2話
「はぁ……はぁ……! ダレンさん、ちょっと待ってください……!」
前を歩く彼の背中を必死に追うあかりだったが、体力の限界だ。
振り返った彼の顔は相変わらず険しいものだった。
翌日、あかりはルクラットの指示を受けたダレンによって、影の国の入口へ連れて行ってもらえることになった。
いくつかの町を経由し、辿り着くらしい。
当のルクラットは体の調子が良くないため、家にいるとのことだった。
というよりも、元々彼女が家の外に出ることはないらしい。
彼女たちが住んでいたのは、山の上。
険しいその道なりは、降りていくだけでも体力が取られる。
「……お得意の魔術でも使って、身体を強化でもすればいい」
「そういうの、使えなくて……」
「基本的な魔術のはずだろう」
「あはは、面目ない……」
「……こっちに休憩できる場所がある。ついてこい」
そう言って再び歩き出す。
だが、ついていけるくらいの速度に落としてくれていた。
彼の背中に背負われたライフル型の猟銃を見つめる。
普段はきっと、猟師として生計を立てているのだろう。
魔女の姉と、人間の弟の二人きりの生活。
いつから、そうやって暮らしてきたのだろうか。
日本では、東の魔女の方針で、魔女と人間は切り離された関係だった。
住む場所が違えば文化が違う。考え方が違う。
それをあかりは実感した。
「うわぁ、すごい……!」
木々の合間を抜けると、開けた場所に出る。
とても見晴らしが良く、遠くに山々が広がっていた。
額に滲んだ汗を拭い、澄んだ空気を肺に溶け込ませる。
肌寒さを感じる風が今は気持ちよかった。
その時。
「……え?」
あかりの背中に硬い棒のようなものが押し当てられる。
「手を上げろ」
「ダレンさん……?」
「いいから手を上げろ!!」
突然の怒鳴り声に体がびくりと震えた。
そこで、背中に突きつけられているのが、猟銃であることを悟る。
彼がこんなことをしている理由はまったくわからない。
だが、とりあえずはこれ以上刺激しないように、大人しく指示に従う。
「……答えろ、お前の正体は何だ」
「冗談ですよね……?」
「それが、お前の答えでいいんだな」
背中に押し付けられた銃口。
それがいっそう強く押し付けられる。
「私は東の魔女連合協会所属の魔女。それは昨日お話したはずです……!」
「誰の差し金だ」
「どういう意味ですか」
「そうでなければ、こんなところに来るはずがないだろう!」
その声に驚いた鳥たちが飛び立つ。
ざわと木々が揺れる。
「だから、どういう……!」
「お前たちはどうして俺たちの生活を脅かす! 俺たちは二人きりで、大人しくこんな山奥で生活していただけなのに! これ以上俺たちから奪うな!」
錯乱状態なのか。
昨日とは一変して、感情的になっている。
にしては、主張がまとまっている気がした。
何か勘違いをしているようだ。
自分が彼らにとって有害な存在であると。
「これ以上、俺たちを追い詰めて何を得られる……!」
その声には、息苦しさが混じっているように感じた。
「ぐっ……!?」
その時、彼が呻く声が聞こえる。
「声が聞こえると思ったら、無抵抗の女の子いじめとは感心しないねえ」
背中に押し付けられた銃が地面に落ちた。
恐る恐るあかりは後ろに目を向ける。
女がいた。
ウェーブかかった緑髪を揺らしながら、微笑みかけてくる。
ダレンはその女を睨みつけた。
驚いたのは、彼の体。
彼の体中に巻き付いているのは茨。
無数の棘は皮膚に食い込み、所々からは血が滲み出している。
「お前は……!」
見れば、その女にも服の上から細い茨が巻き付いている。
だが、それはダレンのとは異なり、アクセサリー的な意味合いを感じさせた。
「坊、久し振りさね」
「茨の、魔女……!」
彼女はダレンの頭から爪先までをゆっくりと眺める。
「見ないうちに、随分と大人っぽくなっちゃって」
「嫌味か。……そうか、お前ら手を組んでいやがったのか」
「いや? 全く。彼女とは初対面。そして、彼女は坊が考えているようなこととは無関係さね」
