6話
ガタン ガタン ガタタン ガタン
ガタッ、と一際大きな振動を後頭部に感じ、驚いたように目を覚ます。
良い目覚めとは言えない。起きる時は、ゆっくりと起きたいものだ。
外は夜に包まれて、すっかり暗くなっていた。
線路近くに生えている木々の枝が、電車を捕らえようと手を伸ばすかの如く車体や窓にぶつかり、ピシピシと音を立てている。
車内を蛍光灯が照らしているが、所々電気の切れているものが存在し、快適とは言い難い。
「いない」
周囲を見渡すが、少女の姿はなかった。
他の乗客も依然としておらず、世界に取り残されたような気分に陥る。
「痛い、な」
原始的な方法であるが、自分の頬をつねってみた。
夢の中であれば、痛みを感じないものだと思っていたが。最新の夢も進化しているということだろうか。
それとも、この世界が現実ということなのだろうか。
首を伸ばして車両の連結部から見るに、この電車は二両編成。
そして、あかりはその先頭車両にいた。
ため息をつき、少し乱暴に座り直す。
そして、鼻をすする。
我慢しようと上を向くが、溢れ出る涙を止めることはできなかった。
たとえあれが夢の中であろうと、親友が目の前で自ら命を絶つ瞬間は、衝撃だった。
「ななみ……」
そこで、電車が減速を始める。どうやら次の駅に着いたらしい。開くドア。乗車する客はいない。
自分は一体どこに向かっているのだろう。この電車はどこが終着駅なのだろうか。
窓の覗く夜空には満点の星が散りばめられていた。都会では見ることのないその光景に、しばし心を奪われた。
さつきが来れば喜んでくれただろうか。いや、彼女は星を見ることが目的ではなく、他者との交流があの部活に入ったのが目的か。
でも、この空を眺められれば、きっと喜んでくれるはず。
一向にして、ドアが閉まって発車する気配のない電車。
というか、運転士すらいないのであれば、この電車は自動運転なのだろうか。にしては、車体が古いような気がする。まあ、これも夢の中なのであれば、深く気にする必要もないか。
相変わらずこれが夢の中だという確信めいたものは自らの内に感じるが、それが本当だという根拠は見当たらなかった。
再度首を伸ばして進路方向を確認するが、線路は続いている。ここが終着駅というわけではなさそうだが。
「もしかして、ここで降りろって言われてる?」
気だるげに立ち上がり、声を漏らしながら、凝り固まった体を伸ばしていく。
腰をぽんぽんと拳で軽く叩き、ドアへと向かう。
「え!?」
思わず目を疑った。
駅のホームには黒猫が座っていた。金色の瞳でこちらをじっと見つめている。
「あなたはもしかして校門で会った……?」
猫は返答をせずに見つめてから、無言で歩き出す。
だが、その場に立っているあかりを振り返り、立ち止まった。
「着いてこいってこと?」
まるで、どこかで見た物語のような展開だ。まさか、自分がその当事者になろうとは。
先導する猫の後を着いていく。
駅から少し歩くと、斜面があった。
あくびをしながら気だるそうに登っていく猫を見て、思わず微笑んでしまう。
なんだか人間のようだった。
『……ねえ、本当にそれってただの黒猫?』
そこで、あかりの足が止まる。
『……私の勘が正しいなら、あかりはもうその猫に会わない方がいいと思う。というか、会わないで』
止まったあかりに気が付いた黒猫は振り返る。
「あなたって、本当に猫?」
「……」
「……」
「にゃ~」
「信じて、いいんだよね……?」
「んにゃ」
明らかにこちらの言語を理解しているような振る舞いだ。
もはや、ただの猫ではないことは明白だが。
半信半疑で後を着いていくと、ぽつんと建ったとある一軒家に差し掛かる。
振り返れば、海を見下ろすことのできる理想的な家だ。
海面に映し出される月は波で揺らぎ、煌めいていた。
玄関ドアを猫は前足でコツコツとつついてこちらを見つめる。
