9話
「両親も含めて、家にはおらんようじゃな。何か手がかりらしきものは見つかったか?」
あかりとバームガルトはミリヤの家を訪れていた。
インターホンを押そうとするあかりを無視して、緊急事態だからとバームガルトは窓を割って家の中に侵入。
申し訳なさを覚えつつも、あかりも後に続き、調査すること20分が経過していた。
「靴がないってことは、どこかに避難したっていうことなのかな」
「やはり気になるのは、家の前の血溜まりじゃ」
「でも、死体はないし。血の跡がどこかに続いている形跡もない。これは一体……?」
そこで、二人の耳に子どもの悲鳴が聞こえる。
目を見合わせた二人は急いで外へと駆けつける。
しかし。
「遅かったか……!」
ライオンの形をした怪物が幼い体を丸呑みにしていた。
本来の体の構造ではありえないほど口を開けて。
飲み込むと、その体は波立ちながら大きく膨れ上がり、変貌していく。
そうして、現れた怪物は。
「竜……!?」
「人間を取り込んでいるのか……!」
声に反応した竜はこちらの方を振り向く。
そして、咆哮をあげると、両翼をはためかせ始めた。
「来るぞ! 武器を構えろあかり!!」
あかりが右手を広げると、そこには熊の怪物を倒したときの剣が出現する。
先の戦いから、この剣は自分の意思に応じて、自在に出すことも消すこともできるようになっていた。
一閃。
近付いてきた竜の胸が切り裂かれる。
どういうわけか、この剣を使っての戦い方は何となく理解していた。
大きく仰け反る竜。
だが、傷が浅かったのか、消滅するには至らない。
そこで、もう一度剣を構える。
だが。
竜が。
「────ミリヤ」
あかりの目が大きく見開かれる。
硬直する体。
それは、時間にして1秒ほどであったが。
距離の近い竜が反撃をするには十分すぎる時間だった。
割って入ったバームガルトが剣を振るう。
切っ先が竜の首を捉え、体が霧散していく。
そして、こちらを振り向くと、大声であかりを叱責する。
「何してるんじゃ!」
「だって……、今……」
「今、なんじゃ!?」
「ミリヤって……。お父さんの、声で……」
そこではっとしたバームガルトの表情は、すぐに苦虫を噛み締めたものへと変わる。
「私たちが、今消したのって……」
「あかり」
「いや、それだけじゃない。これまで、消してきたその全ては──」
「あかり!」
あかりの目は戦意を喪失した目になっていた。
バームガルトは、あかりの両肩を持つ。
「私たちは、一体何と戦っているの……? 町の人を守ろうとして、でも、消してきたのも、町の人で……」
「戦いの最中に迷うな!」
その瞳に自分の存在を焼き付けるように。
「正体が何であれ、これまでの行動でお主が町の脅威を退けていることに変わりはない。そこに迷う余地などないはずじゃ」
「でも……」
「そうして迷っている間に、救えるはずの者たちも取りこぼす気か!」
「……」
わかっている。
わかっているよ。
でも、あいにくとこの心はそこまで強くは。
そこで、二人は耳にする。
「これは、鐘の音か……?」
「時計台の鐘じゃ、ない」
「ということは、────教会か!」
「天使様! 我々の天使様が戻って来てくださった!」
「どうか我々をお救いください! 天使様!」
「ああ! 天使様!」
「迷える子羊である我々をどうか!」
教会の礼拝堂。
ミリヤに向けて膝を折り、祈りを捧げる人々。
「……みんな勘違いしてるよ。私は天使様なんかじゃ──」
「いいえミリヤちゃん。あなたは天使様だったのよ。だって、背中の翼がその証拠でしょう?」
近所に住まう女性はそう声をかけてくる。
毎週末、天使様へ祈りを捧げに来ていた人々。
自分もその中の一員であったはずなのに、今、みんなはその祈りを自分に対して向けている。
異様な光景であった。
そして、この状況を作り出しているのは。
「(この翼は、一体なに……?)」
自分の意思で動かすことができるこの片翼。
だが、それ以外に体の変化はない。
祈りを捧げる彼らのためにできることなど何一つない。
天使はおろか、聖職者までも忽然と姿を消したこの教会。
かつて見たその姿は、まさに天使と呼ぶにふさわしい神聖な佇まいだったのを覚えている。
見せてくれた不思議な力は、私たちが存在を認めるには十分で。
だからこそ、自分は違うと確信をもって言えるのだった。
「こんなことをしている場合じゃないよ。こうしている時間にも……」
