4話
夢消失の件を調査するためにこの病院まで来たが、まさか直接部屋に来ることができるとは思っていなかった。
それに入るよう促されるとも。
取り計らってくれたのは、あの日自分を東の魔女殺害の重要参考人として協会に連行したあやめの部下の一人。
その思惑は計り知れない。彼女はどうしてそのまま帰ってしまったのか。
ななとは手分けをして病院周辺を調査しているため、あかりは一人。
だが、チャンスだと、そう思った。
病室に入り、変わり果てたあやめの姿を見て、あかりは一瞬怯む。
だが、すぐに表情を引き締めた。
「意識不明だって聞いてたんだけど」
「生憎だが、ついさっき目覚めてね。だが、大方の事情は把握している。残念だが、私が意識を取り戻したことで君の東の魔女就任は白紙だ。すでに否認を協会に連絡している」
「聖女に喧嘩を売ったらしいじゃん」
「ああ。そのおかげでこの有り様だ」
「何があったの」
「単純に、私よりもやつらの方が強かった、それだけの話さ。……で、君は何の目的でここに来た?」
「例の夢の消失事件。街を覆う魔力はあんたが意識不明になってこの病院に連れて来られてから、あんたを中心に渦を巻き始めた。その原因を探りに」
あやめは目を細める。
「何か知っているなら、教えてほしいんだけど」
「わからない」
「本当に?」
「私はサヤのように卑怯な真似はしない」
「まだそれ言ってるの?」
「君がここにいるということは、抜け出したのか? それとも、東の魔女殺害の件は解決したということか?」
「解決はしてない。だけど、当たりはついた。西の魔女」
「……なるほど、そうきたか」
そのとき、あかりの背後を何かが通過する。
そして、鳴り響く轟音。
体に伝わる衝撃。
「何!?」
振り返ると、壁にはひしゃげた扉。
ぞくりと背中に冷たいものが走る。
扉があったはずの場所に目を向けた。
あやめは、さらに細く目を細め。
「今日は来客が多い日だ。面会を許可した覚えはないんだが」
「紫峰ことね……!?」
そこにいたのはことねだった。
失くしたはずの左腕が存在している。
ゆらに治してもらったのだろうとあかりは察した。
だが、様子がおかしい。
「……お前のせいだ」
「なに……?」
「お前のせいだ! お前がサヤ様を立ち直らせた!! 手を差し伸べるのはあたし! サヤ様を救えるのはあたしだけなのに!」
「なになに!?」
バチリとことねの放った魔力が稲妻のように走り、直撃した壁を穿つ。
その威力にひゅっと喉が鳴る。
途端にことねはくしゃと自分の髪を握りしめた。
「違う違う違う! あいつはサヤ様を救えてない! その場しのぎの言葉で誘惑して、利用しようとしているだけの悪魔だ! あたしにならできる、あたしにしかできない! サヤ様を救うことは! だって、あたしはお前らなんかとは違うんだから!」
精神に異常をきたしているのは明らかだった。
「私をこの状態にしたのはあいつだ」
「そうなの!?」
「君は逃げろ」
「え!?」
「あああぁぁぁああああ!!!」
叫び声とともに周囲に魔力を撒き散らすことね。
それを見て、半ばベッドから転げ落ちるように前に立ったあやめはあかりを無理矢理に突き飛ばす。
あかりの体が宙に浮かぶ。
窓ガラスを突き破ってもまだ止まらない。
ここは3階。
ぐるんと視界が回転する。
「死ぬ死ぬ死ぬ!!! 死ぬって!!」
手をあれこれと振ってみるが、その甲斐は虚しい。
あっという間に眼前に迫ってくる地面。
段々と「それ」に近付いていくにつれて、時間が伸びていく。
長く感じていく。
途端に浮かび上がるこれまでの記憶。
ああ、これが走馬灯というやつかと。
ふと手を伸ばす。
数え切れないほどの記憶へと手を沈める。
触れたのは。
『──甘い、黒瀬チョップ』
間違えた!
もうちょっと手前!
