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エミネスベルンの約束  作者: 深山 観月
第一部 東の魔女編 2章 二代目東の魔女
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11話

「まさか、鏡を取り外すこともできないとは……」


ソファに座ってがっくりと肩を落とすあかり。


『この建物の全ての鏡を同時に壊す』

そのために一つの部屋へ鏡を集めようと試みたが、そもそも鏡自体が動かせないとなればいよいよ手詰まりだ。

この建物自体を壊す魔法など知らない。


隣で控えめにちょこんと座っているりんを見る。

彼女にそのようなことができるのなら、とっくにできていると思うし。


スマホは充電が切れてしまったため、メモアプリで楽に意思疎通をすることはできない。

無表情だが、一体何を考えているのだろうか。

あまりにもじっと一点を見ているものだから、その視線を追ってみる。

すると、いつの間にか机の上に料理が置かれていた。

それは、今も湯気を立てているカツ丼。


「ん!? カツ丼!?」


これは一体どこから出現した。

美味しそうな匂いに食欲が刺激される。

時計を見れば、閉じ込められてからすでに10時間は経過していた。

必死になって出る方法を探していたから、気にしてはいなかったが、当然空腹になる時間だ。

というか、カツ丼って。

取り調べ中か、私たちは。


「あかり、こっちもだめだった。他の階の鏡も外せるものはなかった……。って、ん!? カツ丼!?」


あ、同じ反応。


「なんか、突然ここに現れたの」

「順当に考えれば、あやめたちが用意したんだろうけど……」


そう、用意されているカツ丼は1食のみ。


「まあ、あかりのためというのが思惑に違いない。私たちは彼女たちにとって邪魔な存在だから、衰弱してくれれば本望だろうしな」


そこで、くぅと可愛らしいお腹の音が鳴る。

目を向ければ、りんが恥ずかしそうに俯き、頬を染めていた。


「三等分してみんなで食べよ、ね?」


そう話しかけると、りんは目を輝かせる。


「……いいのか?」

「もちろん! というか、空腹のあなたたちの前で独り占めする勇気なんて私にはないよ」


「できれば四等分にしてくれると助かるわ。私カツ丼って食べたことないから!」


突如として、頭上から降り注ぐその声。

この場には三人しかいないはず。

恐る恐る見上げたあかり。

そこにいたのは。


「随分早い再会になったわね! あかり!」

「リューベルク! どうしてここに!?」


夢の中で会ったときとは異なり、白いドレスを身に纏っていた。

北に住んでいるはずの彼女がどうして。

ということは、私たちは同じ夢の中にいたのか。

一気に臨戦態勢を取るりんを手で制する。


「もしかして、あなたもヴァストヴェーレなの……?」

「……どうして?」

「あかり、彼女は……」

「だって、ここに突然現れたってことはそうとしか考えられなくない……?」

「状況がよくわからないのだけど、私はあなたの首の後ろに施した魔術から飛んできたのよ?」

「ちょっと待って、それどういうこと!? っていうかいつの間に!?」


リューベルクは手で口を覆い、くすりと笑ってから答える。


「あの夢の中で、あかりの首の後ろに魔術がかけられているって私が言ったのは覚えてる?」

「私が狙われているってやつだよね?」

「だから、その魔術を解除して、お守り代わりに私が新しく魔術をかけたの!」

「じゃあ、私のことを助けに来てくれたっていうこと?」

「助けに行くのはこれからよ。今ここにいる私は映像のようなもので本体ではないから。というか、今何か困っているの?」

「大変なんだよ! あやめがヴァストヴェーレと手を組んで、私たちを鏡の世界に閉じ込めているの! 私に死んでもらわなければならないとか言って!」


彼女の眉がピクリと反応する。


「やっぱり、彼女たちがあかりのことを狙っているのね……」

「彼女たち? じゃあ、リューベルクは関係ないの?」

「全く関係がないと言えば語弊があるのだけれど。でも、今日来たのはようやく私が直接あかりを守ってあげられるって伝えに来たの!」

「え?」

「明後日、私たちは日本に行くのよ! だから、あかりに色々と案内してもらわないと。すぐに助けるからそれまで待っててね! それではごきげんよう!!」


急いでいたのか、最後は息継ぎをせず流れるように喋って消えてしまった。


「行っちゃった……」

「なあ、あかり。今のって……」

「ああ。リューベルクっていう私と同い年の北の方に住んでいる魔女で、夢の中で会ったことがあるんだけど。向こうも覚えていたってことはやっぱり同じ夢にいたんだ」

「違う……そこじゃない……」

「ん?」

「リューベルクっていう名前に聞き覚えはないか……?」

「いや、特には……」


きょうかは深刻そうな顔をして、あかりの両肩を持つ。


「リューベルク・オーガルフェルデン。彼女こそが今話題になっている、────新しい北の魔女だ」





今思い返してみても、裏切りに彩られた人生だと思う。


私が初めて会ったとき、彼女はすでに目の奥に憂いを湛えていた。

聞かされていたのは、聖女という組織に運命を狂わされたということ。

かつての仲間が次々と離反していく中で。

その衝突で、身内が殺されていていく中で。

彼女は自分の信じる道を、希望を見失っていったのだと。

そう、聞いていた。

そんな彼女を筆頭とした新規班に私は配属となった。


ヴァストヴェーレ。

それは、北の魔女直属の組織。

その設立目的は、聖典や伝承に現れている「天使」の再現。

および、その再現した天使を本物だと人々に信じ込ませて、行動を掌握すること。


そう。私たちはその存在からして、「嘘」なのだ。


私は組織に日本での潜入調査を命じられた。

それには二つ理由がある。

一つは、先に日本を訪れているネルヴァージ様の動向の監視。

もう一つが、聖女と国との繋がりを探ること。

そんなこと、他の組織にさせればいいことだと思うのに。

そこでも、信用がなんだと全く面倒くさいこと。

それに、この身に発現した翼は灰色だったから。

くすんだこの色では、人々の信用を得るには足りないらしい。


正直、北の魔女の魔力が流れている自分を協会が受け入れてくれるのかは不安だったが、同時期にネルヴァージ様が自分の手下を二人所属させたおかげで割とすんなりと受け入れてもらえた。北から亡命してきた子どもとして。

