8話
「大変だよマレイダット!」
白いドレスの女は気だるげに視線だけを鏡に向けた。
「そんなに慌てて、一体どうしたの?」
「向こうは全員やられて、なおかつ僕の魔術結界が破られた!!」
「……少女一人にあの五人が負けたというの?」
「僕たちも行かないと! ネルヴァージ様の身に何かあったら……!」
その視線を今度は前に向け。
「ふぅん、まぁいいわ。こちらも丁度飽きてきたところだったから」
「待て……。まだ何も聞いていないぞ……!」
咳き込む口を覆った手を見れば、血の飛沫が付着していた。
あかりが駆け寄り、手を添えて怪我をしていなかった状態へと巻き戻す。
「きょうか……」
「端役にしては悪くない強さだったけど、相手が悪かったわね? いくら傷付いても死なない私とは相性が最悪だもの」
「協会に囚われているはずのあいつがどうして……」
「何やら楽しそうな話をしているな」
気が付けば、あかりたちは元いた場所に戻ってきていた。
最初にあやめたちと会った部屋だ。
見回すとその場にはあやめとれい、そして着物の少女がいた。
周囲には先程まで自分たちを取り囲んでいた魔女らがうつ伏せのまま、動く様子はない。
これを全て、あの少女が……?
「……今の一瞬で、鏡を割ったか」
あかりたちの足元には割れた鏡の破片が散らばっていた。
「ええ。ですが、全てではありません。一つだけ残されています」
「偶然ではないな、意図的だ。どういう能力かがわかったうえで、か。誘導されていると考えて間違いはないだろう。それに乗るのは癪だがやむを得まい」
そして、あやめは半ば叫ぶように大声で指示する。
「ラミュー! 全ての鏡を繋げろ!! 個別では意味をなさん!!」
残った最後の鏡に先程の眠たげな目をした少女が映る。
「えー。あれ、すごい疲れるんですけど」
「選べ、ここで死ぬのか生き延びるのか」
「そう言われたら、選ぶまでもないけどさ。対象は?」
「浜野田あかりと翡翠きょうかだ」
「りょーかいっでーっす」
言い終わると同時に、再度鏡が光を放ち出す。
「またこれ!? だからなんだって────」
あかりの叫びも虚しく、言い終わる前に二人の姿は再びその場から消えてしまう。
そして、相対するのは三対一。
圧倒的に不利な状況に見えるにもかかわらず、少女は顔色ひとつ変えていない。
「どうだ? お望みの組み合わせに分断にしてやったんだ。もう少し喜んでもよさそうなものだが」
「……」
奇妙なのは、その存在感。
派手な様相とは裏腹に、個として成立していないような錯覚を覚える。
それは例えるなら、自然災害のような現象に直面しているかのような脅威。
『そういうもの』として捉えるしかない無力感をその身に覚え。
「喋る気がないのか。はたまた、喋ることができないのか」
「どう見ますか」
「おそらくは、その場にいる味方も巻き込んでしまうような魔術なのだろう。だから、浜野田あかりたちを逃げさせた」
「どんなものか慎重に見定める必要がありますね」
「だそうだぞ、マレイダット」
「あら、私がそんな野蛮に見えまして?」
「外傷で死なない者は慢心しがちになるのが世の常だ。何もお前が悪いわけではない」
「どんな顔をすればいいのかわかりませんわ」
少女は一歩、彼女らの方へ歩みを進めた。
「花の匂い……?」
「これは、百合か」
二人の発言にマレイダットは首を傾げる。
「お二人とも、何をおっしゃっているのでしょう?」
「お前にはこの匂いがわからないのか?」
すんすんと鼻を鳴らし、肩をすくめる。
「したのは『鈴の音』だけですわ」
「鈴の音、ですかぁ?」
「それは先程私たちが体験したものだ。……なるほど、読めてきたぞ」
その先を見通そうと、れいは顎に手をやり考え込む。
「順を追っている……? 蝶、鈴、花……」
「いや、違うな。れい」
少女がもう一歩を踏み出そうとした瞬間、全ての照明が消える。
「────視覚、聴覚、嗅覚だ」
言い終えると同時に、眩い光が束となって少女を包む。
轟音と衝撃。
あかりにしたのと同様のものだ。
だが、その時よりも威力は増している。
「そして、私の直感が正しければ、これ以上こちらに近付かせてはいけない」
「残るは味覚と触覚。あと二歩ですか」
「ああ。あと二歩彼女がこちらへ進むことで、何かが起こる。こちらには好ましくない、何かが」
「にしても、階下に落とすとは。修理費用も馬鹿にならないんですけどねぇ?」
「ようやくいつもの調子に戻ったじゃないか。そうではなくてはな?」
「……ひょっとして私、煽られてます?」
「そう怖い顔をするな、緊張を解すための戯れだろう」
「はぁ、調子が狂う」
そこで初めてあやめは立ち上がり、床にぽっかりと開いた穴から階下を覗く。
すると、こちらを見上げる少女と目が合った。
無傷。
異なる点は、扇子を口元で広げていたこと。
描かれていた夜桜の鮮やかさが目を引く。
おそらくはあれで対処したのだろう。
「現状出せる全力をぶつけたつもりだ。もちろん殺せるなどとは思っていなかったが」
「でも、傷一つ付いていませんわ、あの子」
「傷付いたのは私の方だ」
「あらお上手」
「上手くない。あなたも調子に乗らせないでください」
