15話
────北の魔女直下軍 ノクスヴェーレ所管
軍事拘禁施設 『影の誓牢』内
「……何の咎があって、私はこのような目に遭っているのでしょう」
牢獄の中。
女は自らに厳重に巻きつけられた鎖を眺めながらそう呟いた。
「あなたが協会との同盟を反故にするような真似をし、また、商会側に対して襲撃を仕掛けたからだ────ノルヴィス教団長」
通路側。
檻越しにその様子を見下ろしながら、冷たく言い放ったのはハルバドルだった。
彼女の背後には、二人の者が有事に備えて付き添っている。
「歪みはすでにもたらされています」
「……教典の内容か」
「私はその原因を取り除くために行動しているだけです」
「では、どのような歪みがもたらされているのだ」
ノルヴィスはまっすぐとハルバドルを見据えた。
その視線には、芯があった。
揺るぎない信念が。
絶対的な正義の確信が。
間違っているのはこちら側ではないかと思わされるほどに。
さすがにそれだけの地位を築いてきただけのことはある。
だが、それに心が動かされるような素直さは、生憎と遠く昔に置いてきてしまった。
「────教典の原本が消失しました」
「……!」
「ミリヤ・スティールフォーレはやはりあの町で殺しておくべきだったのです。……学院が匿っているのでしょう?」
「どうだろうな」
「歪みは広がり、新たな歪みをもたらします」
「いや、それは違う。歪みをもたらしているのはあなたたちだ。町を襲ったのも、商会を襲撃したのもあなたたちが元凶だ」
「そう簡単に理解を得られるなどとは思っていません。こうなることも想定済みです」
「どのような思想を持っていようが自由だ。しかし、国家である以上、現北の魔女であるリューベルク様の方針に背く行為を容認することはできない」
「……じきにわかりますよ。何が正しくて、何が間違っているのかが。ですが、その時が訪れても、私たちはあなた方を責めません。私たちも、あなたたちも、この国を守りたいという思いは同じなのですから。その思いさえ同じであれば、むしろ、それまでの意見の対立は、強固な結束への糧となるでしょう」
そう微笑む彼女の顔は。
全てを包み込むように柔らかで、温かだったが。
その過程でもたらされる痛みや苦しみを肯定的に捉えていることを考えると。
どうにも気味が悪く思えて仕方がなかった。
この国を守りたい。
確かにその思いは共通しているのだろう。
だが、その決定的な違いは。
彼女たちが真に見ているのは、初代北の魔女だということ。
リューベルク様は単なる現北の魔女。
守るその先で、リューベルク様に刃を向けることになるのなら、私は────。
「リューベルク様による処分が決定されるまで、あなたにはここにいていただく。ただ、それが重いものになることは避けられないだろう」
「それはいつ頃になりそうでしょうか」
「あの方が、試練を終えるまでだ。それがいつになるかはわからない」
「……少し早すぎましたね、魔法を継承するのが。そして、北の魔女になるのが」
「それはあなたが決めることではない」
「話は戻りますが、誰が教典を盗んだかについては、目星がついているんです」
「今までのあなたの話からすると、それはミリヤ・スティールフォーレではないのか」
「いいえ、それは違うのです。あの町で彼女の排除を妨げた存在。もしくはその関係者が犯人であると考えています。もちろん、バームガルト様だとは思っていません。あの方は現にあの状態ですから」
「……まさか、浜野田あかり様とでもいうつもりか。あのお方は──」
「ええ、ええ。わかっています。あかり様でもありません。教典の内容を知っているはずがありませんから」
「教典の内容?」
「ええ。教典の内容を知ったうえで、ミリヤ・スティールフォーレの存在に乗じ、この国を混乱に陥れる卑劣な犯行です」
「なら、誰が──」
「──アデンスフィアの残党です」
アデンスフィア。
オーガルフェルデン家の前に北の魔女の座に就いていた。
「あの町に派遣したヴァイラーヌとアリュールとの連絡が途絶えたため、私は調査隊を派遣しました。結果的に二人は殺害されていたわけですが。それを確認した際、調査隊に接触をしてきた者がいました。そして、その者は自らの手によって、二人を殺害したと主張したのです」
「……!」