「入れってこと? いやいや、夢の中とはいえ、流石に人の家だし」
すると、黒猫は座ったまま、前足を顔の前で合わせる。
いわゆる、お願いのポーズだ。
しばし、その行動に思考が停止する。
「……ハッ!」
我を取り戻す。
「そ、そんなことされても」
「にゃ~」
そう鳴いて、次にはそのポーズを保ったまま、くねくねと腰を左右に振り出す。
その体から、ハートマークが次々に飛び出していくのが見えた気がした。
「え、えぇ……」
困惑したが、その場で見続けているのは、なんとなくいたたまれない気持ちになった。
「わかった! わかったよ! あなたのお家の可能性もあるもんね!」
改めて見上げてみると、随分と洋風な家だった。
暗い色で塗られた壁に、装飾の施された重厚そうな木目調の玄関ドア。
ドアノブに手をやると、案外力を入れずとも開けることができた。
少しの隙間から黒猫は体をよじって器用に入っていく。
「お、お邪魔しま~す」
恐る恐る中へと入っていく。
歩みを進める度に床が軋む。
玄関には靴はなかったが、家主に気付かれたらどうしよう。
夢の中と言えど、そんな不安に襲われた。
「にゃ~」
こっちに来い。そう言っているかのようにこちらを呼ぶ黒猫の後を着いていく。
奥の台所にある壁をじっと見つめてから、こちらを振り返った。
レンガでできたなんの変哲もない壁だ。
「ただの壁でしょ?」
すると、猫は二本足で立ちながら、壁に触れ始める。
そして、やはりこちらを振り返った。
お前もやれと無言の圧力を感じる。
「触るだけでいいの?」
「ん~にゃ!」
押し込むようなジェスチャー。
「う、うん。やってはみるけどさ……」
押してはみるけど、やっぱり意味がなさそうだ。
というか、今ここで力が発動したら、家が崩れてしまうのではないか。
そう思いながらも、ペタペタと肉球で壁を押すのに集中している猫を見ると、自分もせずにはいられなかった。
「わ!?」
そして。そのうちの一つのレンガが壁に沈んだ。
「な、何!?」
すると、家が振動し、レンガの壁が徐々に開いていく。
やがて、地下へと繋がる階段が姿を現した。
「そ、そんな。あまりにも展開がベタすぎない!?」
返答を無視して、降りていく猫。
照明がないことが気になったが、不思議なことに猫が降りていくにつれ、壁にあった照明が点いていく。
センサーなのだろうか。にしては、あまりにも。いや、夢の中の出来事に突っ込むのは。でもさすがにこれは。
階段を降りていくと、案の定扉が現れる。
「あ~はいはい。開ければいいんでしょ」
年季の入った丸いドアノブに手をかけ、奥に押す。
隙間から溢れ出てくるようなその暗闇に頭がくらくらした。
だが、そこから猫が進む気配はない。
「ちょっと、私に先に行けってこと? 真っ暗なんだけど」
ギィと甲高い音を立てて開いていく。
見渡す限りの闇だった。とてもほこり臭い。
このままここにいても埒が明かない。全く気は乗らないが、この猫を満足させるため、つま先を踏み入れる。
その瞬間。
「ぐ、ぅッ……!?」
頭に鋭い痛みが走る。何かにぶつけたのか。違う。これは、頭の中からだ。
強烈な吐き気にめまいがする。
いつもの夢の終わりではない。あのときは、毎回眠気を感じていた。
「頭が、割れそう……!」
キッと猫を睨みつける。
「私に、何をしたの……!?」
猫は尻尾を揺らしこちらを見つめるばかり。
金色の目はビタリとこちらから視線を離さないまま。
薄れていく意識。
ハメられたのか。いつもとは違うこの感覚。これで、現実世界に戻ることができるのか。もしくは、戻れないまま、ここで終わりなのか。
嫌だ、そんなの。何もわからないまま。私の世界がめちゃくちゃにされたまま終わりなんて、あんまりではないか。
「このままじゃ……」
このままじゃ終われない。
