1話
「迷っていたところを助けてもらったうえ、ご飯までご馳走になっちゃって、なんとお礼を言ったらいいのやら……」
「いいのいいの、気にしないで! 困ったときはお互い様だから」
そう言って、こちらに微笑みかけてくるのは、あかりと同い年くらいの見た目をした女。
赤みがかった茶色の髪。
肩あたりの位置にヘアゴムで緩く二股に束ね、両方とも胸側に垂らしている。
彼女の名はルクラット。
この家に住んでいる魔女だ。
「それに、こんなかわいいお客さんが来てくれて、ダレンも喜んでいるようだし」
「……」
明らかに喜んでいるようには見えないが……。
彼女の隣に座っている壮年の男性に視線を向けて、あかりは心の中でひとりごつ。
父親と娘にしか見えない二人だが、実際は姉弟というのだから驚きだ。
魔力があると、老化速度が遅くなるのか。
「ルクラットさんが助けてくれなかったら、今も森の中を彷徨っていたと思うとゾッとします」
「珍しい魔力を感じたから、外に出てみたんだ。そうしたらまさか、何も荷物を持っていない女の子が彷徨っているとはね。これからの時期、そんな薄着しかないのは死んじゃうよ? 私のお古でよかったら、服はあげるから」
「何から何まですみません……」
「さあ、冷めないうちに食べましょうか」
机の上には、今も湯気を立てているポトフ。
そして、斜めに切られたライ麦パンが中央の一際大きい器に盛られている。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
まずはスープを啜る。
野菜と肉の旨味がよく溶け込んでいた。
「……美味しい」
素材の味を活かした優しい味付けに、体だけではなく、心も温かくなっていく。
「それはよかった。ここの生まれじゃなさそうだから、舌に合うか心配だったんだ。その料理はダレンが作ってくれたんだよ」
「ダレンさん、ありがとうございます」
「……」
彼は複雑そうな表情を浮かべて、目を逸らした。
その反応に、あかりはああと思い当たる。
今、自分が話しているのは魔女の言葉。
通じていないのも当然か。
改めて頭を下げる。
「あかりちゃんはどこの生まれなの?」
「……日本です」
「日本!? それはまた、遠くから来たんだね。その口ぶりからするに、面倒事に巻き込まれちゃったっていう感じかな?」
「私は東の魔女連合協会所属の魔女なんです」
「そっか、東の魔女が亡くなったりで色々と大変だったみたいだね」
「はい。新しい東の魔女の就任式後、北の魔女との会談の最中に西の魔女たちが現れて、気が付いたら、この場所に飛ばされていました」
西の魔女と一緒にいた魔女。
おそらくは彼女に飛ばされたのだろう。
そして、こんなことを言われたのを思い出す。
『────久し振りだね、あかり。元気にしてた?』
私は彼女と面識がある?
当然ながら、そんな記憶はない。
名前も知らない。
「西の魔女? どうして、その場に西の魔女が出てくるの?」
そうだ。
どうして彼女たちは全員が集まっているあの場に現れた。
どうして私はこの北の勢力圏内に飛ばされた。
私が消えた後、あの場はどうなった。
一度振り返れば、たちまちに思考は疑問で覆い尽くされていく。
「ごめんね、一番気になっているのはあかりちゃんの方だったね」
「いやいや、別に謝ることなんかじゃ。というか、気になって当然だと思いますし」
「じゃあ、あかりちゃんはこれから日本に戻らないとだよね」
「そうですね……。にしても、お金もありませんし。ここが北の勢力なら、リューベルクを頼りたいところではあるんですけど……」
位置関係が全くわからない。
表情を曇らせたあかりはそこで、スプーンを持つ二人の手が止まっていることに気が付いた。
「リューベルクって、今の北の魔女のこと?」
「あ、はい」
「彼女とどんな関係性なの? もしかして、あかりちゃんってだいぶ偉い魔女さん?」
「いやいや、そんなことは全くないんですけど。なんというか成り行きで仲良くなったみたいな感じで……」
「そっかぁ、色々と苦労してそうだねぇ。北の魔女に会うとなると、影の国に行かないといけないな」
「影の、国……?」
「そうそう。オーガルフェルデン家相伝の影を操る魔法。彼女たちは、その魔法を使って国を作ったんだ」
魔法で国を作った……?
