【エピソード21:マルティトラの終わらない商談】
時空転移は、いつだって静かだ。
だがこのときの静けさは、背筋をひやりと撫でられるような感覚を伴っていた。
ボウフラとピトピトが訪れた先は、マルティトラ星の浮遊市場──
無数の屋台が、風に流されるようにゆっくりと空中を漂い、
商人たちの歌声とステップだけが、この世界の“重力”として機能している。
この星では「交渉」が文化であり、「値切り」が芸術であり、
そして「合意」は――神だった。
取引契約は必ず歌われ、踊られ、時には泣き笑いを伴う。
商談とは、ここでは儀式なのだ。
「えっと……なにこの……サンバ? 商談なの?」
市場を見渡しながら、ピトピトがぽかんと口を開ける。
「たぶんね」
ボウフラは肩をすくめた。
「交渉が成立すると、鐘が鳴って、周囲の気圧が一瞬あがるんだ。
“成約の風”って呼ばれてる」
確かに、どこかで軽快なリズムに合わせて商人たちがステップを踏んでいる。
客が手を叩き、商人が回転し、合意が結ばれた瞬間、
パーン、と高く澄んだ鐘が空に跳ねた。
その風をまともに浴びて、二人のマントがふわりと浮く。
「……ほんとに風が出るのね」
「だから言ったでしょ」
そんなふたりの前に、一軒の屋台──というより宇宙カウンターが滑り寄ってきた。
六つの顔を持つ商人が、六方向に微妙に違う笑みを浮かべながら立っている。
名は、シェパルンド六面。
ろくづら、と読む。
六つの顔のうち、一番明るい笑みを浮かべた“第一の顔”が前にせり出す。
「おおお、これは珍客! 何をお探しかな?
愛? 記憶? それとも……通貨の信用?」
「いや、えっと」
ボウフラはポケットを探り、小さな透明球を取り出した。
「この“無音の爆笑玉”、交換したいんだけど……なにか面白いものある?」
六つの顔が同時にヒャッハー! と叫んだ。
市場全体の空気が、ぱりん、と乾いた音を立てて変質する。
今度は“第二の顔”、冷静な眼差しが前に出る。
「それは希少だ。無音で爆笑を誘う玉──“感情超振動波”の一種だろう。
こちらとしては“詩的合意書”と交換したい。」
「詩的合意書……?」
ピトピトが耳打ちする。
「たぶんね」
ボウフラは小声で答えた。
「取引が成立するたび、相手の心に小さな詩が浮かぶんだよ。
記憶に“響く”契約ってやつ」
交渉開始だ。
ボウフラは感動炉を低出力で開き、市場の空気にわずかな詩情を灯す。
まわりの音が、ほんの少しだけ透明になる。
ピトピトはシェパルンドの“第六の顔”──内気そうな表情──にそっとお茶を注ぎ、和ませた。
「君たち、面白い」
前へ出たのは、“第三の顔”──誠実。
「……よかろう。詩的合意書を渡そう」
その言葉とともに、一枚の薄い透明紙が宙へ浮かび、ボウフラの前へ流れ着く。
触れると淡い光が脈打ち、紙の内側に“言葉の模様”が立ち上がった。
「……わぁ……」
ピトピトが紙をのぞき込む。
「“こころが笑った音の残響が、誰かの涙を拭った”……だって……」
読み上げた瞬間、マルティトラの空に澄んだ鐘が高く響いた。
成約の風が吹き抜け、二人の髪とマントを揺らし、
市場中の屋台が嬉しそうにゆらゆらと舞い上がる。
「……また来てね……」
控えめな声がした。
顔を上げると、第六の顔──内気な表情のシェパルンドが、
手を胸の前でもじもじと動かしていた。
「交換って……好きなんだ……」
ボウフラは笑った。
旅はまだ続く。
“交換”とは、物々交換だけではない。
感情の往復、時間のやりとり、理解という名の折り合い。
そのすべてが価値となり、未来へ残る。
次の座標が、感動炉の中心で淡く揺れた。




