【エピソード20:トウク星の芸人と、笑いの密度】
――時空転移、完了。
シュウゥン……と、耳には届かないほど微細な波音が空間を揺らし、
ボウフラとピトピトはトウク星の地表にふわりと降り立った。
空は濃いラベンダー色。昼なのに夕方のような、温度を帯びた光。
地表は芝生のように見えたが、ふかふかとしたクッション素材で、
踏みしめるたびに小さく「クス……」と笑い声のような振動が返ってくる。
「ねぇ、これ……」
しゃがみこんだピトピトは、指で地面を押してみた。
「この地面、笑ってる? くすぐったいの?」
「重力反応じゃない。」
ボウフラは静かに分析しながら言った。
「これは“感情反響層”。この星では、笑いが物質にしみ込むんだ。」
その説明の最後の語尾が消える前に――。
「どーもーーーーっ!!」
前方の丘の上から、何かが転がり落ちてきた。
いや、何かではなく、誰かだった。
ピエロのような格好をした男が、全力の前転、側転、バク宙を決め、
ズサーーッ!と目の前に華麗に(そして雑に)着地する。
「トウク星の非公認・広報芸人、ホリョメルでーーす!」
背後から、バンッ!とクラッカーが勝手に鳴る。
「うわ、うわ、なんかうるさいの来た……」
ピトピトが後ずさる。
「やかましいと言われれば本望!」
胸を張るホリョメルは、マントの裏から奇妙な円筒を取り出した。
透明なその内部に、ヒヒヒヒヒ……と笑い声の波形がふるえる。
「この星ではね、笑いの“密度”がすべてなの!」
ホリョメルは胸を張る。
「一番笑わせたヤツは、税金払わなくていい! 伝統と混沌の星、それがトウク星!」
「笑いが資源……」
ボウフラは感心して言う。
「面白い文明だね。」
「資源どころか家も建つし、ロケットも飛ぶ!」
ホリョメルは誇らしげに言った。
「でも最近は、笑わせすぎると“笑疲労”で一週間寝込む人が続出してね、
だから“ちょうどいい笑い”が最先端なんだよ!」
そこへ――。
「失礼。トウク星行政庁・笑い税管理部です。」
いつの間にか、緑色のサングラスをかけた役人風の人物が背後に立っていた。
「この者、笑い税を数ヶ月滞納しておりまして。
月末までに笑い密度1.2未満のネタで強制回収となります。」
「や、やめてぇぇ! それだけはァァ!」
ホリョメルは地面に崩れ落ちる。
ピトピトが小声でつぶやく。
「この星、思ったよりシビアだ……」
そのとき、ボウフラはポケットから小さな結晶端末をそっと取り出した。
感動炉に残っていたデータ――
以前モノアレスで見た「七色の雨」。
20秒だけの、儚くやさしい映像だった。
空から降る光の粒が、柔らかく地面に吸い込まれていく。
どこか胸の奥をくすぐるような、温かい余韻がある。
「……ふふっ……」
ピトピトが思わず笑う。
「なんだろ……やさしい……」
ホリョメルは、それを見た瞬間、息を吸い込んだ。
「これ……ズルいよ……
泣き笑いって……こういう……ことかぁ……!」
ぼたり、と涙がこぼれた瞬間――
笑い密度計が、ピピーッ!と赤く点滅した。
表示は「1.85」。
役人の眉がピクリと動く。
「……基準値を大きく超過。
ホリョメル氏の笑い税、帳消しを承認します。」
「うおお……助かったああ……!」
ホリョメルは地面に突っ伏し、次の瞬間、がばっと立ち上がった。
「恩人……いや、恩宇宙人……!」
ホリョメルはボウフラに小さな箱を差し出した。
中には、豆粒ほどの透明な球――
しかし触れた瞬間、脳の奥が“クスッ”と震えるような感覚が走る。
「“無音の爆笑玉”。
音は出ないけど、心だけが笑う。
扱いはむずかしいけど、決まればすごいよ。宇宙のどこかで、誰かをそっと笑わせたいときに。」
ボウフラは深くうなずき、それを丁寧にしまった。
「きっと……」
ピトピトが小さく言った。
「この笑い、誰かの命を救うかもしれないね。」
ボウフラは感動炉を胸に抱え、次の座標を入力する。
トウク星のラベンダーの空が、旅人の背中をやさしく照らした。
***
《エピソード20.1:トウク星:ラベンダーの休息》
ラベンダー色の空は、夕暮れとも夜明けともつかないやわらかさで二人を包んでいた。
ホリョメルとの別れのあと、ボウフラとピトピトは少し離れた丘のくぼみに腰を下ろした。
ふかふかの地面は相変わらず「クス……クス……」と微笑むような振動を返してくる。
ふと、ボウフラがぽつりと呟いた。
「この旅……楽しいけど、いつか終わりが来るのかな?」
その声は、笑いの星に似つかわしくないほど静かで、どこか遠くを見つめていた。
旅の中で、無数の星を巡り、喜びも涙も見てきた。
その積み重ねが、ふと胸を重くする瞬間がある――今がまさにそうだった。
ピトピトは、うつむくボウフラの横顔を見つめ、ゆっくりと言った。
「明日が終着点かもしれないし、百年先かもしれない……でもね、考えるとつらいわ。」
彼は小さく笑って、続ける。
「たぶん、そんなこと考えないために旅をしてるんだと思うの。
今日を見て、今日を感じて……その積み重ねが旅でしょ?」
ボウフラは目を瞬かせた。
“旅に終わりがある”という当たり前のことを、不思議なくらい今まで考えたことがなかった。
「……そうだね。なんでだろう、急にそんなこと思っちゃって。
笑疲労のせいかな?」
ピトピトは吹き出す。
「たぶんね。あのホリョメルさん、存在だけで体力持っていくタイプだもの。」
そう言って、クッションのような大地を手でぽんぽんと叩いた。
「ここで少し休んでいきましょう。ほら、地面の振動……気づいてる?
マッサージ効果になるのよ。トウク星の観光ガイドに書いてあったわ。」
確かに、足元からふわふわとした波が伝わってくる。
笑いの余韻のような、胸の奥のこわばりをほどくような、不思議な心地よさだ。
ボウフラは手足を収納して寝転んだ。
ピトピトもすぐ隣に座りこむ。
空は少しずつ紫の濃さを変え、星とも雲ともつかない光粒が滲みはじめる。
地面は二人の体を支え、そっと笑いながら呼吸を合わせてくれているようだった。
――旅に終わりがあるかどうかはわからない。
でも、今確かなのは、この静かな時間が心を癒してくれるということ。
ピトピトが目を細めて言う。
「ボウフラ、ちゃんと休んだら、また次へ行きましょう。
終わりなんて、考えるのはあとでいいの。」
ボウフラは目を閉じ、地面の優しい振動に身を委ねた。
「……うん。ピトピトがそう言うなら。」
トウク星の大地は、二人の呼吸に合わせるように、ほのかに震え続けていた。
笑いでも涙でもない、ただ静かな安らぎの振動だった。
宇宙を巡れば、どこかで価値になる。
そんな世界を信じながら、二人の旅は続いていく。




