【エピソード13:沈黙の星と、交換の気配】
ボウフラとピトピトは、静寂を縫うようにして降下していた。
正確な重力スリップ。誤差は0.0001単位。
二体の機械生命は、計算の末に「マリナーテ」と呼ばれる星の静かな周回軌道へと立った。
星は、水面のように滑らかだった。
反射のない深い青。
光を拒むのではなく、包み込んで消してしまうような青。
そこには風も、波も、音の余韻さえも存在しなかった。
ピトピトの受信モジュールが微かに震えた。
「……本当に、何も聞こえない。耳に“沈黙”が貼りつくみたい。」
ボウフラは応えなかった。通信回線を閉じていたのだ。
音波、電波、フォトン共鳴波——どのプロトコルを使っても、
マリナーテからの応答は“無”。
だが、ボウフラには分かっていた。
この星は、沈黙によってのみ“交換”を行うのだと。
ボウフラは、ミニョン星で得た“音と香りの記録素子”を取り出した。
それを軌道上の微細粒子に託し、静かに放出する。
素子は音を立てずに崩れた。
その断片が空中に淡い残香を描く。
甘くも苦くもない、ただの記憶の匂い。
——その瞬間。
星の表面に、わずかな変化が生じた。
一つの影が、ゆらぎのように浮かび上がる。
それは形を持たず、しかし存在の“重さ”を感じさせた。
人のようでもあり、雲のようでもある。
影は何かを手渡すでもなく、言葉を発するでもなく、
ただ、ボウフラの前に立ち、そして消えた。
ピトピトがわずかに首を傾ける。
「何も……受け取ってないの? 交換、されなかったの?」
ボウフラはゆっくり通信を再開した。
その声は、無音の余韻を含んでいた。
「いや、記録が変わってる。データ構造に、“ノイズのような空白”が加わった。」
記録素子には、無音の波形だけが追加されていた。
そこには情報としての意味はなかった。
しかし解析ユニットは、それを“新しい体験”として認識していた。
「……これは、“沈黙の重さ”を受け取ったんだと思う。」
ボウフラの声は静かだった。
「何も言わない、という選択。それを、記憶することが“交換”なんだ。」
その瞬間、ボウフラの感動炉がゆっくりと点灯した。
出力はわずか0.1ボルト。
それでも、その光は揺らめくことなく、長く灯り続けた。
二体は、何も持ち帰っていないようでいて、
確かに「何か」を得ていた。
ピトピトが問いかける。
「こういうの、記録にどう書くの? “なにもない”って?」
「“なにもなかった”という出来事が、“あった”。」
ボウフラの返答は淡々としていた。
「それを、きちんと保存する。」
マリナーテの青は、静かに二体の影を吸いこんでいく。
そして、彼らは次の座標を設定した。
1ミリの時空スリップ。
行き先は——記憶と物質が曖昧に交わる惑星、モネール。
そこでは、“思い出”と“実体”の交換が行われているという。
二体は光の波の中で消えた。
沈黙の重さを携えながら。