途切れ行く意識の淵で、階段の上から誰かがこちらを見ている気がした。
見知らぬ天井。
目を開けた最初の感想がそれだった。
「あ、目が覚めた! サヤ様~!」
ドタドタと誰かが走っていく音がする。
声を漏らしながら、ベッドから体を起こし、周りを見渡してみる。
白を基調とした6畳にも満たなそうなコンパクトな部屋だ。
ベッドの他には机しかない。まるで、ホテルの一室のような。
どれほどの間、寝ていたのだろうか。とりあえず、自分はどうやら生きているらしいことがわかった。
スマホや荷物はない。最後に見た記憶は、ななみと屋上に行く前に教室に置いていったときか。
この部屋には時計がないため、正確な時間はわからないが、窓から差し込む光量からするに昼前といったところだろうか。
状況を整理する。
どこまでが現実なのか。夢なのかが曖昧になってきているが。体験した出来事を順番に並べてみる。
屋上からななみが飛び降りてから、力を使って意識を失った。黒猫と入った家で地下への扉を開けて、頭痛の末に意識を失った。
理解ができない。受け止めきれない。
だが、思い返しただけで、気分が悪くなってくることだけは確かだった。
そこへ、ドタドタとした足音が戻って来る。その足音は行きと異なり、もう1つ増えていた。
部屋に入ってきたのは、赤い髪をしたあかりと同じか少し下くらいの歳の女の子とスーツを着た背の高い大人の女性だった。
「良かった。目が覚めたのですね、あかりさん」
スーツの女性が話しかけてくる。
「どうして、私の名前を。というかここは……?」
「ここは私たちの本拠地となっている場所です。学校の屋上で意識を失っていたあなたを私たちが保護して、ここまで連れて来ました」
「学校……」
「あなたは二日間寝込んでいたんだよ」
「ふ、二日間も……?」
二日間も目が覚めずにここで寝ていたというのか。
病院というのなら、まだわかる。だが、なぜこんな場所に?
「あかりさん」
ベッドの脇にしゃがみ込み、目線が水平に合う。とても整った目鼻立ちをしていた。美人、その言葉がよく似合う容姿だ。
そして、おそらくその顔立ちからして、外国の血が入っていると思った。
「屋上で床に亀裂を入れたのは、あなたですね」
「──!」
心臓が跳ねる。見られていた。緊張で強張っていく体。本能的に逃げ場を探す。だが、すぐに逃げられそうなのは、彼女たちの入ってきたドアのみ。
「そんなに身構えなくても大丈夫。って言ったところで、信じられないよね」
「あなたたち、一体誰……?」
「申し遅れました。私は日向サヤと言います」
「私は赤内まつり」
名前を聞いた程度で警戒は解けない。
「何の目的で私をここに連れてきたの……?」
「あかりさん。私たちはあなたにその力を使いこなせるようになってほしいのです」
「私は床に亀裂なんて入れて──」
「私たちもあなたと同じような力を持っています」
「……え?」
「あかりさん、あなたは自分の力を知らなければなりません。そうでなければ、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまうのも時間の問題です」
「この力の正体が何なのか、知ってるの……!?」
「ええ、知っていますよ。私たちはその力の源を
────『魔力』と、そう呼称しています」
魔力。
魔法を使うためのもととなる力というのであれば、容易に想像ができるが。でも、そんなのファンタジーの中だけのお話だろう。そんなものを現実に持ち込んでしまっては。
思わず乾いた笑いが出てしまいそうになる。
「冗談、ですよね……?」
しかし、二人は依然として真剣な顔つきをしていた。そして、その次に聞かさせた内容は困惑しているあかりの顔をさらに引き攣らせた。
「もう一度言います。私の名前は日向サヤ、そしてこちらが赤内まつり。私たちは魔力を用いて魔術を行使する、現代に生ける『魔女』です」