「現在、その者の身柄は教団で拘束しています。ですが、実際には殺害に他の者も関与していて、奪われた教典は彼女の身柄の解放との取引に用いられるのではないかと私は見ています」
身柄を拘束されている者は、他の者たちを庇ったということか。
「ふふっ」
「……何がおかしい」
ノルヴィスは壁に背中を預けた。
ちゃりと、鎖の擦れる音がする。
そして、首の力を抜いたことで、だらりと頭が傾いた。
垂れ下がった髪の毛の隙間からこちらを覗く目。
見下ろしているのは確かにこちらのはずだ。
にもかかわらず。
見下ろされているのはこちらだと。
そう思わせるような。
「────私と彼女。先に終わるのは、どちらの命でしょうね?」
「……暇だなぁ」
あかりは室内でそうぼやいた。
教団による商会襲撃から数日が経過した。
身の安全のため、城からは出ないように指示を受けている。
それはもっともな判断だ。
自惚れているわけではないが、この身に危険があれば、協会との関係に軋轢が生じる可能性がある。
……そうはわかっているのだが。
流石に退屈の気持ちが勝ってきた。
ただ、全く城から出ないようにと指示されているわけではない。
唯一、外出を許可されている場所がある。
あるには、あるのだが。
「……邪魔しちゃ悪いもんね」
その場所とは学院。
教団に対し、厳重な警戒態勢を敷いている学院であれば、安全に出入りができるとのこと。
だが、ミリヤは所属する寮を見定めている真っ最中。
それは、彼女の魔女人生を左右する重要な決断となるだろう。
自分が訪れることで、その時間を奪ってしまうのは気が引けた。
「あかり様、あかり様! 朗報です! 朗報ですよ、あかり様!」
盛大なノック音とともにはつらつとした声が聞こえてくる。
ドアを開くと、そこにいたのは、城内生活で仲良くなったメイドの一人が。
狐を彷彿とさせる耳と尻尾と携えた特徴的な容姿。
今もブンブンと尻尾を振っている元気いっぱいな様子を見ていると、マゴットを思い出す。
パーティー以降会っていないが、彼女もきっと頑張っているのだろう。
あのお姉さんともいずれ上手くやっていけるといいのだが。
頑張っているミリヤとマゴット。
それに引き換え、今もこうしている自分。
思わず、ため息が出そうになった。
「その曇った表情も、晴れ模様になるでしょう、でしょう!」
「あ、すみません。表情に出てしまっていましたか。それで、朗報とは一体?」
「なんとなんと、──バームガルト様が今朝、目を覚まされたそうです!」
「バームガルトさん!」
報告を聞いて、いてもたってもいられなくなったあかりは救護棟を訪れた。
姿を目にすると、一目散に駆け寄って、その小柄な体を抱きしめる。
「おお、あかりか。……無事なようでなによりじゃ」
ベッドから上半身を起こした状態で、バームガルトもあかりのことを抱きしめ返した。
「今しがた事情聴取が終わったところでな。ちょうど良いときに来たの」
「ごめんなさい! 私たちを庇って、バームガルトさんは……!」
「よせよせ、子どもたちを守るのは大人として当然の役目じゃ」
泣きじゃくるあかりの頭を撫でながら、穏やかな声色でそう話す。
しばらくそうした後、落ち着いてきたあかりを見て、バームガルトは口を開いた。
「……レイギベルトから状況は聞いた。よく頑張ったな、あかり。ミリヤを無事に学院へ送り届けてくれて、感謝するぞ」
「ぐすっ、うん……」
「お主にも話しておかなければならん。あの後、何があったのかを」
そうだ。
彼女の傷は致命傷だったはず。
にもかかわらず、発見されたときには傷一つもなかったという。
あの赤い天使はどうなった。
それに、マーガレットさんたちの行方は。
喉が乾いていくのを感じた。
「そもそも、わしが今日まで意識を失っていたのは、怪我のせいではない」
「……どういうこと?」
「────わしは一度怪我の治療をされた後、そのままその者によって、意識を失わされていたんじゃ」
「何の、ために……?」
「あの方は影の国を離れたあやつらを庇うおつもりなんじゃ。ミリヤを守るために教団と争ったのは、わしとお主、そしてご自身の3名のみだと主張するためにな。そのために、わしの存在は邪魔だった。そういうことじゃろう」
話の中であかりは違和感を覚えた。
「あの方……?」
バームガルトは頷く。
「────ルクラット・アデンスフィア。二代前の北の魔女、ハンブラッド・アデンスフィア様の御息女じゃ」




