13話
目を覚ますと、そこにはいつも通りの景色が広がっていた。
だからこそ違和感を覚えた。
なぜなら、本来自分はここにいるはずがないのだから。
ここにいてはいけないはずなのだから。
「夢なのでしょうか」
さらに、違和感は強くなる。
窓から差し込む光は、何十年ぶりかの陽光だった。
思わず、目を細める。
それは、この影の国には差し込むはずのない、自然な光。
くらと酩酊にも似た感覚を味わいながら、彼女は部屋を出る。
すると、偶然廊下を走りがかっていた者と目が合った。
「どうして、どうしてあなたがここに……?」
その者は信じられないといった様子で、目を見開いた。
手からばさりと複数の書類が床に落ちる。
「ノクスヴェーレに囚われているはずではなかったのですか……?────ノルヴィス教団長……!?」
「報告感謝します、シュトラープケ。そして、ミリヤ・スティールフォーレの確保、お疲れ様でした」
「はっ!」
「置かれた状況については、概ね理解しました。……どうやら、夢ではなさそうですね」
夢の中のように、現実味のない状況ではあるが。
教典に加え、魔導書の消失。学院長の殺害。
教団の本部だけ、地上への浮上。
そして、ノクスヴェーレで囚われていたはずのこの身も、浮上したその本部へと。
国側との連絡手段は途絶。
こちらから入国することもできない。
「魔導書が燃やされるなどをされれば、浮上するのは国ごとのはずです。にもかかわらず、実際には教団の本部だけ」
「と、言うと?」
「魔導書は現存している。つまり、────これは意図的に引き起こされたということです」
シュトラープケの顔が青ざめていく。
「でも、そんなことどうやって……」
「可能性として考えられるのは、魔導書に残されたリューベルク様の魔力を用いた」
「それって、影の魔法を使ったっていうことになるけど!?」
「そう言っているのです、シュトラープケ」
「いやいや、そんなこと……」
そんなことができるのは、魔法使いか、それに値するレベルの魔女。
すぐに思い当たるのはルクラット・アデンスフィアだが。
彼女は今もこの地下に囚えている。
アデンスフィアの残党か。
となれば、それが可能な者がいたかどうかだが。
そもそも、ここまでする必要があるのか。
いずれにせよ、内部の事情に精通している者に間違いはないだろう。
……犯人が一人の場合は。
複数人だと仮定してみる。
その場合に、影の国から教団のみを地上に浮上させることが可能な者がいるかどうか。
「(……いますね。これだけのことが可能な魔女が。むしろ、彼女によるものと考えた方が自然なほどです)」
だとしても、妙なことには変わらない。
なぜならそれは、手を貸したということにほかならないからだ。
……一体、どういう心境の変化だというのか。
「目的はここを潰すこと……? そのために、分断した……!?」
「だとすれば、私をここに移動させた理由はなんでしょう」
単なる挑発か。誘導か。それとも罠か。
そこまで考えたところで。
「ノルヴィス様! シュトラープケ様! ご報告があります!!」
二人のいる部屋に飛び込んできたのは汗だくになった見張りの者。
ここまで、走ってきたのだろう。
肩で息をしながら、焦燥しきったその表情。
良い予感はしなかった。
「……魔女が」
そこで、言葉を区切る。
彼女はごくりと喉を鳴らしてから。
もう一度。
「正面玄関に、西の魔女が現れました!!」
「教団の本部が地上に現れた!?」
バームガルトの執務室。
彼女から話を聞いて、あかりは驚愕した。
「それどころか、わしらが地上へと向かうための道が、塞がれてしまっているんじゃ」
「教団の仕業……!?」
「原因は不明じゃが、教団によるものとは考えにくい。むしろ、やつらにとっても予想外の事態であるはずじゃ」
「どういう意味……?」
「ミリヤとルクラット様の身柄を確保しておくことが目的なのであれば、わざわざ多くのリスクを背負ってまで地上に出る必要はないんじゃ。聖女などが襲いに来る可能性があるからの。情報の少ない者たちの前に身を晒すよりも、すでに情報のある国内の者たちへの対抗手段を考えた方が妥当じゃ。それに、実行するにしても、何の声明もなく、こちらからの連絡も繋がらないのは明らかにおかしい」
「その間に、ミリヤちゃんとルクラットさんが処刑されてしまったら……」
「教団は公開処刑をすると言っておったんじゃろう」
「うん……。それで国中の不安を和らげるって」
「ということは、この状況でやつらが処刑を強行するという可能性は限りなく低いじゃろうな」
「……! むしろ、こちらに戻ってこない限り、二人は安全……!?」
「じゃが、それはあくまでも、教団だけを考えればの話じゃ。それを実行した者の目的がわからない以上、安心はできん」
しばらく俯いて、黙り込んでいたあかり。
だが、突然顔を上げると、扉の方へと走り出した。
