9話
「……」
「ハ、ハロー……?」
黙り込んだままあかりを見つめている少女。
とりあえず、片手を上げて挨拶をしてみた。
すると、ひょこりと彼女も手を上げる。
「あなたは協会の魔女?」
こくりと頷く。
やっぱり味方だ。ほっと一安心した。
「さっきは助けてくれてありがとう。とは言っても、またここに戻ってきちゃったけど……。名前は何て言うの?」
すると、少女は少し困った顔をする。
その表情を見て、あかりは察した。
「もしかして、────声が出せないの?」
こくりと。
何か理由があるのか。それとも、喉に異常があって出せないのか。
そこで、あかりはポケットからスマホを取り出し、メモアプリを起動して少女に差し出す。
「これならどう?」
受け取った少女。
だが、困惑の色が滲み出している。
上下左右からスマホを眺めているが、それにつれてその色は強く。
「……もしかして、使い方がわからないとか?」
表情がさらに曇る。
まるで初めてのものを見るような仕草に、意外性を覚えた。
今時そんなことがあるのだろうか。
まあ、複雑な事情があるのかもしれない。
そこで、手取り足取り使い方を教えてあげることにする。
「画面に触るとキーボードが出てきてね──」
あかりときょうかは差し出されたスマホの画面を覗き込む。
恐る恐るの操作だったため、大分時間は経過してしまったが、自分の力で成し遂げた。
うん、偉いぞ。少女よ、これが成長だ。
「えーっと、なになに? 『私の名前は蝶月りんです。よろぴくお願いします。』ん? よろぴく?」
「……誤字だろう。読み進めるぞ」
「『私はともえ様の命でここに来まぴた。』」
顔を見合わせる二人。
「あかり、この子は……」
「うん、これは……」
「喋れない分、文字でのキャラ付けを狙っている……!」
「そう、キャラ付けを……じゃない!」
「え!?」
「ともえ様の命で来たあやめたちを相手取ることができる魔女なんて一つだろう!」
「まさか、特務班……?」
目の前のこの子が?
確かにただ者ではない雰囲気は醸し出しているけど。
着物着てるし。
「そうなの?」
りんは素直に頷く。
衝撃を受けながらも、あかりは次の文に目を通す。
命令は次期東の魔女候補であるあなたを陰ながら護衛すること。
そのあなたに対し、あやめは北の勢力と手を組み攻撃してきた。
明確な敵対行為として捉えていいでしょう。
この鏡の世界は彼女が手を組んだラミューという北の勢力の魔女により、一時的に生み出されているものです。
入った鏡を壊すことにより、元の世界に戻ることができますが、どうやら壊すことができるのは外部からのみのようです。
さらに彼女は最初、一つの鏡に一つの世界としていましたが、壊されない対策として、全ての鏡の世界を繋げました。
それにより、元の世界に戻るためには『この建物の全ての鏡を同時に壊す』ことが必要になってしまいました。
つまり、私もこの世界に来させられてしまい、外部との連絡手段もない今、私たちは元の世界に戻れません!
ごめんぴょん!
「ぴょん!?」
「何でこんなノリノリなんだ!?」
ですが、その負荷は相当なもののはず。
長くは持ちません。そう遠くないうちに元の場所に帰ることができるでしょう。
安心してください。私が側にいる限り、あなたを殺させはしません。
……あ。
させないぴょん!
「彼女は自分のキャラを探しているんだ……! 今、まさに……!」
「言ってる場合か!」
そんなやり取りを見て、りんはくすりと笑う。
「……つまり、私たちはここでただ、待つしかないということか」
痛いほどに拳を握りしめているきょうか。
彼女の心が波立っているのが手に取るようにわかった。
「さっきは結局聞けずじまいだったけど、そのネルヴァージっていう魔女は何者なの? きょうかとはどんな関係性?」
「……莫大な魔力を持った魔女からは死の概念が消える。あかりも知っているはずだ。だが、やつはそれ以外の方法で死の概念を消す方法を調べていた。それは、単なる不老不死ではない。そして、多くの孤児を強制的に魔女にして実験をし、いくつもの命が犠牲になった。さらに、やつはその実験をこの日本で行っていた。北の魔女のスパイとして来た、この日本で。でも、もうその名前が出てくることはないはずなんだ。なぜなら、今はもう協会に捕まっているから。捕まった瞬間を、この目で見ているから」
少し伏し目がちになるきょうか。
察することができないほど、鈍くはなかった。
「────私とまりを魔女にしたのが、そのネルヴァージなんだ」
忙しなく部屋をうろつくサヤ様。
理由は明快。
昨日あやめの元へ向かったあかりときょうかが未だ帰ってきていないからだ。
何度もスマホを起動しては、彼女たちからのメッセージがないことを確認し、ため息をつく。
まるで、恋人からの連絡を待っているかのようだ。
でも、サヤ様を落ち着かせるため、彼女の前では平静を装っていたつもりの私も、端から見れば同じようだったのかもしれない。
「……やはり、私も同行するべきでした」
そう言葉を漏らすのと同時に、彼女の元へ電話が一本かかってきた。
天井から見えない糸でつり上げられたかのように背筋がぴんと伸び、急いでスマホを確認する。
