4話
色彩の魔女────マーガレット・シフォン(偽名)のもとでアルバイトを始めてから、早いもので一週間の日々が過ぎ去っていた。
町で間借りした小さなオフィスで開業している心理カウンセリングの事業所。
その名前は、『魔女のお悩み相談室』。
まあ、大半の人間にはまさか本物だと思われていないんだろうけど……。
キャッチコピーは「あなたの色、見つけてみませんか?」らしい。
色彩の魔女。
それだけ聞いたときには、画家などの芸術系な印象を受けたが。
客が直接来訪することもあれば、パソコンを通じた診療、いわゆるオンライン診療なんかもやっている。
事前予約制ではあるが、連日予約はいっぱいだ。
それほどまでに需要があるらしい。
それはこの社会のせいなのか。はたまた、彼女の手腕によるものか。
だが、精神科医ではないため、薬の処方はしていない。
この事業所での私の仕事といえば、予約の処理などの受付業務が主なものだった。
ほかに従業員はいない。
二人でやれば、そこまで手がかかるものではなかったが、これまでこれを一人で捌いてきたとなれば、大変だったに違いない。
だが、彼女に雇う意思はなかった。
それについて、趣味程度の仕事に突き合わせるのは悪いと言ってはいたが、なんだか理由はそれだけではないような気がした。
仕事以外では彼女の身の回りの世話もしている。
衣食住を提供してもらっているのだから当然だ。
今日も起床後、二人分の食事の用意をしながら、ふと思う。
サヤさんたちとの暮らしである程度家事ができるようになっていて良かったと。
この家のWi-Fiを使わせもらい、スマホで彼女たちとは情報を共有している。
私があの子にここ──北欧の端っこに飛ばされてから、西の魔女と一緒にいた少女は宣戦布告をしたらしい。
そして、行動に移すまでに猶予期間を設けるとも。
期間は3年。その間に、私たちは彼女に打ち勝つための手段を用意する必要があると。
なぜ敵に塩を送るような真似をしたのか。
それは、単に西の魔女が本来の力をまだ取り戻しきれていないということもあるだろうが。
死力を持って戦いに備えた私たちに彼女たちが勝てば、この世界が間違っていることを証明できるからという言い分らしい。
努力が報われないのは間違っている。
善良な者が凌辱されるのは間違っている。
誰もが一度は思ったことがあるだろう。
だが、間違っているからとこの世界を終わらせるに足る力が彼女たち二人にあるのだとは未だに信じ難い。
……いずれにせよ、あの後そうしたことがあって東と北は同盟を結び、影の国に協会の司法部門を誘致することになったことは事実。
そして、北の魔女の勢力圏内で人間に迷惑をかけることを許さないようになったことも。
今後、サヤさんたちも影の国に視察で来るらしい。
その際、自分を迎えに行くとのこと。
だが、せっかくだし、彼女たちとは影の国で合流することにした。
マーガレットさんと相談しての結論だった。
とりあえずは1ヶ月間ここで仕事をして、給料をもらってから影の国を目指す。
文化の違いや土地を知ることは今後北の勢力との関係性を維持するうえでも、良い方向に作用するに違いない。
朝食の準備を終えると、ちょうどいいタイミングで部屋からマーガレットさんが出てくる。
「おはよう、あかりっち~」
「おはようございます」
いつの間にか、そんなあだ名で呼ばれていた。
「今日は訪問カウンセリングですね」
「うんうん! 交通事故に遭って脚に障害を抱えた車椅子の女の子でね。月に一度の定期訪問をしているんだ」
「どうしてオンライン診療ではないんですか?」
「向こうが直接会うことをご所望しているんだよね。随分と懐いてくれててさ」
「なるほど」
「あかりっちも今日は着いてきなよ」
「え? でも個人情報とかいろいろとあるからいつも通り私はその場にはいないほうがいいんじゃ……」
「大丈夫大丈夫! いつものカウンセリングとはちょっと違うから!」
「私のこと迷惑だと思ってるんでしょ! 死んだ方がマシだって!!」
家に着くなり、上の階から響いてきたのは怒鳴り声。
続いて聞こえてきたのは、ガラスが割れる音。
萎縮するあかりの横で、マーガレットは相談者の父親と話していた。
「ミリヤちゃん、相変わらずですねえ」
「ええ。やはり、体の自由が効かない悔しさで私たちに当たってくるんです」
今は家内に当たっていますと苦笑いを浮かべながら、頭をかく。
「私を頼ってもらえるのは嬉しいんですけど~、これはその場しのぎで根本的な解決にならないことはお分かりですよね?」
父親は顔を伏せながら、目を閉じる。
「はい、承知しています。ですが、現代の医療ではあの子の状態を改善することは不可能だと。ならば、できる限り、あの子の抱えている辛さを少しでも和らげてあげたい。その場しのぎでもなんでもいい。……訪問日数を増やす件はお考えいただけましたか」