どうやって。
理解が追いつかない。
想像ができない。
だが、言葉をそのまま捉えるなら、そんなこと世界中のニュースで流れるどころか、教科書に載るレベルだ。
「……ごちそうさま。食べ終わったら呼んでくれ、後片付けをするから」
食事を終えたダレンは立上がり、その場から去っていく。
「……ごめんね。無愛想なのは、きっと緊張してるんだ」
「というか、今魔女語を……」
「うん、私が教えてあげたんだよ」
「そっか。あくまでも言語だから、教われば話せるようになるのか……」
「昔、好きだった女の子が魔女だったんだよ。それで、その女の子と仲良くなるための手段として、ね? 必死に私に頼み込んできて、可愛かったなぁ」
ルクラットはクスクスと笑う。
「恋のパワーってすごいよね?」
「あ、あはは……」
そこで、彼女はけほけほと咳き込む。
「……大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう。体の弱さは生まれつきだから、魔女になっても治らないみたいでね」
「ルクラットさんはどういう経緯で魔女になったんですか?」
「病気がちだった私は魔術学院に入学して魔女になったの」
「魔術の教育機関があるんですか!?」
「とはいえ、誰でもなれるっていうわけじゃないけどね。ある程度、生まれ持っての素質があるって認められないと、学院ではならせてもらえないんだ」
「……こっちでは魔術は一般的なんですね。私のところではあまり人の目に触れないようにしていたので」
現に、こうして魔女になるまでは魔術の存在なんて、創作の中の話だと思い込んでいた。
「んー、一般的というよりかは、知る人ぞ知るっていう感じかな。科学技術の発展した今では、「誰でも使える」っていうところに重きを置いているから」
「誰でも、使える……」
「そんな時代遅れの魔術はやがて人々の記憶からも薄れていった。その傾向は都市部で色濃い。別に私たちも隠しているわけじゃないけど、積極的に広めたいとも思っていないしね」
「初歩的な質問かもしれないんですけど、魔力って女性にしか生み出せないんですか?」
「うん。だから、ダレンに魔力は流れていない。魔術自体は魔力を蓄積させた魔道具を使えば行使できるけどね」
「なるほど」
「……もう辺りは暗いし、今日は泊まっていった方がいいね。私の部屋で一緒に寝よっか。女の子同士、ガールズトークを楽しみながらさ!」
肌を刺す冷気を頬に感じて、あかりは目を覚ます。
カーテンの隙間から外を覗くにまだ夜らしい。
だが、少し疲れが取れた体は、ここが慣れない場所であることを認識し始め、再度眠りに就くことを容易に許してはくれない。
室内にルクラットの姿はなかった。
先にベッドで寝てていいと言われたが、まだ起きているのだろうか。
そこで、居間から話し声がすることに気が付いた。
それは、意識を集中しなければ聞こえないほどの声量。
気になったあかりは、悪いとは思いながらも、そっとドアまで忍び寄り、耳を近付ける。
「大丈夫。あかりちゃんは悪い子じゃないよ」
話しているのは、やはりルクラットとダレンのようだ。
ダレンの方は現地の言葉で話しているらしく、理解することはできないが、ルクラットは魔女の言葉で話していた。
「そうだったら、こんな回りくどいことはしないはず」
落ち着いた彼女の声調とは対照的に、ダレンの声には感情が乗っているようだった。
「うん、そうだね。私たちのことを話してしまうかもしれない。でも、それでも見捨てたくはない」
どうやら、自分のことを話している……?
「手を差し伸べれば助けられたはずの目の前の誰かを見捨てることなんて、自分が死ぬ以上に耐えられないから。いざとなったら、ダレン。……あなただけ逃げて」
「~~!」
「私たちの命だって、そうやって繋いでもらったんじゃない」
「……!」
「心配してくれてありがとう。大好きだよ、ダレン。でも、私は私が信じるもののために生きたいんだ。だって、私も欲深くて、頑固な魔女だからさ」
「……ッ!」
「きっと、これはチャンスなんだよ。あなたも考え方を変えて、幸せになるための。そのための、第一歩。だから、明日はよろしくね」
そこで、あかりは耳を離し、ベッドに潜る。
何と言うか、それ以上話を盗み聞きすることが憚られたのだ。
どうやら、彼女たちは訳ありのよう。
そして、自分がここにいることは不都合なことらしい。
でも、それらを全て飲みこんで、ルクラットは自分に手を差し伸べてくれた。
きっと、そういうことなのだろう。
なるべく迷惑をかけないうちにここを離れなければ。
じんわりと温かくなっていく心を感じながら、目をつむる。
────今度はすぐに寝付くことができた。




