10話
「ネルヴァージ・ドルレスがあやめの中で生きている……?」
「はい、やつの魂はあやめの魂と融合している状態です。ある二つの肉体が同時に死亡し、魂が肉体から解放されるその瞬間、片方の魂がもう片方の魂と離れゆく肉体を繋ぎ止めて生命力を強化して生き返らせる方法。これは他の者には真似できないほど高度な魔術です。そして、どれだけ尋問されようと、これだけは死守した。いつか、この魔術で協会から抜け出すために」
「同時に、ですか。ということは……」
「そうです。あやめが息絶える時間を天ヶ崎れいはネルヴァージに伝えたのでしょう。その時間を計算したのか、自らの手で殺したのかは定かではありませんが。ですが、ぽっと出のれいの言葉を信用させるには材料が足りないはずです。──彼女が東の勢力である場合は」
「……なるほど。れいはネルヴァージと同じ、北の勢力ということですね」
「ですが、これは彼女が目標としていた魔法に至れない魔女から死の概念を消すための実験による副産物の一つ。いわば、失敗の魔術です」
「よくこんな魔術を知っていましたね」
「ええ、よく知っていますよ。私たちはその実験をこの身に受けていますから」
サヤ様の目が見開かれる。
覚悟を決めたはずなのに、唇が震える。
このことは二人で死ぬまで隠し通すつもりだったのに。
でも、言わないと。
言って、真実を伝えないと。
「その魔術には先があります。融合した状態では、人格が混ざり合っている状態ですから、齟齬が生じる場合があります。そのため、最終的には、時いらない方の人格を切り捨てるのです。ですが、やつの興味はそこで留まらなかった。私たちが試されたのは、『死』が『仮死』だった場合、魂は交換できるのではないかということ」
「まさか……」
「その実験は成功し、『きょうか』は『まり』に『まり』は『きょうか』になった」
「……」
「そのくだらない興味のために多くの友達が犠牲になりました。生き返らせる魔術の失敗でそのまま死ねたのなら、まだよかったかもしれません。ほとんどの場合、苦しみは一瞬ですから。ですが、この魂の交換の魔術では、それが長続きしてしまう場合が多すぎた。肉体に魂を繋ぎ止めさせるには、生命力をあらかじめ定まった強さに高める必要があります。ですがそれは、多すぎても、少なすぎてもいけません。そして、その強さは個人によって違いますし、仮死状態の場合、魂の持つ生命力は衰弱しないのです」
「問題は、その肉体が許容できる生命力を凌駕する魂と繋がされた場合ですか」
「魂の生命力があまりにも強いと何が起きるか。────肉体を暴走させ、崩壊をさせるにもかかわらず、その強さから簡単に死ぬことも許されないのです」
「そんな」
「私たちはその実験の唯一の成功例です。変わり果てた友人たちを見て、いつか助ける方法を見つけようと二人で約束しました。そして、あの日が訪れました」
「あの日……?」
「やつが協会に捕まったときです。協会は友人たちを見て、救う術はないと結論を出し、跡形もなく魔術で消し飛ばし始めたのです。……必死に『やめて、助ける術はどこかにあるはずだから』と泣き叫ぶ『まり』にひなた様の意思だからと言い聞かせて」
「……」
「私はそれも一つの方法だと受け入れることができました。助ける方法がある保証もありません。あったとしても、そんな高度な魔術を身につけられるのはいつになるかわかりません。その間、彼女たちは苦しみ続けるのです。それならばここで苦しみを終わらせてやるのも一つの方法だと。ですが、彼女は違いました。こんな目に遭っているのだから、いつか幸せにならなければおかしいと。そこからです、『まり』がひなた様を憎み始めたのは。もっとも、接していくうちにあの方の優しさに触れ、本当に憎むべきなのか自らの内に疑問が湧いたことによって、精神が不安定になっていきましたが。そうして、とにかくそれを払拭しようとしてことねと手を組んであんなことを────」
