【エピソード12:スリップ転位と、1ミリの決意】
──舞台:転位宙域。
あらゆる星の重力が「等価に遠い」空間。
光も、音も、思考も、わずかに滞る無音の海。
ピトピト:
「……ここ、好きじゃないな。
何も掴めない。上も下も、時間の流れさえない気がする。」
ボウフラ:
「“転位宙域”は、宇宙の縫い目のような場所だ。
ここでなら、どんな方向へも、わずか1ミリのズレで跳べる。」
ピトピト:
「1ミリで、何万光年……。
でも、あんたの“1ミリ”って、いつも重たいんだよね。」
(ピトピトは、機体の外壁に指先を当てる。
そこにはミニョン星でもらった“音と香りの記録素子”が埋め込まれていた。)
ピトピト:
「まだ震えてる。あの星の匂いが、少しだけ残ってる。」
ボウフラ:
(静かにうなずき)
「……次の行き先を示している。」
ピトピト:
「どんな場所?」
ボウフラ:
「“音が存在しない星”だ。
感動炉も、たぶん……ここでは灯らない。」
(短い沈黙。ピトピトが羽音をひとつ震わせる。)
ピトピト:
「音がないって……どうやって話すの?
どうやって“交換”するの?」
ボウフラ:
「わからない。
けれど、“感じる”ことは消えないはずだ。」
ピトピト:
「……あんた、またそうやって行くんでしょ?
こわいのに、止まらないんだもんね。」
ボウフラ:
「1ミリだけ、動いてみるよ。」
(ボウフラの機体がわずかに振動する。
ナノアクチュエーターが作動し、空間が“きしむ”。
宇宙の糸が一瞬だけ、たわむ。)
ピトピト:
「待って! ……ほんとに行くの? この静けさの奥に?」
ボウフラ:
「“沈黙との交換”が、待っている気がする。」
(ボウフラは、そっと“1ミリ”だけ位相をずらす。)
──宇宙が跳ねた。
星々の重力の網がほどけ、
銀河の流れが反転し、
二人は“音”そのものが存在しない世界へ滑り落ちる。
〈目的地:静寂星マリナーテ〉
──そこでは、言葉は存在しない。
ただ、記憶の残像だけが、やわらかく漂っている。
ピトピト:
「……ここ、静かすぎる。
ねえ、ボウフラ。いるの?」
(返事はない。けれど、ボウフラの存在が“記憶”として胸に響く。)
ピトピト(小さく):
「これが、“沈黙との交換”なんだね……。」
(光が波紋のように広がり、二人の輪郭が記憶の海へと溶けていく。)




