15話
「お前ぇぇえええぇッッ!!」
叫びながら、斬りかかるレティーナ。
怒りと憎しみの籠もった声はそれだけで相手を引き裂きそうな勢いだった。
だが、れいはそれを意にも介さない。
頭を軽く振って剣を避けると、腹部を蹴り飛ばす。
咳き込みながらも、体勢を立て直す彼女は室内に舞っている何かに気が付いた。
それは、羽。
出処は、れいの背中から生えている一対の翼だった。
一方、あやめはその場から動けずにいた。
目の前にいる相手の存在。
それは日向サヤに殺されたはずの恩師だった。
呼び起こされる記憶にめまいがする。
バラバラと朝狩あやめの記憶のページが捲られていく。
「あ、あぁ……」
偽物。
特務班の一人に姿を変えていた何者かがそう見せているだけのこと。
そんなことはわかりきっている。
わかりきってはいるが。
いや、そうか。
れいの目的は……!
「ネルヴァージ様……?」
声をかけてきたのはラミューだった。
「……ああ、私は大丈夫だ」
「ふふっ、あははははは!!!」
翼を広げたれいは大声で笑う。
「随分とご機嫌なようだな」
「それはそうでしょう。思い通りに物事が進んでいくのは気分が良い」
「くすんだ色で天使になれなかった出来損ないが!」
その言葉にれいの態度は一変する。
冷たい視線がレティーナに注がれた。
「その言葉、そのままそっくりお返ししますよ。翼を生やすこともできなかった出来損ないどもが」
「……ッ!!」
「ですが、今や翼を生やすことのできる者はこの私一人。それ以外の者は全員すでに殺されてしまっていますからねぇ?」
つまり、と彼女は言葉を続ける。
「エルダビューラ様が死亡したことで拡散した祈りの魔力を私一人が使いたい放題ってことですよぉ!」
天候に異変が訪れる。
晴空は曇天へ。
そして、たちまちに豪雨へと。
吹き荒れる風。
轟く雷鳴。
れいは、嵐を巻き起こしていた。
彼女が一度腕を振れば、窓ガラスはすべて割れ、破片が雨風とともに室内を舞う。
目を開けることすら難しいその中で、れいは笑っていた。
「これでも私のことを信じて正解でしたかぁ!?」
「……」
「終わりですよ! 終わりです!! エルダビューラ様が死んで、協会と北の魔女にも全てバレて!! 私が台無しにしてやったんです! ねえあやめ様! あなたは何度裏切られれば気が済むんですかぁ!?」
「れい……」
「これで、何もかも終わりです! 悔しいですか!? 憎いですかぁ!?」
「お前は……」
「なら、殺しに来てくださいよ。その怒りでさえも、私が台無しにしてあげますから」
吐き捨てると、翼をはためかせ、空へと飛び立つ。
それを目で見送ると、あやめは視線を戻す。
しかし、そこにはもう死んでいるはずの恩師に姿を変えた何者かの姿はなかった。
「殺してやる、殺してやるぞ。天ヶ崎れい……!」
「ご許可をいただければ今すぐに殺しに行きますわ。ネルヴァージ様」
「終わりだ」
その返答はあまりにもあっけないものだった。
「何を、言って……?」
「エルダビューラは殺された。私たちの存在は協会にバレる。お前たちがここでできることはない。逃げて残存勢力と合流しろ」
「何をおっしゃっているんですかネルヴァージ様!? なら、あの憎き天ヶ崎れいは誰が殺すというのですか!!」
声を荒げるレティーナに向けて、あやめは極めて冷静に言葉を告げる。
「あいつの処理は、協会が行うだろう。この天候を見ろ。これだけの騒ぎを起こせばすぐに駆けつけるはずだ。だから、この騒ぎに乗じてお前たちは逃げろ」
「……ネルヴァージ様は逃げないのですか」
「私、は……」
深く、息を吸った。
「私は協会に助けを乞い、共にれいを討つ。自分はあいつに操られていたとして、無実を主張する。主張して、上手く行けば今の地位に戻れる。上手くいかなければ、そこで終わりだ」
「そんな、博打みたいな方法……」
「私は今から完全に朝狩あやめとなる。だからお前たちとは敵同士だ。わかったら、行け」
「はぁ……はぁ……!」
災害を引き起こす強大な力を振るっている。
吹き飛ばす暴風が。
立て続けの落雷が。
飲み込む津波が。
今この瞬間、どれくらいの人間の命を奪っているのだろうか。
だが、魔法の域には届かない。
自分の出力ではこれが限界だ。
軋みを上げる体。
一枚。そして、また一枚と黒く染まっていく羽を見ながらそう思う。
確実に死へと近付いている確信。
ヴァストヴェーレの設立目的は、天使の再現およびその再現した天使を信仰させることによって、人間を行動を掌握するというもの。
魔女たちの中での一般的な認識はそれだ。
確かに間違いではない。
だが、目的はもう一つある。
それはエルダビューラの魔術に起因する。
彼女の魔術は人々の祈りを魔力に変換するもの。
つまりは、彼女が力を振るうための組織ということだ。
北の魔女の魔力を源流とした、エルダビューラの魔力を受けて魔女になった者には特異な体質が現れることがある。
それは、翼の発現。
その姿が天使のように見えるから、効率的に祈りを集めるためにそう振る舞おうとなったという経緯。
要するに、広く知れ渡っている一つ目の目的は、後からできたということだ。
さらに、翼が発現した者はエルダビューラが祈りを変換した魔力で魔術を行使することができる。
予め割り当てられた一定量のみではあるが、それでも最低で自身の数倍の魔力ともなれば、魅力の他にない。
だが、翼が発現する者の数はそう多くない。