「そう、だったのですね」
「協会はやつが死の概念を消すための魔術を模索していたことは気が付きましたが、その方法までは探り当てることはできなかった様子。だから、東の勢力でこのことを知っていたのは私たちだけです」
「……なるほど。先ほどあやめがあなたをきょうかと呼んだのは単なる言い間違いではなかった。あの場面で名字も含めて丁寧に呼んだのが、彼女がネルヴァージである証拠だと」
視界が滲んでいく。
「……こんな大事なこと、今まで言えなくて、ごめんなさい……」
その時、私の身は心地の良い暖かさに包まれる。
落ち着くラベンダーの匂い。
そっか、サヤ様が抱きしめてくれたんだ。
髪の間をそのしなやかな指が梳いていった。
何度も何度も。
とても、優しく。
「今まで辛かったですね。よく頑張りました、もう大丈夫です」
「っ……、ぅ……」
「あなたはいつだって、誰かのためを思って行動してきた。とても責任感のある強い子です」
「っく……ひっ……ぁ……」
「これからもよろしくお願いしますね、『きょうか』」
────あぁ、声を上げて泣くことなんて、いつ振りだっただろうか。
「よかったんですかぁ? 自分の正体をバラすようなことを言ってしまって」
「確かに失敗だったかもしれん。けど、つい嬉しくてな。『まり』に『きょうか』、まさか立て続けに二人と会えることになるとは思わなんだ」
「……」
「唯一の成功例だからな」
ネルヴァージが彼女たちに行った実験。
魂の入れ替え。
そう口の中で呟いてみたが、魂の融合といい、いまいち飲み込めていない。
そもそも魂とは一体何だ。
果たして、本当に操ることができるものなのか。
ちらと隣を歩く彼女の姿を見上げる。
何一つ変わっていない。
私が初めて会ったあの日から。
もしかしたら、魂の融合なんていうものは嘘で、何らかの思惑でネルヴァージを名乗っているだけなのではないか。
──そんな淡い期待を。
「……なんだ。尊敬の目を向けてきても、私の気分が良くなるだけで、何も出ないぞ」
「はぁッ!?」
「そんなことよりも、れい。お前タバコを持っていないか?」
「持ってません、私は喫煙者じゃありませんので。というか、今まで吸っていなかったじゃないですか」
「いや? 吸ってはいたぞ。長い収監生活で、お預けを食らってはいたが」
それは、あなたではない部分だ。
そんなものに私は何の価値も見出だせない。
それどころか、気持ち悪さが胸のあたりに渦を巻きだして。
「まあいい。そんなことはどうでもいいほど、今の私は気分が良い」
「そうですか」
「だから、どこか飯でも食いに行かないか。今日は私が特別に奢ってやろう。ただし、他のやつらには内緒だぞ」
「はぁ」
「れいは中華料理が好きだったな。お前が入りたての頃によく連れて行った場所に行ってみるか」
「……っ」
ずきりと胸が痛む。
ああもう、一体何なんだ。
形容しがたいこの思いに苛立ちを覚え始めてきた頃、彼女の体が少しふらつく。
「……大丈夫ですかぁ?」
返答はないまま、体は大きく揺れ、そのまま地面に崩れ落ちそうになる。
れいは腕を自分の肩に回させ、なんとか支えた。
先程までとは一転して、顔色は一気に悪く。
呼吸も荒くなっている。
「あぁ、くそ。せっかくいい気分だったんだがな……」
彼女は苦痛に歪めた顔のまま、雑に自分のポケットへと手を突っ込む。
取り出したのは錠剤の入った小さな瓶。
蓋を開けると、手に乗せた数を確かめぬまま口に放り込む。
それらを噛み砕き、喉奥へと流し込んで10秒ほどの時間が経過した頃。
そこでようやく、彼女の顔は落ち着きを取り戻した。
「……難儀なものですね」