脳が「死」を感じ取り、ぼうっとしていく意識の中。
あかりは生きる術を掴み取った。
自分と地面の間にある空気の時間を止める。
「ふんっ!!!」
全魔力を注ぎ込むつもりで、時計の針を押し留める。
すると、地面に鼻先が触れる寸前で、体が停止した。
「~~~~~~っ!! べぶっ!?」」
それも続かず、地面にぶつかる。
だが、なんとか生還することができた。
ほっと胸を撫で下ろす。
「あかり!」
全速力で走ってきたななが砂埃をあげながら目の前で止まる。
「なな!」
「ごめんあかり。命を燃やして走ってきたんだけど数秒遅れた」
「反対側にいたはずなのに、むしろよくこの速さで……」
「でも──」
ななはぐっと親指を突き立てる。
「修業の成果」
「うん!」
今もじんじんと痛む鼻を擦りながら、あかりも親指を突き立てる。
瞬間。
あかりが落ちてきた部屋から眩い光が放たれた。
続いて鼓膜を劈く轟音とともに病室の壁が粉々に吹き飛ぶ。
瓦礫とともに落ちてくるのは。
「あやめ! なな、お願い!」
「……あかりがそう言うなら」
難なく受け止めるなな。
言葉を発さず、ぐったりとしているあやめ。
巻かれた包帯が鮮血を吸い、赤に染まっている。
あかりは息を飲んだ。
彼女の顔半分がグズグズに崩れていたからだ。
生きて、いるのだろうか。
こんなことができる魔力も、ことねの精神も理解ができない。
けれど、確かなことがある。
彼女は自分を庇ってくれた。
なら、やらなければならないことがあるだろう。
そのとき、目の前にことねが降り立つ。
虚ろな目でこちらを。
「お前がいなければ、全て上手くいっていたんだ……」
「そこまでですよ」
あかりとななの隣を歩いてくる。
この声は。
「繭園ゆら……!」
「随分と早い再開になりましたね、あかりちゃん。無事で何よりなのですよ」
通り過ぎざまに彼女は柔和な笑みを浮かべる。
そして、あかりたちを庇うように前に出た。
「ことねちゃん、これは一体何ですか? もしかして、あかりちゃんを────殺そうとしていました?」
「ぁ……」
その瞬間、ことねはこれまでとは打って変わった態度になる。
たちまちにその瞳には怯えの色が宿った。
「違う! 違うの! 私は意識を取り戻したって聞いたから、あやめにトドメをさしに来た! あいつはたまたまそれに巻きこまれただけ!」
「……嘘をつくのですか?」
「ひっ」
後退りをし、膝から崩れ落ちることね。
完全に戦意は喪失しているようだ。
そして、俯きながら。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。お願いだから、お願いですから捨てないで。捨てないで。捨てないで。捨てないで」
壊れた録音機のように同じ言葉を呟くことね。
その豹変っぷりに圧倒されてしまう。
一体何が起こっている。
「ん~。言うことを聞いてもらうために過去のトラウマを少し掘り出したのですけど、想像以上にサヤちゃんへの思いが強いみたいなのです」
「ことねのトラウマ……?」
「お仕置きですよ?」
ゆらが首をかしげると同時に、ことねの左腕がぼとりと落ちる。
「うわぁ!?」
驚くあかりだったが、すぐに元から彼女に作ってもらっていたのだと思い当たり、心を落ち着かせる。
そして、徐々にゆらの繭に包まれていく二人。
「あかりちゃんがいつどこで誰に対して危害を加えようとしていました? 自分の気持ちに素直になるのは良いことですけど、私たちは組織として活動していることを忘れちゃだめですよ? 組織の目的に自分の目的を重ねることができず、こうして自分勝手に行動をするのであれば、すぐにでもあなたを『捨てないと』いけないのです」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
「わかればいいのです。それでは、あかりちゃん。また会いましょうね」
あかりの前から二人は姿を消す。
しばらく、呆然としていたあかりだったが、すぐにはっとする。
抱えられたあやめの体に手を添えた。
時計の針を反対側へ。
まりのときと同じように。
だが。
視界がブレる。
「……あかり?」
「なん、で……!」
突如襲ってくる眠気。
どうしてこのタイミングで。
どうして今なんだ。
待って。
私はあやめを。
倒れるあかりの視界には空が広がっていた。
こちらを呼ぶななの声が段々と遠くなっていき。
「な、んで……」
────世界が暗転する。
「……っ!」
目が覚めたあかりは勢いよく起き上がる。
場所は先程と全く変わっていない。
だが、違和感。
見上げれば、先程ことねが破壊したはずの病室の壁が修復している。
私はどれくらい寝てたのか。
それとも、これは夢なのか。
その答えはすぐにわかることになる。
「ここは……?」
その声にびくりと体が反応する。
振り返ると。
「嘘でしょ……!?」
そこには、傷一つない朝狩あやめがいた。
寝ぼけたような顔をしながらも、困惑の表情を浮かべている。
ならば、これはやはり夢なのだろう。
「でも、まさかあんたがこの夢に現れるとは……。現実とはリンクしているの……?」
彼女を中心に渦を巻き始めた夢を消失させる例の魔力。
やはりそれと関係があるのか。
だが、彼女からの返事はない。
無言でこちらを不安そうな顔のまま見つめてきている。
「いずれにせよ、一応お礼を言っておくね。私を助けてくれてありがとう。現実のあんたも生きているといいんだけど……」
あの傷を思い出すだけでも鳥肌が立つ。
それでもなお、黙ったまま。
「どうしたの?」
「君は誰だ……?」
「ちょっと、変な冗談はよしてよ」
「そもそも、私は誰だ?」
「えっ」
頭に浮かぶのは、記憶喪失というワード。
でも、夢の中で記憶喪失?
不思議なこともあるものだ。
「私は浜野田あかり、あなたは朝狩あやめ。オーケイ?」
「朝狩、あやめ……?」
「むしろ、何なら覚えているの?」
「私は魔女で、魔術が使えるということ、だけ」
そう言うと、彼女は手のひらを上に向ける。
すると、光が集まっていく。
「そっか」
だが、彼女が今見せている魔術はこの夢限定で、現実世界の情報と同じだとは限らない。
だから、それについて深く考えることはやめた。
「私たちは東の魔女連合協会っていう同じ組織に所属している魔女」
「そうなのか」
「ほら、立って」
地面に座ったまま、呆けている彼女の手を取って立たせてやる。
「すまない。ありがとう」
「ん」
敵対しているはずの相手からこんな風に素直に感謝されると、なんというかこう、むずかゆいものがある。
にしても、だ。
「どうしたら元の世界に戻れるのかねぇ……」
「元の世界……?」
「そうそう。私は元の世界に帰らないといけないの。だから、協力してくれない?」
「それは構わないが。私自身はどうすればいい……?」
「一緒に行動していくうちに思い出せるかもよ」
「確かに、それもそうか」
めっちゃ素直。
適当に言っただけなのに。
なんだか少し申し訳なくなる。
本来の彼女はこんな性格だったのだろうか。
そんな気持ちを追いやるように大きく伸びをして。
「じゃあまずは周辺の調査と行きましょうかね!」