だから、その者たちは基本的に教会などの宗教施設に配属され、それ相応の地位を与えられる。
けれども、この身に発現した翼の色は他の者と同じ純白ではなかった。
黒ずんだ灰色。
故に、相応しくはないと天使としての地位は与えられなかった。
周囲から直接何かを言われることはなかったが、陰口はよく聞こえてきた。
日本に派遣されたのには、そういった理由もあってのことだろう。
「く、ふふ……」
だが、そんな自分が翼を持つ最後の存在になってしまうとは。
運命とはなんと皮肉なものなのだろうか。
「くだらない。本当に何もかも、くだらない」
降り落ちる雨粒を受けながら、そう呟いた。
そこで、背後にいる存在に気が付き、視線だけをそちらに向ける。
「────契約は履行されたはずですけど、まだ何か用です?」
「朝狩あやめはヴァストヴェーレと手を組んでいた。これはそれを証明する事態ではなくて?」
「まだ決定的な証拠がありません。現在近畿地方を襲っている大嵐。この現象を引き起こしているのは、彼女の部下である天ヶ崎れいであり、あやめ本人ではありませんから」
「これは提案なのだけど、その調査と解決のために手を貸してあげましょうか?」
「いえ、それには及びません」
「すでに甚大な被害が出ていると思うのだけど。こういうときこそ協力して早急に解決するべきじゃない? 立場がどうとか。そういうのに囚われて、今すべきことから目を逸らすのは愚か者のすることよ?」
「ご忠告痛み入ります。ですが、仮に協力いただいたところで、この距離ではどの道着いた頃には解決しているものと思われます」
「そうね。確かに、『物』ならまだしも、これほどの距離では移動に時間がかかってしまう。あちら側の交通機関も麻痺しているでしょうし」
ひとまずのところはリューベルクを納得させることができた。
だが、悩みのタネはまだまだある。
ともえは、全てを放り出して逃げたくなる気持ちを抑え込んだ。
一つ、安心できることがあるとすれば、それはあかりの生存だ。
リューベルクには伝えていないが、あやめの本拠地で囚われていた彼女は、りんとともに近隣の協会支部に逃げ込んだという情報が入ってきている。
りんは片目を失っているようだが、あかりは身体に異常はないようだ。
だが、精神的に不安定で、ひどく取り乱していると聞く。
その理由は、翡翠きょうかだ。
彼女はあかりたちに逃げるよう促し、重症を負ったという。
だから、いち早く助けに行かなければならないのだと。
あかりを依代として、エルダビューラを蘇生させる魔術はおそらく成功していない。
そうでなければ、りんはあかりと一緒に逃げてはいないはずだ。
だが、そうなると、ますます疑問が深まる。
どうして天ヶ崎れいはこのタイミングで行動を起こしたのか。
それもたった一人でだ。
目的がわからない。
確認できた翼から、彼女がヴァストヴェーレの一員であることは疑いようがない。
しかし、北の魔女も来ている中でのそれは、無謀。自殺行為だ。
その頭領の惨憺たる姿は彼女もあの場で確認できていたはずだろうに。
端から見れば、自暴自棄になっているとしか思えない。
あかりを犠牲にしてエルダビューラが復活したのであれば、彼女が逃げるための囮として。
そういったことならわかる。
だが、それが成功していないとなれば。
そこで思考は中断される。
「……ねえ、どうしてあなたは東の魔女に立候補しなかったの? 私が見たところ、あやめよりも思慮深そうなあなたの方が向いていると思うのだけど」
「ご冗談を。私は象徴となって周囲を導ける存在ではありません」
「象徴、そんなこと考えたことがなかったわ。随分と難しそうなことを考えているのねぇ」
「リューベルク様は北の魔女としての振る舞いについてお考えになったことはありませんか?」
彼女は人差し指をあごに当てながら、上を見る。
「うーん、特に考えたことはないかしら。私は自分の心に従って行動しているだけ。今の地位はあくまでもその結果よ」
「結果、ですか」
「あなたは、象徴を予め決められた型だと認識している。そしてそれは、こうあるべきだという理想の型。そこに自分を押し込もうとすれば、苦しいのは自明の理。苦手意識をもつのも当然のこと。私が思うに、象徴とは後発的に生み出されるもの。結果の数々で帰納的に作り上げられるもの。そんないくらでも操作することのできるものを気負う必要はないわ」
「……それほどまでに、ひなた様の存在は私の中で大きかったのです」
「そうなのね。そんな風に誰かを思わせてしまうほどの魔女。私も一度お会いしてみたかったわ。でも、その象徴をあやめに求めないのには何か理由があるの? あなたは彼女が東の魔女になることを了承しているのでしょう? 偉大な「ひなた様」に比肩するほどの存在だと、本当にそう思っているの?」
意地の悪い質問だと思った。
そんなこと、あえて聞かずとも、答えはわかりきっているだろうに。
心が軋みをあげる音が聞こえた気がした。
場の雰囲気が少し変わったのを感じてか、リューベルクは首を傾げる。
「あら、触れてはいけないところだったかしら。そうだとしたら、ごめんなさいね」
「いえ……」
「お詫びと言ってはなんだけど、あなたは信用できそうなことがわかったし、いいことを教えておいてあげる」
「何でしょうか」
すうと人差し指が立てられた。
「────私たちが本当に戦うべき敵の話」




