12話
「とにかく、私はそいつの名前を魔力には変換しない」
解放された名無しの魔女を連れて、一行はダレンの家に戻ってきた。
彼女に対し、協力の申し出を続けていたが、その答えは依然として変わらず。
「お前ら程度の存在であれば、親族との関係性が消える程度で済む。そいつ自身が残してきた情報は残るから。だから協力してやった。けど、そいつの場合は自分自身の痕跡も消えるはず。自分すらも自分のことを忘れてしまう。完全に世界から孤立してしまうんだよ。……そんな気持ちを味わわせたくない。あいつの子どもであればなおさら」
椅子の上で体育座りをしながら、俯き加減の彼女は、言葉を漏らす。
病的なまでに白くて細い素足が裾から覗いた。
「ということは、なーちゃんも北の魔女だった。もしくは、それに匹敵するほどの影響力がある名前だったってことかな?」
味わわせたくない。
ということは、自分自身に経験があるということか。
そもそも、3人の名前を変換しても、追い返すのがやっとだった西の魔女を、彼女は自分の名前のみで弱らせるまでに至った。
となれば、そのレベルの存在であったことは自明の理。
「……わからない。自分のことなんて、何一つ思い出せない」
やはりか。
「だからこそ、手を差し伸べてくれたハンブラッドに救われた。何者でもない私のことを最初に見つけてくれ、存在を認めてくれ、必要としてくれたから」
一瞬、彼女はこちらの方を見たが、これまでのように自分の膝へと視線を落とした。
「できれば、お前たちにはあの日変換してやった魔力で、西の魔女への対抗ではなく、ハンブラッドの命を救ってほしかった。……でも、わかってる。あいつがそれをよしとせず、自分以外を優先するようなやつであることも。だから、お前たちのことを憎んではいないよ」
ハンブラッド・アデンスフィアは、自分の命よりも、国の未来。
そして、子どもたちのことを優先した。
「他に私にできることなら、可能な限り協力する。ハンブラッドの娘を救うためならな」
そこで、三人の視線がダレンに集中した。
おそらくは、彼の判断を求めているのだろう。
「……わかった。だがそれは、この場での変換については、だ」
その返答に、名無しの魔女が顔を上げる。
「あいつの命が今まさに失われそうになったのなら、そのときは俺の指示で変換しろ」
「それは……」
「俺のことを心配してくれることには感謝する。だが、俺は我が身惜しさであいつを見殺しにする気はない。その末に、あいつが俺のことを忘れてしまってもだ」
「……」
「命を繋いでもらったから自分もそうしなければいけない? ふざけるな。そんなもの、美徳でもなんでもない。むしろ、そうして救われた者も縛り付ける呪いだ。母親だってそんなことをさせるために生かしたわけじゃないだろう」
彼は机に肘をつき、額に手を添える。
「あいつは救われたあの日から、ずっと自分の死に場所を求めている。死ぬために生きている状態だ。むしろ、死ぬことに希望を見出している。誰かのために自分の命を使うことが美しいことだと思いこんでいる。……そうでなければ、母親の死。そして、これまでの生活を受け入れることができなかったんだろう」
「ダレン様……」
「そういった思いを抱えていることは知っていた。だが、それがここまで強いものだったとは思っていなかった」
ダレンの目から、涙が一筋流れていた。
「残された側から考えれば、自ら誰かの犠牲になって死ぬことは、美しいことなんかじゃない。今こうして生きている弟の俺に対する裏切りだ。……俺を残して、勝手に人生に満足した気になって死んでいくなんて、そんなこと許せない」
「……けど、お互いが姉弟だと認識できなくなるんだぞ。それなのに、生きていればそれでいいって、そう言うの?」
「むしろ、生きた誰かによって救われたという記憶を植え付けることで、その呪いを上書きしてやる。生きる希望を灯せるのなら、俺が何者でもない存在になる程度、安いもんさ。どれだけ希おうとも、俺自身では成し遂げられないことだからな」