その瞬間、サヤ様の顔が曇った。
「ともえ……?」
訝しげながらも、通話ボタンを押し、耳につける。
「はい。ええ……。はい……」
事務的な返事。
きっと心は上の空なのだろうと思っていたその矢先。
「あかりさんに着いて行った特務班の一人も戻ってない……?」
サヤ様と私の目が合う。
状況がうまく飲み込めない中、インターホンが鳴った。
電話をしている彼女から離れ、モニターを覗く。
その瞬間、私は自分の心臓が一際大きく跳ねたのを最後に、止まったかのような錯覚を覚えた。
「このタイミングで、どの面下げてやってきたの……!」
次には、ふつと体の内側から怒りが湧き上がってくるのを感じる。
「朝狩、あやめ……!」
「知らないな」
あかりの行方について尋ねられての第一声がそれだった。
「そもそも、浜野田あかりは昨日、私のところへは『来ていない』。来ようとしていたことも今初めて知った」
「……」
「あの手紙の内容だ、来なくても仕方がないと思っていた。そもそも来る日付も指定していなかったしな。それを反省した私はこうして直接お伺いすることにしたというわけだが。不在であれば、仕方がない」
「何が仕方ない、よ。そんな言葉信じられるわけがない」
「信じる信じないなどと裏切り者が大層なことだな」
「っ……!」
一歩前に踏み出した私を見て、あやめの隣にいたれいが牽制してくる。
「おおっと、落ち着いてくださいよぉ? 私たちはただ、お話をしに来ているだけなんですから」
「さて、『運悪く』浜野田あかりがそういった状況なのであれば、仕方がない。東の魔女の穴は可及的速やかに埋めるべき事項だ。そして、私はこうしてめでたく回復を果たした。サヤ、あのときの話を忘れてはいないな?」
「東の魔女の地位をあなたに譲るという話ですか」
それを聞いて、あやめは満足げに目を細める。
「覚えてくれていたようでなにより。まさか、浜野田あかりが候補になるのは問題ないとみなすような卑怯なことをするつもりではあるまい?」
「……わかっています。約束は約束です」
「サヤ様!」
「良い返事が聞けてよかったよ。サヤさえ承認してくれれば、ともえとはるなも後に続く。では、すぐにでも就任式の手続きを進めるとしよう」
「こんなの明らかに怪しいです! おかしいです! そんな都合良く……!」
「何が怪しい? 何がおかしい? 言ってみろ」
私はれいを睨みつける。
「ネルヴァージに何を指示したの」
その問いに対し、飄々とした態度で彼女は答えた。
「北の情勢が変わった今、その事情について詳しく知るために私は彼女に接触した。彼女は北の勢力の出身ですからね。ですが、会話の中で彼女の邪悪さに耐えきれなくなった私は自殺するように促した。全く反省などしていなかったんです。彼女が死ぬべき存在なのは、あなたもよくわかっていることでしょう?」
「それくらいで素直に死ぬ性格じゃないこともね……!」
そこで、あやめは少し驚いたような顔をする。
「そうか。君は彼女と因縁があるんだったな」
「何を今更!」
「でも、どれだけ彼女のことを知っていようと、この結果は事実だ。それに、司法部もそう認めている。この大勢を君はどうやって崩すつもりだ?」
飲み込まれてはだめだ。
そんなわけがないのだから。
自分以外の全員が認めたという理由のみで、自分の意見を曲げてはならない。
でも、その証拠をどうやって掴めばいい……?
悔しさで唇を噛みしめた。
そんな私を鼻で笑ってから、あやめたちはその場から立ち去ろうと、ドアに手をかける。
血液が煮えたぎり、体が熱くなっていくのを感じた。
あまりの無力さに吐き気さえ覚えるほどだった。
けれど。
それらは始めからなかったかのように。
全ては消え失せ、雑多な感情は白一色で塗り潰されていく。
それは、振り返ったあやめの一言によって。
そして、何もかもが染まるその中で、一番最後に残っていた思い。
……ああ、全て繋がっていたんだと。
「では、これで失礼するよ。近い内にまた会おう、サヤ。そして、────『翡翠きょうか』」
それからどれだけの時間が経ったのだろうか。
30秒だった気もするし、5分だった気もする。
呆然と立ち尽くしていた私はサヤ様に肩へ手を置かれ、何度も名前を呼ばれていることにようやく気が付いた。
「まり! しっかりしてください!」
「サヤ様……」
「どうしたのですか。一体何が──」
「サヤ様は、私のことを信じてくださいますか?」
「……? それは、どういう……」
「……これから私の言うことを信じてくださいますか?」
釈然としない表情も束の間、すぐに顔は引き締まる。
そして、目の奥にいる「私」を見据えて、口を開く。
「当然ではないですか。まり、あなたは私の大切な仲間です」
それは、その先を聞きたいがための嘘かもしれない。
でも、嘘でもいい。真実かどうかは重要ではない。
その言葉に私は確かに救われたのだから。
それだけは誰にも否定できない事実だから。
息を吸い込み、私は全てを話す覚悟を決めた。
「私は確信しました。ネルヴァージ・ドルレスは生きています。────今も、朝狩あやめの中で」




