14話
「くそッ! バカにしやがってッ!!」
北の魔女との会談の後、自らの本拠地へと戻ったあやめとれい。
その報告を受けたヴァストヴェーレの一員であるレティーナは握った拳を机に打ち付け、苛立ちをぶつけた。
現在、鏡に閉じ込めている特務班の一人へ最初に襲いかかり、意識を失ったのが彼女だった。
彼女はその翌日に目を覚ますことができたものの、鏡の中で特務班と戦闘した仲間の5名は命を落としていた。
よって、現在日本にいるヴァストヴェーレの残存勢力は、あやめ=ネルヴァージ、れい、マレイダット、ラミュー、レティーナの5名。
「エルダビューラ、様……!」
涙を流しながら、頭部を抱きしめる。
あやめとれいはこちらに戻ってきてすぐにリューベルクの発言が嘘ではないことを知った。
潜伏先を彼女の勢力に襲撃された際、エルダは癒えぬ呪いを負った自分がこれ以上足手まといとならないよう、仲間を逃がして犠牲になったのだという。
もちろんその場に残って抵抗する者もいたが、例外なく命を奪われてしまった。
だが、そのタイミングは会談が始まる少し前。
つまり、リューベルクは日本にいる残存勢力に衝撃を与えるため、会談の直前で襲撃し、何らかの方法で首をあの場に取り寄せたのだろう。
そのうえ、こちらにその証拠を与えた。
蘇生をさせたければするがいい。
お前たちなどいつでも潰せると突き付けてきた。
残存勢力は西の勢力圏内へと逃げ込んだという。
こちらへの追加戦力は望めない。
なぜなら、その襲撃を指示した北の魔女本人が現在日本にいるのだから。
「随分な姿になってしまったな、エルダよ。……生きているのなら、挨拶くらいしてほしいものだが。久方振りの旧友との再会だろう」
息を吹けば消えてしまいそうなほど弱々しくはあるが、魂の存在はそこに感じた。
生きている。
しかし、返答はない。
「ネルヴァージ様、お願いです……。助けてあげて、ください……!」
「無論、そのつもりだ。ここにエルダと浜野田あかりがいることで、私がしたものと同じ方法で彼女を蘇生する条件は整っている」
「これが成功すれば、ネルヴァージ様とエルダビューラ様の二人が東の魔女連合協会を乗っ取ることができるようになるってことだよね……」
「だが、それには障壁がある」
「現在鏡の中に閉じ込めているあの特務班の存在、ですわね」
「本来であれば追加の人員がエルダを連れてくる予定だったから、その者たちに任せるつもりだったが……。こうなっては私たちで対処するほかにあるまい」
その場に流れる重い沈黙。
誰も、その方法など思いつかなかった。
────ただ、一人を除いては。
「ありますよ、彼女の魔術を無効化する方法」
「さて、ようやく待ちに待った解放の時間だ。喜び、感動に咽び泣いても構わないぞ」
部屋中の鏡が輝き出したかと思えば、あかりたちは元の世界へと戻ってきていた。
そこで待ち構えていたあやめたち。
「カツ丼のお礼なんて言わないから」
「喜んでもらえたなら、それで結構だ」
「このままお家に帰らせてくれると助かるんだけど」
「残念だが、それは叶わない」
「私を殺して、あなたが東の魔女になるため?」
「そうだな。だが、安心してほしい。君は確かに一度死ぬが、その後生き返る」
「言っている意味がよくわからないんだけど」
「我々の司令塔として、な」
「来るぞ!」
きょうかが叫んだ瞬間、ざわとあかりの体を見えない何かが撫でていく。
かと思えば、たちまちにそれらは体に纏わりつき、全身にのしかかるような重圧を与えてくる。
蝶月りんが魔術を発動した証左だった。
あかりときょうかを巻き込んでしまうが、やむを得ないとりんは判断したのだ。
「秘密兵器を出せ」
「それでは出番ですよ」
そう。
待ち構えていたということは、あやめたちはりんを対処する術を用意したということ。
両者が対峙するその中間にその魔女は音もなく現れた。
あかりは自分の目を疑う。
「どういうこと……?」
────蝶月りんが、そこにいた。
あかり側のりんも驚きで目を見開くが、やることは変わらない。
魔術の発動を継続する。
だが。
ぞわりと。
自らの発する警鐘に従い、発動を中断する。
その瞬間。
「はは。やはりお前を信じて正解だったな、れい」
何が起きたのか。
実のところ、それはあやめ側も上手く飲み込めていなかったところではある。
ただ、術の発動は中断された。
そして。
同時に、りんの左目が弾け飛んだ。
「何が……!?」
眼孔を抑えた左手から腕にかけて血液が伝う。
痛みに顔をしかめ、りんはよろけた。
その一瞬の隙を見逃さない。
手はず通りにマレイダットがりん、レティーナがきょうかに迫り、それぞれの武器を振るう。
きょうかは硬化させた魔力で剣と打ち合いを始める。
りんはあかりが庇い、鎌の時間を止める。
だが、それも一秒すら耐えきれず、勢いそのまま二人は壁へと打ち付けられた。
「りん! あかりを連れてここから逃げろ!!」
弾き飛ばされたことで、距離が開いた。
そのことを見てきょうかは叫んだのだった。
りんはあかりの手を取って出口へと駆ける。
「よそ見する余裕なんてないでしょう?」
体に強い衝撃。
ずぶりと。
下に目をやれば、腹部から飛び出す鎌の刃先。
後ろからマレイダットに刺された。
気付いたときには、多量の血液が口から溢れ出す。
