【エピソード19:モノアレス・賭けと白い都市】
静かだった。
白い空。白い建物。白い街路。
風もなく、音もない。すべてが均一で、違いという概念さえ感じられない——
それが、モノアレスという都市だった。
ピトピトは、小さく肩をすくめた。
「なんにも……色がない……。人も歩いてないし……」
隣を歩くボウフラは、首をかしげながら白い地面に手をかざした。
その掌の下で、淡い波紋のような揺らぎが一瞬だけ走る。
「いや、見えてないだけさ。……ほら、あそこ。」
ピトピトが目を凝らすと、
真っ白な広場の中央に、静かに浮かぶ立方体が見えた。
無音の中、その周囲には、影とも光ともつかない透明な存在たちが群がっている。
彼らは「持っていない」。
だから見えない。
——モノアレスでは、“賭け”に勝った者だけが「存在」を持てる。
二人が立方体へ近づくと、一体の影がふっと濃くなり、形を結びはじめた。
煙のように、ゆっくりと青年の姿を成していく。
「……君たち、交換の旅人か。」
透けるような声。
それが、賭け屋のアーモだった。
「珍しいね。ここじゃ、思い出も感動も通用しないよ。」
ボウフラは無表情のまま、彼を見据えた。
「この星では、“賭け”をして勝たないと、価値が生まれない。……そう聞いた。」
アーモの唇が、ゆるく歪んだ。
それは笑いとも、警告ともつかない。
「そう、“運命の重さ”が唯一の価値だ。
勝てば存在を持ち、負ければ……また、透明に戻る。」
広場の立方体は、「記憶」でも「感情」でもなかった。
それはただの空白。
賭けは——言葉、視線、沈黙、直感、タイミング……何を賭けるかも自由。
だが、勝たなければ、何も得られない。
ピトピトは小さく唇を噛んだ。
「……わたしたち、勝てるかな。」
ボウフラはその肩にそっと手を置く。
「たぶんね。
“持ち出したもの”はあっても、“持ち込んだ想い”は、誰にも奪えない。」
そう言って、ボウフラは胸元の感動炉から、微かな光を取り出した。
それは、あの日の夕暮れに燃え尽きた“思い出の残光”だった。
彼はそれを賭け台にそっと置く。
アーモの目が見開かれた。
「……これは、“思い出を燃やした後の光”……!?
こんな希少な賭け札、見たことがない……。」
次の瞬間、立方体が脈動した。
空気が震え、広場全体が静かに反転する。
音も、言葉も、ルールもない。
ただ、心の奥底が互いを見つめ合う。
運命と経験、そして信じる力だけが、見えない盤上で衝突した。
十秒後——
アーモは、ゆっくりと膝をついた。
彼の身体に、かすかな色が戻っていく。
「……君たちの勝ちだ。
どうやら、“想いを経た者”には敵わないようだ。」
その瞬間、白い街が息を吹き返した。
建物の壁に淡い色が差し、影たちは輪郭を得ていく。
顔が生まれ、言葉が生まれ、街全体が目を覚ます。
ピトピトは、目を丸くして叫んだ。
「……街が、起きた! 色が戻ってきたよ!」
ボウフラの手には、一枚の透明な紙片が残っていた。
そこに刻まれた文字は、誰にも読めない。
——それは、「無形の契約書」。
モノアレス全体との“交換信用”を表す唯一の存在であり、
この星であらゆる取引を可能にする力を持っていた。
だがボウフラは、静かにそれをアーモに差し出した。
「これは君のだ。僕たちはまた、次の取引を探すよ。」
アーモの瞳から、初めて涙がこぼれ落ちる。
それは“感情”を取り戻した証だった。
その涙は地面に触れ、瞬く間に七色の雨となって、白い市全体を包みこんだ。
空が、再び色を取り戻す。
ピトピトはその光景を見上げながら、小さく笑った。
「ねえボウフラ、これも“交換”なのかな。」
ボウフラは、微笑を浮かべた。
「そうだね。——想いのやり取りさ。」
雨が降り続く中、二人は歩き出した。
モノアレスの街が後ろに遠ざかる。
その足跡の先に、新しい星の光が待っている。
そして、旅は再び始まった。