「信じられるか」
「彼女を殺したら、お姉さんが悲しむんじゃないかい?」
「……」
「お姉さんが助けた意味が無くなってしまう」
「お前には関係のない話だ」
「私はこれ以上、坊には手を汚してほしくない」
「黙れ」
「彼女のことは私に任せて、坊はお家に帰りな」
瞬間。
ダレンは食い込む棘を無視して、腰からナイフを取り出す。
そして、自らに絡みついた茨に刃を沈ませると、一本であったそれはたちまちに霧散した。
そのまま間髪入れずに銃を取ると、銃口を女に向けて、引き金に指をかける。
「どうした、撃たないのかい?」
「……」
「別に坊に殺されるなら、私は構わないけど」
「……チッ! くそ!!」
そう吐き捨てると、ダレンはそのまま駆け出した。
それをどこか遠い目で眺めながら。
「……いつまで経っても、尻は青いまま。坊は坊さね」
「助けてくださりありがとうございました」
「坊のことが嫌いになったかい?」
特徴的なその呼び方。
おそらくはダレンのことを言っているのだろう。
「嫌い、というか。その、困惑しているというのが正直なところです。あの人、急にどうしちゃったんでしょう。私、何か気に障ることをしてしまったんでしょうか?」
「あんたは何も悪くないさ。ただ、坊はちょっと訳ありでね。お姉さん以外の魔女をよく思っていないんだ」
「単によく思っていないだけじゃ説明がつかないほどの反応でしたけど……」
「坊たちはね、先代の北の魔女が起こしたクーデターに巻き込まれて親を殺されている」
「……え?」
「今から40年以上前、今の北の魔女リューベルク・オーガルフェルデンの母親レイシャルク・オーガルフェルデンが地位に就くためのクーデターさね」
「そう、だったんですか」
「だから、坊はこれ以上奪われないよう、自分たちの居場所を守るのに必死なのさ」
『お前たちはどうして俺たちの生活を脅かす! 俺たちは二人きりで、大人しくこんな山奥で生活していただけなのに! これ以上俺たちから奪うな!』
そういうことだったのか。
辺境で生活していた彼らのもとに突然現れた私の目的が、自分たちを狙うことだと思い込んでいた。
それに、リューベルクの名前を出したこと。
それが、さらに火に油を注ぐ結果になってしまったと。
「……名前は何ていうんだい?」
「浜野田あかりって言います」
「そうかい。狐に包まれたようなその顔から、悪意がないことは手に取るようにわかる。私のことは茨の魔女と呼ぶと良い」
「ダレンさんとは昔からの知り合いなんですか?」
「赤ん坊の頃から。それこそ、母親の腹の中にいる頃から知っているさね」
そう言って、彼女はころころと笑う。
「さて、あかり。坊とはこれから町に行く予定だったのかい?」
「はい。いくつかの町を経由して、影の国の入口に行く予定でした」
「ちょっと寄り道していかないかい?」
あかりは首を傾げる。
「寄り道、ですか?」
「さっき助けたお礼として、あるものに参加してほしいのさ」
「それは、一体……?」
「実は今日は半年に一度開かれる魔女のお茶会の日。私は会場に向かう途中だったのさ。そこで偶然あかりと坊を見つけたというわけ」
魔女のお茶会。
喉奥でそう呟く。
「その様子だと、ここいらのことを知らない感じだろう? いろいろと知るにはもってこいだと思うのさ」
「それは願ってもないことですけど……。何人位いるんですか?」
「私含めて3人。だから、代わり映えもせず、退屈していたところさ」
3人。意外と少なかった。
だが、心に残る不安は拭えない。
そこで、あかりは思い切って質問を重ねた。
「あの、お茶会ってどんなことをするんですか? 何かの隠語だったり……?」
その質問に、彼女はきょとんとした顔をする。
だが、それもすぐに破顔した。
「あははははっ!」
「!?」
「いやいや、本当にただのお茶会だよ。お菓子をつまみながら、管を巻く。暇な魔女たちの時間潰しの一環さね」
「なんだ、よかった……」
「でも、警戒するのはいいことさ。特に昨今の情勢は不穏だから」




