7話
恐る恐る目を開ける。
周囲に変化は見られない。
二人以外には誰もいないという一点を除いて。
この感じはつい最近に覚えがある。
あの夢だ。
「あかり、大丈夫か」
よかった。
どうやら、きょうかには記憶があるらしい。
「一体何が起きて……?」
いつの間にか眼の前には先程の大鎌を突き付けてきた女がいた。
死神と聞いたら想像するような仰々しいサイズに思わず息を呑む。
相応の重さがあるだろうが、それを片手で軽々と自らの肩に乗せて、こちらに微笑みかけてくる。
「あんたたちは何者? 何が目的?」
「ヴァストヴェーレって言えば後はわかってもらえるかしら?」
それを聞いて、きょうかが目を見開く。
「復権が目的か……!」
「それと復讐ね」
「内輪揉めにこちらを巻き込むな」
「それを私たちに言われてもね。 先に始めたのはあちら側なのだから」
「え、何? どういうこと?」
全く話についていけない。
「ヴァストヴェーレは殺害された北の魔女の直下組織の一つ。新しい北の魔女に迎合しなかった彼女たちは排斥されたと聞いている」
「説明ご苦労さま。そういうわけであなたには死んでもらわないといけないのよ」
「いや、どういうわけで!?」
どうしてこちらを狙ってくるのか。
話が繋がっていないあかりに向けて、女は大鎌を振り回してくる。
ほぼ同時に、頭上から無数の尖った鉱石のような物体が降り注いでそれを遮る。
隣を見れば、まっすぐに腕を伸ばしたきょうか。
彼女が何かをしたのは明らかだ。
だが。
「どうなってんの……」
呆けていると腕を引かれる。
「とりあえずはここから逃げるぞ!」
降り注いだ大部分が体中に傷をつけ、中には突き刺さっているものもある。
にもかかわらず、全く意に介していない。
それどころか、楽しそうに笑っている。
「これが話に聞いた鬼ごっこというものね? 上手くできるといいのだけど」
会議室に駆け込んだ二人。
全力で走って乱れた呼吸を整える。
「これまでの話で言うと、あいつらはあやめを擁立しようとしているってことなのかな。それで、東の勢力と手を組んで、新しい北の魔女に対抗しようとしている?」
「おそらくは。けれど、妙なのはあのあやめが素直に従っていること。自分が東の魔女になるためとはいえ、そんなことをするような性格ではなかったはず」
「誰かに操られているとか?」
「そんな風には見えなかったな……」
「う~ん、わからないなぁ」
「とりあえずはここから早く逃げるのが先だ。呼吸は落ち着いたか? 窓を割って、外に飛び降りるぞ」
「こ、この高さから!?」
早足で窓に近づくきょうか。
少し遅れてあかりも続く。
眼下に広がる光景に思わず足がすくんでしまう。
「ひぃ~! 本当に大丈夫かなぁ!?」
病院のときと同じようにすればいい。
理解はできていても、不安は拭えず心に広がっていく。
心臓が縮まる思いをしているあかりの肩に手が置かれた。
「何も心配することはない。あかりはただ私に身を任せればいいだけだ」
きゅん。
王子様スマイルから見える白い歯が眩しい。
「は、はい……///」
あらやだ。
私ったらなんで敬語を。
だが、そんな思いも束の間。
あかりの顔から血の気が引いていく。
きょうかの背後にある壁に立てかけられた鏡。
そこにはここにいるはずのない白いドレスの女が映っていた。
人差し指を口に添え、静かにのジェスチャー。
それから、あの大鎌を振りかぶって。
「きょうか後ろ!!」
「つ~かま~えた♡」
鏡から距離を取りながら振り返ろうとするきょうか。
だが、それは間に合わず、鏡から飛び出てきた大鎌に左肩が切り裂かれた。
溢れ出る血液。
痛みに顔を歪めながらも、流れるような手つきで治癒魔術を患部にかける。
その間に鏡からずるりと姿を現す女。
「鏡の中から、出てきた……!?」
「くっ……!」
きょうかは流血が止まったことを確認すると、右手の中で生み出した魔力を硬質化させる。
やがて、槍を象ったそれを振るい窓ガラスを割ろうとする。
しかし。
割れたのは槍の方だった。
ガラスには傷一つついていない。
それを見て、女は笑う。
「この建物、妙に鏡の数が多いと思っていたが、彼女らは鏡の中を自由に移動できるのか……!」
「なにそれずるい!?」
「鬼ごっこはもう終わりなのかしら? もっと遊ばせてほしいのだけど」
「完全に楽しんでる……」
「あの着物の子が死んだ連絡がネルヴァージ様から来るまで、時間を潰さないといけないんだから」
そこで、きょうかの表情が一変する。
「ネルヴァージ、だと……?」
「あっ!?」
演技か自然か、口を手で覆って驚いた仕草を見せる女。
「どうしてあいつの名前がここで出てくる!?」
「口が軽すぎだよ、マレイダット……」
この場にいない誰かの声がする。
声の出処に目を向けると、女が出てきた鏡の中には眠そうな顔をした少女が映っていた。
ボサボサとした茶色の長髪。
垂れ気味の目を今も擦りながら、口を尖らせている。
「……あなたも出てきてはいけないはずでしょう? ラミュー」
「流石に見かねて出てきたんだよ。君がこれ以上余計なことを言ってしまわないようにね」
「こちらの質問に答えろ!」
「ほら、相手方はお怒りだよ。どうするのさ」
「でもよく考えてみたら、二人共これから死ぬことになるのだし、知ったところであまり今後を左右するとも思えないのだけど」