ふと頭をよぎるのは、家の前で怪物に襲われていた父親の姿。
凄惨な光景。
思わず吐き気を催してしまう。
「ミリヤ!」
抱きとめてくれたのは母親だった。
視界が滲んでいく。
「ねえ、お父さんは死んでしまったの……?」
「大丈夫。大丈夫よミリヤ。私の可愛いミリヤ」
「どうしてこんなことになっているの? これは夢なのかな。なら、どうしたら覚めるんだろう。私、何もわからなくて」
「私が産んだ天使様。私だけの、天使様」
そのつぶやきに、背筋がぞくりと。
「……お母さん?」
「あなたがいれば、あの人なんて──」
「──おい。あの母親、天使様を独占する気じゃないか?」
途端に立ち上がる人々。
状況が飲み込めていないミリヤは、ただそれを見ていることしかできなかった。
「天使様は、みんなの天使様でしょう?」
「母親という理由だけで、天使様を!」
「あいつを天使様から引き剥がせ!」
あかりとバームガルトが到着したとき、礼拝堂は大勢の人だかりで溢れかえっていた。
騒然としている場から察するに、どうやら中で揉め事が起きているようだ。
「実に醜い光景ですにゃあ」
その声を聞き、あかりはいつの間にか自分の隣にいた誰かに気が付いた。
修道服に身を包んだ女。
「ヴァストヴェーレは効率的に祈りを回収するため、ある共通の思いを抱えている人々をこの町に集めたんですにゃ。──それは、『過去に犯した罪からの解放を望んでいる人々』」
不敵な笑みを浮かべた彼女は群衆に人差し指を向ける。
「ヴァストヴェーレ亡き今、彼らは心にわだかまりを抱えていた。それは、自分たちは『天使様に見捨てられたのではないか』というものですにゃ。なればこそ、新たな『天使様』の誕生を逃すわけにはいかない。自分たちが縋り付く先を確保するため」
「新たな、天使の誕生……?」
「でも、そのためにこうして罪を重ねるとは。いやはや、どこまで行っても罪人は罪人なんですにゃあ」
「あなた、何を言って……」
「もうやめてよ!!!」
そこで、喧騒を引き裂く叫びを耳にする。
途端に人々の声が止み、一切の静寂がその場を包み込んだ。
その声に、あかりは聞き覚えがあった。
次に聞こえてきたのは、人の群れが尽く地面に倒れる音。
倒れた人々の先で、俯きながら泣いていたのは、探し求めていたミリヤの姿だった。
「ミリヤ、ちゃん……?」
「これはまた、凄まじい魔術ですにゃあ」
そう呟く女の横顔をバームガルトはじっと見つめていた。
「ミリヤちゃん!」
叫んで駆け寄るあかり。
そこで、背中に生えているもの目にする。
「それは、翼……!?」
「あかりおねえ、ちゃん」
「一体何があったの!?」
大粒の涙を流しながら、ミリヤは震える声で言葉を紡ぐ。
「おかあさん、死んじゃった」
そう言って指を指したのは、中央で血を流している母親の姿。
「みんなにいじめられて……。私が、天使様だって……」
「え……?」
「お父さんも、怪物に……。私が、悪い子だったから?」
「それはちが──」
「──そうにゃ。あれもこれも、全てはミリヤのせいにゃ」
入口から歩み寄るのは、修道服の女。
大きくスリットの入った裾から伸びる足。
ブーツの足音が礼拝堂でやけに響く。
ウィンプルを放ると、現れたのは獣の耳だった。
だがそれは、バームガルトのものとは異なる。
種類としては猫、だろうか。
そして、胸元から取り出した十字架の首飾り。
それに軽く口付けをして。
「怪しいとは思っていたけど、やっぱり魔女……!」
「その十字架、『魔術教団』の者か!」
女はいたずらっぽくちろと舌を見せる。
「いかにも。私は魔術教団第5席、ヴァイラーヌ。以後お見知りおきを、ですにゃ」
「魔術教団……?」
聞き慣れない名称に眉をひそめるあかり。
「北の魔女の組織は大きく分けて4つある! 北の魔女直下の機関、魔術学院、魔術商会、そして、最後がそやつの所属している──」
「魔術教団っていうわけですにゃ、浜野田あかり様」
今、「様」って言ったような。
聞き間違いだろうか。
「もしや、外の現象はお前の仕業というわけではあるまいな」
「ん~、『私の』仕業ではないですにゃ」
「なるほど。組織ぐるみというわけか……!」
ヴァイラーヌ。
そう名乗った女は腰に手を当て、今も陽光が差し込むステンドグラスを見上げた。
「────向こうは上手く足止めできているかにゃあ」