けれども、あいにくとあの二人のような子どもらしさが欠けていた私だったから、あやめ様のところへ配属になったのだと思う。

あやめ様による監視下に置かれるため。

裏切られて、何も信じられなくなってしまった彼女のもとで。


「そのコインは、故郷のものか?」


初めて直接かけられた言葉がそれだった。

指で弾く手を止める。


「だったら、何だと言うんですか」


そんな可愛げのない返答をして。


「いくら嫌なことがあったとしても、上手く断ち切れないものはあるという話だ」

「……」

「私のことはある程度聞いているんだろう?」

「まあ、少しは」

「私は聖女が憎い。私から仲間を奪っていったやつらが」

「はぁ」

「私の恩師を殺したくせに、受け入れられているサヤが」

「……裏切りや憎しみなんて、この魔女の世界ではありふれているものでしょう。取り立てて言うほどのことではないと思いますが」

「随分と成熟しているんだな」

「汚れていくことを成熟というのなら、きっとそうなのでしょう」


それを聞いて、声を出して笑い始めた彼女の姿は少し意外だった。


「一度裏切ったやつはな、何度でも裏切るさ。気に入らないことがあると、頭の中でその選択肢が浮かんでくる。殺害と同じだ」

「そうですか」

「だがな、裏切られることを恐れて、その者の全てを常に疑いの目で見るのは違うと思っている。裏切るその瞬間まで、私はその相手のことを心の底から信じたい。──たとえ、君もそうだったとしてもな」

「……真性のマゾヒストということでよろしいですか?」

「誰もが絶望と思える中で、希望を見つけ出すことの美しさ、誇り高さを私はひなた様に教えていただているからな」

「少なくとも、『裏切るその瞬間まで』などとはこれから一緒に仕事をする相手にかける言葉ではないと思いますが、そうすることもひなた様の教えですか?」


再び声を出して笑うあやめ様は私の肩に手を置いた。


「いいや、これは経験に基づく私の判断であり、誠意だ。これから共にする仲間に向けて、まずは自分の腹の底を見せるというな。だが、気分を害したというのならその謝罪と、そして、こうして出会えたことを祝して、飯を奢ってやろう。この辺に確か、美味い中華料理屋があったはずだ。特にそこの炒飯が絶品でな。あぁ、他のやつらには内緒だぞ?」


そこの炒飯を私は特段美味しいとは感じなかった。

別に中華料理が好きなわけでもない。

それでも、その店のことを私が好きなのだとしたら。

それはきっと、────





目を覚ます。

視線だけ、時計に向けた。

仮眠は少しのはずだったが、思いのほか寝過ぎてしまったようだ。


くぐもった声を上げながら、伸びをする。

机に突っ伏していたため、随分と凝りが固まってしまった。

そして、手櫛で乱れた髪を整える。

それが、風で緩やかにまた乱されて。

そこで、窓が空いていることに気が付いた。

暗い室内に差し込む月光。

それを浴びている誰かの正体を私はよく知っていた。


「おはよう」

「それを言うには早すぎますよ。あまりにも」


時刻はあともう少しで、日付を回るかというところ。


「身支度を整えろ。これからお客様がお見えになるのだぞ」

「なぜ、そんなにも冷静にいられるのですか」

「それはお前がいるからだ。言わせるな」

「……冗談でもよくそんな歯が浮くようなセリフが言えますね」

「まぁ、善処はしてみるさ。だが、どう転ぶかは私にもわからん」


いつの間に買ったのか、彼女の指にはタバコが挟まれていた。

夜空へ昇っていく紫煙を眺めている。


「あれだけ吸っていたはずなのに、この体には合わないらしい」

「そんなに美味しいものなんですかぁ?」

「感じるときもある。感じないときもある」

「……なんですか、それ」

「ただそれでも、ないと落ち着かないものなんだよ。……そうだった、はずなんだがな」


そう言って、窓の外へ火がついたままのそれを放る。


「……火事になったらお迎えどころじゃなくなりますよぉ?」


けれども、その行動に安堵してしまう自分がいて。


「お前の魔術で、そうならないようにしてくれ」


そうして、いつも通り私はコインを取り出して。

指で、弾く。

掌で掴んで、また弾く。

結果は見ない。

わかりきっていることだから。


「こんなことでいちいち無駄に使ってはいられません」


そう。

こんなことで使うわけにはいかない。


答えなど、とっくに出ていた。

要は目を向けるか背けるかの違いでしかなくて。

向けてしまえば、やるべきことなんて始めから一つで。

だから。

そう。

だから、



────私は呪いのごとく『裏切り』をあなたに刻むため、悪魔と契約を交わしたのだ。

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