そう言い終わると。
ダレンの背後から茨の魔女が腕を回す。
「……何のつもりだ」
そして、優しく抱きしめた。
「私たちは坊のその選択を尊重するよ」
「だから、何のつもりだと聞いている」
「忘れないでいてほしい。私たちもいるということを。でも、それは引き止めるためじゃない。背中を押すためさ」
そこで、ダレンは後ろを振り返る。
背後に立っている色彩の魔女は頷き、お菓子の魔女は親指を立てる。
二人とも笑顔でこちらを見下ろしていた。
同時に、その表情からは、意志を感じた。
自分の意志でここにいるという意志を。
茨の魔女は彼の指に自分のそれを絡める。
そして、解きほぐしていく。
握りしめたその拳を。
ゆっくりと、一本一本を。
「どれだけ時間が経過しようとも、私たちにとって、坊は坊なのさ。だから、遠慮なく頼っていいんだからね」
「俺はもう白髪の混じったジジイだ。子ども扱いするな。それに、言われなくてもわかってる」
「つれないねぇ。私に惚れて、覚えたての魔女語で話しかけてきた頃の坊はあんなにも可愛かったというのに」
「……おい。それはもう忘れろ」
「ああ、でも──」
彼の横顔に、鼻を近づけ。
「……確かに、少し加齢臭がするさね」
「おい! いい加減にしろ!!」
腕を振りほどき、立ち上がり憤るダレン。
ころころと笑う茨の魔女。
手を叩いて喜ぶお菓子の魔女。
苦笑いの色彩の魔女。
その様子を見て、名無しの魔女は再び目を伏せる。
「(どれだけ言っても聞かないのは、親譲りか)」
だが、その口元には緩やかな笑みが広がっていた。
「(……でも、どんな状況でも前向きに考えているのも、親譲りだな)」
そして、同時にこう考えた。
「(私も、そんな風に前向きな思いで名前を失ったのだとしたら────)」
「西の魔女は、影の国付近で待機していろって言っていたけど……」
そう呟いたマーガレットの声には困惑の色が滲んでいた。
「……まさか、本当に地上に浮上するとは思わなかったな」
異常な量の魔力の振動。
それを感じて訪れたダレンたちの目に映ったのは、ゴシック様式の巨大な建物だった。
位置的には、影の国の中心部があるはずのところだ。
その建物には見覚えがあった。
「魔術教団の本部さね」
「……西の魔女がこれをしたっていうことなのかしら」
「私じゃないわ」
声に振り返れば、そこには西の魔女がいた。
名無しの魔女は敵意を剥き出しにする。
だが、前のように攻撃することはせず、それのみに留めていた。
「攻撃は無駄だと理解したの? お利口さんになったじゃない」
「相変わらず、後ろを取るのが好きみたいだねえ」
茨の魔女が声をかけたその瞬間。
西の魔女の目つきが険しくなった。
「随分と私は嫌われてしまったみたいさね。何か気に障ることでもしてしまったかい?」
「……黙れ」
「おや」
「ま、まあまあ……」
両者の間をマーガレットが取り持とうとする。
「なら、一体これは誰による仕業だと言うんだ」
「そこまで教えてあげないとわからない? 辿り着くヒントならもうすでにあげているんだけど」
ダレンの質問に対し、彼女は指先で髪の毛をいじりながら、つまらなそうに返答する。
「私がしてあげたのは、他の邪魔者がこちらに来ないようにすることだけ。だから、あなたたちはルクラット・アデンスフィアを救出することだけに意識を向けていればいい」
指を離したことで、元の位置に戻る髪の毛が揺れた。
「舞台は整えた。陽動までは協力してあげる。だけど、その後はあなたたちの努力次第。……せいぜい失望させないでちょうだい?」
西の魔女に背を向けてダレンは歩き出す。
やがて、それに続いてくる足音が複数。
そのとき、空から、はらと白雪が降り始めていることに気が付いた。
吸い込めば、肺に突き刺さる空気の中。
肌に触れたそれはすぐに溶けて消えていく。
一瞬の冷たさ。
だが、確実に温もりを奪っていく。
────それは、終わりが近付きつつあることを予感させた。