「きょうか!!」
「……逃げろ、あかり」
部屋を飛び出す最後に見たのは、追撃でレティーナの剣が正面から胸部を貫く瞬間だった。
あかりを連れて廊下を走りながら、りんは考察する。
先程の場にいたもう一人の自分が有効範囲内にいる限り、あの魔術を行使できない。
おそらく、あのまま行使していれば、自分は死んでいただろう。
複雑な術式のため、無理矢理に中断したことによる跳ね返りは大きい。
行き場を失くした力は適切に解かれなければ、その場で爆発してしまう。
だが、犠牲になったのが片目のみであったことは不幸中の幸いか。
自分に魔術をかけている感覚だった。
自分の心臓を握っている感覚だった。
単純な反射とは違うような気がした。
あれは誰だ。
何をした。
いや、今はここからあかりを連れて逃げ出すことが先決だ。
「逃がすか」
どこからかあやめの声がした。
追いかけてきているわけではない。
一体どこから。
それもすぐに思い当たる。
────鏡だ。
廊下の明かりは全て消え、鏡の中から質量を伴った光の束がこちらに襲いかかる。
刹那。
りんはあかりから手を離し、空中で身を翻す。
その最中、どこからか取り出した例の扇子を広げ、それに向けて振るった。
すると、光の束は扇子に引き寄せられ、消失していく。
完全に消え去ったとき、扇子は先程よりもサイズが大きくなっていた。
「なるほど。その扇子は魔力を食らうのか」
あやめは感心したようにそう呟く。
ほぼ同時にりんはもう一度あかりの手を取る。
そして、廊下突き当りの窓を割って外に飛び出した。
「まんまと逃げられてしまいましたねぇ」
「……あれは無理だな。最善は尽くしたさ、殺されなかっただけでもよしとしよう。にしても、彼女の正体は一体何だ?」
目を向けたのは、逃げ出したのとは別の蝶月りん。
何をするでもなく、黙り込んだままこちらをじっと見つめている。
「あぁ、気にしなくても大丈夫ですよ。こちらに危害は加えては来ませんから、ただの置物と思ってください。それよりも先にやることがあるでしょう?」
れいが指を向けた先には床に伏してうめき声を上げているきょうかの姿があった。
「そうだな。とりあえずの器として、活用させてもらおうか」
「何を、するつもりだ……!」
「『まり』、君はエルダビューラ・アルソフォンとして生まれ変わるんだよ。そうして、迷える子羊である我々を導いてくれ」
「……私は翡翠きょうかだ」
「肉体は、な」
「ネルヴァージから、聞いているのか……」
乾いた笑いで返答する。
「本来であれば、ここまでされてなお元気なのは喜ばしいことだが。私は術式の準備をする。それまでの間、もう少し生命力を弱らせておけ」
言い終わると同時に、レティーナがきょうかの腹部を蹴飛ばす。
憎しみをこめて、何度も何度も。
その度に、周囲には血が飛び散っていく。
きょうかが動かなくなるのに、そう時間はかからなかった。
室内は青白い光で満ちていた。
照明によるものではない。
床に展開されている巨大な魔法陣が光を放っているのだ。
その中心にはきょうかとエルダビューラはいる。
この魔法陣自体は誰にでも書けるもの。
それこそ、見本通りになぞればいいだけ。
現にそれで、れいはネルヴァージの魂をあやめの魂と結びつける一助となった。
だが、術式を安定させる技術は、ネルヴァージしか有していない。
それほどの緻密さが要求される。
場は緊張で満たされていく。
期待と不安は喉を乾かせる。
ヴァストヴェーレは窮地に立たされている。
逃げ出した浜野田あかりは協会にこちらの情報を伝えるだろう。
これからどうすればいい。
このままでは、東と北の両方を相手取らなければならない。
それでも、エルダビューラなら何か方法を。
そう縋り付く他になかった。
そもそもこうなった原因は何だ。
どうして、リューベルク様はあんな凶行に及んだ?
どうして、みんな彼女側についている?
決定的な原因がわからなかった。
洗脳されているとしか思えなかった。
そんなことを考えながら、どれくらいの時間がたっただろうか。
祈る体勢から顔を上げる。
魔法陣の光は収まっていた。
長く深く息を吐き出しながら、あやめは半ば倒れるように椅子に座った。
「……ひとまずは成功だ」
その言葉で一気に緊張が解かれる。
これで、エルダビューラ様は癒えぬ呪いから解放された。
だが、喜んでもいられない。
すぐにこの場を去らなければならないのだから。
再び気を引き締めようとしたその瞬間。
パンと。
乾いた音が鼓膜に響いた。
「……え?」
レティーナは疑問の声を上げる。
生命力を取り戻し、傷が塞がったはずの翡翠きょうかの肉体。
その頭部からは依然として血が流れている。
漂ってくるのは硝煙のにおい。
理解が追いついていないまま、彼女は周囲を見回す。
そして目にした。
────拳銃を構えた天ヶ崎れいの姿を。
「……どういうつもりだ、れい」
「私は待っていたんですよぉ。エルダビューラ様が翡翠きょうかの肉体に入り、殺せるようになるこの瞬間を」
「だから、どういうつもりだ」
「それが彼女と私が交わした契約。ねぇ?」
言葉をかけた先の人物を見て、あやめは言葉を失った。
違う。
そんなわけがない。
生きているわけが。
だが、この口は問いかけられずにはいられなかった。
「────先生?」