あやめは腕を組みながら、薄ら笑いを浮かべる。
「この身に受けて理解した。あれは幻術などではない。領域内の自分を含めた存在に対し、問答無用でルールに従わせる類のものだ」
「ルールに従わなかった場合は?」
「それ相応の罰が与えられる。レティーナがいい例だ」
そう言われて思い返す。
少女に襲いかかった彼女は突如として倒れ込み、動けなくなっていた。
「限定的ではあるが、作り出した法則を強いるそれは、世界の上書きといっても過言ではない。つまり、彼女は魔法の領域に片足を踏み入れている」
「そんな存在が、東の勢力に……? 聞いたことがありませんが……」
「私も知らないが、心当たりはある。いや、知らないからこそ、と言った方が正しいか」
「まるで意味がわかりませんが」
「聞いたことがないのは当然という話だ。なぜなら、彼女たちの存在は秘匿されているのだから」
「……まさか」
「おそらくは────特務班。その一人だろう」
れいは口の中が乾いていくのを感じた。
東の魔女がいない今、指示をしたのはともえの他にいない。
目的は浜野田あかりの護衛か、それともこちら側の調査か。
いずれにせよ、見られてしまった以上はただで返すわけにはいかない。
「だが、そのルールも自分勝手に決められるものではあるまい。彼女の強い思いが関係しているはずだ。それが良いものであれ、悪いものであれ、な。……非常に興味深い」
「……それで、そんな相手をどのように対処をするおつもりですかぁ? 勝算は?」
「勝算はない。私たちではどう足掻こうが勝てないだろうからな」
「あら」
「はぁ!?」
「だから、優先順位を変える。対処は後から来た本部の者に任せて、私たちは東の魔女への就任を急ぐとしよう。それまで彼女の身柄は……おい、ラミュー!!」
「はいはい。わーってますよーっと」
少女の落ちた下の階にも同様に設置されていた鏡が光を放ち出す。
「それではまた会う日まで、ごきげんよう」
「……」
そして、何一つ言葉を発さず、抵抗もしないまま彼女の姿がその場から消えた。
「本部の者であれば、対処できる保証があるんですかぁ? 主要な者たちは軒並み殺されてしまっているんですけど」
「誰がなんてことは知らん。だが、運を味方につけるのはお前の得意分野だろう? れい」
「そんな便利なものじゃありませんって……」
「素晴らしい信頼ですわね。そのような関係を築けるよう私も努力しますわ」
「ぜひとも頑張ってくれ」
「肝心なところを他人任せにしているだけでしょう。ああ、頭が痛くなる」
「それでラミュー、留めておくのはどれくらいできそうなんだ?」
「一週間が限界。それ以上はどう頑張っても無理」
「十分」
そう呟くと、あやめは髪を掻き上げる。
「────さぁ、世界を取り戻す一週間の始まりだ」
「戻れたかと思えば、またここ……」
「体に異常はないか……?」
「うん、それは大丈夫だけど……」
天井を仰ぎ見て、半ば放心状態の二人。
聞いた話の流れからして、自分たちは鏡の中の世界にいるということはなんとなく理解した。
そして、おそらくあのラミューとかいう鏡に映っていた魔女の仕業だということも。
「多分、あの着物の子が戻らせてくれたんだよね」
この場にいるのはあかりときょうかのみ。
おそらくその理由は彼女を対処するためだろう。
そして、こちらに全く干渉してこないということは、かなり手こずっているということ。
「一刻も早くここから抜け出したいところだけど」
「そうだ。続きを聞かなければ……」
「……」
「すまない、こっちの話だ。……おそらく、入って来た鏡が割れたことで私たちは戻ることができた可能性が高いが」
言い終わると同時に、きょうかは掌の上で自身の魔力を硬質化させた。
さらに、その鋭利に形状を変化させ、鏡に向けて射出する。
だが。
「まぁ、そう上手くはいかないか……」
鏡は割れるどころか、罅一つ入っていない。
「うーん。外部からの攻撃しか割れないようになっているの、か?」
「さらに気になるのは、全ての鏡を繋げるというあやめの発言だ」
「……もしかして、この建物全ての鏡が外部から割られないと私たちは出られないとか、そういうオチじゃないよね……?」
「その可能性が極めて高いと私は思っている」
「も~勘弁してよ~~」
割れた鏡を調べているきょうかを尻目に、あかりは机の上に仰向けになる。
きょうかには悪いが、少し休憩だ。頭が疲れて今のままでは良い案も浮かばないだろう。
この際、お行儀が悪いだとか知ったことではない。
目を閉じて、深くため息をつく。
「ほんとに勘弁してよ……」
ぐるりと一回深く重いめまいがする。
そのとき、瞼越しに眼の前が暗くなるのを感じる。
室内の照明が消えたのか。
にしては、きょうかは何も言ってこないのが気になる。
違和感を覚え、目を開ける。
「うわぁ!?!?」
「どうした!?」
思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。
それもそのはず。
暗くなった原因は自分が覗き込まれていたから。
さらに。
その覗き込んでいた正体が、
────今まさにあやめたちを手こずらせているはずの着物の少女だったからだ。