「どこへ行くつもりじゃ!?」
「リューベルクのところ!」
振り返らないまま、扉に手をかけようとする。
「行ってどうする!?」
「決まってる! 事態を収集してもらうの! 教団をこっちに戻してもらったうえで、処刑を止めさせる!」
「試練を中断させるつもりか!」
「当たり前じゃん! やってる場合じゃない!」
「それが相手の目的かもしれんのじゃぞ!」
「どうってことないでしょ!? 私が来たときにも中断してくれていたし!」
「試練の中断はあくまでの自らの意思でなければならんのじゃ! 外的要因による強制中断の反動は計り知れん! 万が一のことがあったら、お主は責任を取れるのか!?」
「そんなこと言ったら、何もできないじゃん!」
言葉による制止を振り切り、再度手をかけようとする。
しかし。
その手首が掴まれた。
「落ち着け」
「……何のつもりですか」
正体は、バルロットだった。
振りほどこうにも、腕は石にでもなってしまったかのように動かせない。
「バルロットさんだって、今すぐ教団と戦いたいんですよね? 復讐したいって、そうしないと耐えられないって、言っていたじゃないですか」
「その通りだ。今だって、腸が煮えくり返るほどの気持ちなことに違いはねえ。だがな、状況が変わった」
力強い目とは裏腹に、その声調は落ち着いていた。
思えば、この場に来てから、彼女は人が変わったかのように大人しく。
そして、ずっと黙り込んでいたままだった。
「……根っこは思った以上に深いのかもしれねえ」
そうぽつりと言葉をこぼし、手を離す。
眉をひそめるあかりに対し、差し出したもの。
それは手鏡だった。
「映像伝達の鏡じゃ」
こちらに歩み寄りながら、バームガルトが説明する。
覗き込んでも、確かに映っているのは自分の顔ではなく、何かの映像だった。
「見せても良いのか?」
「構いません。じきにこちらにも拡散されるでしょうから」
「(拡散……?)」
表現に疑問を覚えながらも、鏡に目を凝らす。
二人の人物が会話をしている映像のようだったが、その姿は小さく、顔までははっきりと視認できない。
随分と距離がある位置から撮られたものなのだろう。
だが、その内の一人の容姿に、あかりは見覚えがあった。
「スージラメア、さん……?」
どうして彼女が映っているのだろうか。
そして、その場にいるもう一人。
記憶には薄いが、そちらの方にも見覚えがあった。
「もう一人はトルジラメアのようじゃな」
同じく、鏡を覗き込んできたバームガルト。
そうだ。
トルジラメア・レプシュネル。
スージラメアの母親にして、現在の魔術商会長。
彼女の家で開かれたパーティーに自分は招待されたのだ。
何を会話しているのか。
鏡からは微かに声が聞こえる。
だが、その音量は内容がギリギリ聞き取れないほどの小ささ。
そのとき。
映像の中で、トルジラメアが何かを指でつまみ上げた。
「本……?」
あかりは疑問の声を漏らす。
『そう、これは教典。それも教団が血眼になって探している教典の「原本」』
辛うじて。
『教団長は囚われの身。学院長は死亡。魔導書も消失し、リューベルク様はお部屋に籠もられておられる』
聞こえてきた声は続く。
『この状況で、一番『力』を持っているのはどこの組織でありんしょう』
そして。
『────北の魔女になるのは、わっちでありんす』
それっきり、映像は途絶え。
後に残ったのは、あまりにも間が抜けた自分の顔だった。
「……今朝、商会の者が連絡を取り合うために持っている鏡に、この映像が流れた。発信者は不明だ」
「発信者が商会長本人っていう線は……?」
「なら、自分だけを映してそう宣言すればいい。わざわざ会話の場面を、しかも遠くから撮影することなんて回りくどいことはしないだろ」
「リーク映像……!?」
「その可能性が高いだろうな」
あかりは喉の奥がひりつくような感覚を覚えた。
「……影の国を混乱に陥れている一連の出来事は、商会長によるものってことなのかな」
「だが、商会にこれら全てのことを起こせるほどの力があるとは思えねえ」
「誰か協力者がいるってこと……? もしくは、全ての犯人が別々とか……? 商会長の仕業なのは、教典だけだったり……」
だが、自分でも話していて思った。
後者だとすれば、偶然があまりにも重なりすぎることに。
そうなるとやはり、それだけの力を持った者が、協力者として。
……本当に、そうなのか。
バームガルトは腕を組み、低く唸る。
「にしても、発信者の方も引っかかる。教団の本部が地上に現れたこのタイミングでの流出。その目的は何じゃ」
溢れ出る疑問に飲み込まれ、思考が上手くまとまらない。
そのとき、今度はバルロットが扉に手をかけた。
「バルロットさん……?」
「トルジラメア様のところに行く」
扉が、ゆっくりと開いていく。
「────俺は、俺が本当に戦うべき相手を自分の目で見定めたい」