「それは何度も言っている通り予約がいっぱいだから無理です。こればっかりはなんともできないんですよ」
「お金ならいくらでも積みますっ! あの子のためなら!」
「おそらくは、その覚悟も彼女の負担になっているものと思われます」
「……ッ!」
マーガレットの物言いは、普段の穏やかなものとは正反対で、突き放すような冷たいものだった。
きっと彼女にも考えがあるのだろうが……。
「ミリヤちゃんこんにちは」
「マーガレットさん!」
自室で車椅子に座った少女は目を輝かせる。
だが、目は少し赤みがかっており、さきほどまで泣いていたのだと察する。
「お姉さんは……?」
不安そうな顔であかりを見上げる。
「彼女はあかり、通称あかりっち。ミリヤちゃんと歳も近いし、いいお話相手になってくれると思うよ!」
「どうも、あかりっちです」
「────あかりお姉ちゃんも魔女なの?」
全身に電流が走るような衝撃に心臓が縮み上がった。
ガチガチに体が固まる。
「うんうん! 彼女も私と同じ魔女なんだよ? それにすっごい魔女なんだ! 時間を操ることができるんだってさ!」
「ちょ!? マーガレットさん!?!?!?」
「魔女のお悩み相談室だからね」
「いいなぁ。かっこいいなぁ!」
「それよりミリヤちゃん。さっきの音は花瓶を割っちゃったのかな?」
それを言われた途端、彼女はバツが悪そうな顔をする。
「だって、お母さんが……」
「あの花瓶、綺麗で私好きだったのにな~」
「……」
「ミリヤちゃんが好きな色と同じ、オレンジ色。それでいて、色付いていながらも透き通っていてさ」
「……ごめんなさい。私、悪い子だよね。わかっているの、パパとママが私を愛してくれていることは」
「うん」
「でも、だからこそ、負担になってしまっている今の状況が許せなくて。この先も負担ばっかりで、何も返してあげることができないのが許せなくて」
「うん」
「マーガレットさん、私どうすればいいのかな?」
「ん~。今のミリヤちゃんから見て、世界は何色かな?」
「世界の、色?」
きょとんとした顔で、言葉を繰り返す。
「うんうん。ちょっと考えてみてよ。少なくとも、好きなオレンジ色ではないよね?」
「うん。オレンジ色じゃ、ない……」
首を傾げながら考えるミリヤ。
「……灰色? 曇っている感じ、かなぁ」
「そっかそっかぁ。じゃあ、その理由を聞いてもいいかな?」
「黒く塗りつぶされているほど周囲が見えないわけじゃないけど、見渡せるほど澄んでいるわけでもないから」
「うん、ありがとう。そうしたら、いつものやってみようか」
「やったぁ! 月に一度の楽しみなんだ!」
「じゃあ、あかりっち。カーテンを締めてもらえるかな?」
そう言いながら、マーガレットはカバンから何かを取り出した。
それは刷毛。
戸惑いを覚えながらも、あかりは指示に従う。
その間、少女は天井を見上げていた。
暗くなる室内。
カーテンと窓の間から差し込む陽光で、辛うじて見えるマーガレットの姿。
そして、彼女はその刷毛を思い切り天井にめがけて振るった。
すると。
「え……?」
何もついていないはずの刷毛から、弧を描きながら、天井に絵の具のようなものが飛び散る。
それを何度も何度も繰り返す。
「わぁ、何度見ても綺麗……!」
すると、段々とそれは何かを形作っていく。
「これは、星空……?」
だが、不思議なのはそれがはっきりと見えていること。
描かれているはずの星々が光を放っていること。
隣の彼女の顔を見ると、ちろと舌を出して答えた。
「だって、私は色彩の魔女だからね。絵を描くことくらいお手の物だよん♪」
まさか、これは彼女の魔術なのか。
それを人間の前で行使している……?
こんな軽々しく見せていいものなのだろうか。
「ねえねえ」
そんなとき、ちょんちょんと突かれる。
「お姉ちゃんはどんな色が好きなの?」
ミリヤに尋ねられた。
「青色が好きかな」
「そうしたら、あかりっちは手には届かない遠いものを美しいと思っているのかもね」
「それはどうしてですか?」
「一見、青に見える海水も手で掬えば青くはなくなってしまう。青空も近付けば透き通ってしまう。青はそんな遠い色だから」
「あ、それどっかで聞いたことあるかも」
「日本のある詩人の言葉なんだ」
「じゃあ、反対の赤は近い色ってこと?」
ミリヤの発言に、マーガレットはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「そうだよ。ミリヤちゃんのその胸を切り開けばすぐ溢れ出てくる色だからねぇ!」
「マーガレットさんこわい~~~!」
室内には、穏やかな笑い声が響いていた。




