」
レオニスの声は、透き通っていた。
「争い、拡大、消耗……。
だから今は“眠る”ことで生命の消費を抑え、記憶と感性を未来へ継ぐことにしたのです。」
隣でセレーネが言葉を継ぐ。
「あなた方も眠ればいいのです。
意識をリンクすれば、時間も種族も超えて、共有される“夢の社会”に接続できます。
私たちは来訪者を歓迎します。」
静かな勧誘。
それは攻撃でも支配でもない。
けれど、ボウフラの背筋にひやりとした感覚が走った。
画面の向こうのふたりは、敵意すら持っていない。
だからこそ危険だった。
ボウフラ(小声で)
「ピトピト……この星は、“意識の受け皿”を全宇宙に広げようとしてる。
眠ることで……侵略なくして世界を巻き込むつもりなんだ。」
ピトピトは顔をしかめた。
「ある意味……一番厄介な存在、ってやつね。」
彼らは戦わない。説得すらしない。
ただ、やさしく“提案”してくる。
――眠れば、楽になりますよ。
――どこにも行かず、誰とも争わず、すべてがつながりますよ。
その甘さは、罠ではない。だが、逃れようのない引力を持っていた。
スクリーンがふわりと切り替わった。
仮想空間の入り口。
ふたりが眠れば、自動的に意識は接続される。
レオニスの目がボウフラたちの姿を捉えた。
「あなた方の持ち物も、夢空間で価値を持ちます。
物々交換のような記憶のかけらも、我々にとっては貴重な刺激となるでしょう。」
ボウフラはポケットから詩的合意書を取り出した。
紙面は、実体のないはずの世界で淡く光った。
ピトピトは少しばかり怯えて
「……でも眠ったら、目覚めないかもしれないよね。」
ボウフラは静かにうなずく。
この星の空気には、微かな「覚醒の違和感」が漂っていた。
夢と現の境界が薄い。
ほんの一歩踏み越えれば戻れない予感がする。
それでも、行くしかない。
ボウフラはピトピトに前に進むことを告げる。
「いちど入って、"取引"できるか確かめよう。
あいつらが欲しがるのが“記憶の刺激”なら……この詩で勝負できるかもしれない。」
◇仮想接続。
◇意識スキャン。
刹那、実体が遠ざかり、精神が落下するような感覚。
ふたりはウラエヌスの“眠りの中の都市”へ、意識だけで降り立った。
そこは、現実とは根本から構造が異なる都市だった。
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高層ビルの代わりに、天へと伸びる“旋律の塔”がそびえていた。
道路は記憶の花々で彩られ、指先で触れるたび、過ぎ去った一瞬が香りとなって広がっていく。
住人たちは踊るような身ぶりで交渉を行い、
やり取りされるのは貨幣ではなく、断片的な思い出や、忘れかけた感情の欠片だった。
――記憶と夢と価値が渦巻く、もう一つの現実。
その世界に降り立ったボウフラとピトピトは、すでに“意識の姿”となっていた。
ボウフラは、かつて自分を造り出したであろう緑色の肌を持つ男性の姿。
高い襟のローブをまとい、科学者を思わせるその目は、状況の分析を静かに始めている。
一方のピトピトは、かつて“彼女”として装着していた美しい表層の姿を取り戻していた。
これまでボウフラが接してきたピトピトは、その女性の“骨格”だけの形で、
覆っていた外装は、長い宇宙の旅の途中で剥がれ落ちてしまったのだろう。
ボウフラは、懐かしさとも戸惑いともつかぬ表情で言う。
「どうやら僕たちは、古い記憶の姿を纏っているみたいだね……。
こういう時は“はじめまして”って言えばいいのかな?」
ここでは、ボウフラが持ってきた“無音の爆笑玉”ですら、
小さな笑いの祭壇に捧げられ、周囲にひそやかな共鳴を生んでいた。
ボウフラは詩的合意書を見つめた。
光が脈動し、まるで読み手を探すように震えている。
この都市で、何かがまた動き出していた。
――眠りが支配する星のどこかで。
――言葉が価値を持つ夢の底で。
二人の挑む"取引"は、間もなく始まろうとしていた。