「ああ。魂の融合がこれほどまでに苦痛を伴うものだとはな。というよりも、この女の自我が強すぎるといったところか。いやはや、自分のことながら、まこと恐れ入る」
その言葉は果たして「どちらの」ものなのか。
この期に及んで、まだ私はそんなことを。
そこで、ぱちと。
静電気が走ったような感覚が頭に走る。
これは伝信魔術。
一方的にしか言葉を伝えることができない割に消費魔力も多いため、昨今では電話に成り代わってしまっている古い魔術。
頻度の低さから、年々使用できる者も少なくなっていると聞く。
つまり、そんなものを使用するほどに緊急の情報であるということ。
『ネルヴァージ様!』
この声はラミューか。
より長く浜野田あかりたちを鏡の世界に閉じ込めておくため、魔力の温存をしておくべき状況であるのは重々承知しているはず。
嫌な予感がした。
『大変だよ! 今すぐに戻ってきて!』
伝信に意識を集中するため、私の体から腕が離れる。
その次の言葉は私たちを戦慄させるものだった。
『──東の魔女就任に先駆けて、北の魔女がこっちに来るんだって!!』
「北の魔女自ら……?」
「……なんだと」
『それで、その日が明後日! 突然その通知が協会に送られてきたんだ! 協会も大慌て! そっちにもこれから協会から連絡がいくと思います!』
「ちっ、先手を打たれたか」
「目的は同盟、でしょうか?」
「十中八九そうだろう。ただの脳筋バカなのか賢いのかはまだ判別がつかないがな」
「受け入れないわけにはいかないんですかぁ?」
「そうしたいのは山々だが、東の勢力としてはそうはいくまい」
「これ以上明確な敵を作るわけにはいかないということです? 慎重な言葉選びが必要になりますね」
そうして彼女は、例の重くて深い笑みをじっとりと浮かべた。
「全く、老体に無理をさせすぎだ」
「今は若い肉体でしょう。それに、協会の地下で死を待っていたときよりかは退屈じゃないと思いますけどねぇ」
「馬鹿者。私は生きるのを諦めることなど、一瞬たりとも考えてなどいなかった」
そう言われて思い返す。
協会の地下に囚われていたあの老婆の姿を。
枯れた枝のように細った手足。
深く皺の刻まれた顔。
その中で、瞳だけが宝石のように時を重ねても色褪せない光を孕み続けていて。
それは復讐のように燃え盛るようなものではなかったのを覚えている。
「そう言えば、あなたは新しい北の魔女について、何か知っているんですかぁ?」
腕を組み、顎に手をやる。
「末娘様か……。姿を見ただけだし、それも彼女がまだ小さい頃だったからあまり印象にはない。それ以降私は日本にいて、向こうには戻っていないしな。……庭で花を愛でているような穏やかな子だったように記憶しているが」
「少なくとも、家族全員を殺害するような性格ではないと?」
「まあ、こう言っては他のやつらに怒られるだろうが、色々あったんだろう。もしくは、他の者に実権を握られているのかもしれない」
「気味が悪いほど冷静ですねぇ。あなただって、かつてはヴァストヴェーレに所属していたんでしょう? 恨む気持ちとかはないんですかぁ?」
「私が日本に送られた理由を知っているか?」
「いや?」
「左遷だよ。良く言えば、一人の方が力を発揮できる。悪く言えば、協調性がなかったというやつだ。まあ、東の勢力の情報を提供することで十分な援助は受けていたし、好きなことをやらせてもらっていたから文句はないがな」
「今はあやめ様が入っているから上手くやれているけど、ということですか。ならもういっそ、このままでもいいのでは?」
「はは。それは一体誰の都合だ?」
「……」
「冗談だ。さて、無駄話はここまでにして、早く戻るとするか」
そう言って、彼女は歩き出す。
「どうした」
けれども、一向に足を進める気配のない私を訝しげに振り返った。
「──いえ、どうやら気のせいだったみたいです」