「はぁ……。その油断がいずれ君を苦しめることになるよ」
焦燥しきったきょうかにあかりは尋ねる。
「ねえ、そのネルヴァージって一体何者なの……?」
「ネルヴァージ・ドルレス。まさかまたその名前を聞くことになるとは」
「はい。協会に囚われていた彼女は昨日、自ら命を絶っていたそうです」
「きっかけは一体……?」
サヤの問いにまりは深く息を吐いた。
感情を諌めるようなその仕草に、本当に動揺しているのは彼女自身であることを悟る。
「……その日、ある魔女が面会に来ていました」
憂いを帯びた彼女の長いまつ毛が小刻みに震えているように見えた。
「天ヶ崎れい、あやめ一派の者です。面会の目的は北の勢力の情報収集だったと聞いています」
「それがどうして自ら命を絶つような事態へと……? いや、そもそもどうして自殺だと判別されているのでしょうか。あの場所は収監者がそのようなことができないように周囲の物は管理されているはずです。死亡時の状況を教えてください」
「彼女が何かを呟こうと口を動かした瞬間に、体から魔力反応が検知され、そのまま息絶えたのです。一見、外的要因によるものとしか思えませんが、場所とそこに至るまでの経緯を考慮するにそれしかあり得ないと」
「魔力反応は全て検知されているうえ、面会時は立会人が必須であり、なおかつ会話も全て録音されている。つまり、れいを含むこれまでの面会者に不審なことはできなかったから。そういうことで合っていますか?」
まりは頷く。
「にしても、です。その魔術は彼女自身の魔力を用いてのものではないはず」
「サヤ様のおっしゃるとおりです。収監者は魔術が使えないように魔力を吸い上げられていますから」
「となると、離れた場所から行使された、という線も考えられなくはないはずです。教会の防護を考えると、それこそ魔法レベルでなければ難しいかもしれませんが……。それでもなお、自殺の可能性が一番だと言える根拠とは何なのでしょうか?」
「それはれいの言葉です。情報収集の最中、全く口を開かなかった彼女に対し、暴言を吐きました。そして、その中でれいはしきりに自殺を促していたそうです。そのままれいは立会人に連れて行かれ、面会は中止になったそうですが」
「それで、その後に死亡していたから、自ら命を絶っていた可能性が高い、と? にわかに信じられる話ではありませんが……」
「司法部の今のところの結論としては、長期間収監され、心身ともに衰弱しきっていたことにより、従ってしまった。その方法としては、収監前から自らかけていたもしくは誰かにかけられていた、ある言葉を発すると死亡する強力な呪いを意図的に発動させたということらしいです」
「呟いただけで……。そのうえ、発動するまで一切、不審な魔力反応だと検知されずに? そんなこと、それこそ魔法でもなければ……」
「いずれにせよ、収監に耐えられず、自ら命を絶ったと信じることは私にはできません。これにはきょうかも同意見だと思います」
「……」
「────あいつがそんなことをする性格ではないことは、私たちが一番よく知っていますから」
「……その前に一つ、お聞きしてもよろしいですか?」
あやめは椅子の背もたれに深く背を預けながら、不思議そうに片眉を上げた。
「どうした、れい。そんなに畏まらなくてもいいだろう。先程までのお前はどこに行った?」
「今のあなたにとって、私はどう映っていますか?」
その問いかけにあやめはくつと自嘲するかのように笑う。
重く、深い笑みだった。
彼女がこのような表情をしていたのをこれまでに見たことはない。
汚泥を塗りたくったかのようなそれは、こちらを不快にさせるには十分すぎるほどのもので。
「不思議な心持ちだ。裏切られたという気持ちと信頼。本来相反するはずの二つの感情が同居しているんだよ。それに、片方が膨らむと呼応するようにもう片方も大きくなっていく。全く、感情というものは奇妙なものだな」
「そう、ですか」
「そう言うお前はどうなんだ。今の私はお前の目にはどう映っている?」
「……わかりませんよ」
「ほぅ」
「ただ、一つ一つの所作にあなたではない部分を感じる度、私の中の歯車が欠けて空回りするような、そんな空虚な気持ちに陥るのです」
「ふっ。たった今、私もそれを感じたぞ。少なくとも、お前はこれまでそのような詩的な表現をするやつではなかったはずだ」
一際大きく、心臓が脈打つ。
「……今のあなたは『どちらが主』なのですか」
「聞くのは一つだけじゃなかったのか? 欲張りなやつだ」
そう言って、こちらに微笑みかけてくる顔はこれまでと同じで。
だからこそ、自分の中の気持ちが雑音に塗れていって。
「私は私だよ」
「……答えになっていませんが」
「まぁ、まだ安定していないのは確かだ。だからこそ、こうして私は戦闘には参加せず、ヴァストヴェーレのみなさんにご協力いただいているというわけだが」
人差し指の横腹で唇をなぞる。
その仕草にちりと脳が焼けるような錯覚を覚え、軽く頭を振る。
「────用心深い私は知っているぞ」
しゃらんと鼓膜に溶ける鈴の音。
振り返れば、出口に誰かがいた。
──それは、着物の少女。
その足元には戦闘していたはずの魔女たちが転がっている。
生死の判断はつかない。
次第に焦燥の色が滲み出していくれいとは対照的に、あやめは満足げに目を細めた。
「こういうのは往々にして簡単には行かないことをな」




