26話
ゆらが指を鳴らす。
すると、ぼたりと何かが上から降ってきた。
床でうねうねと動くそれはよく見ると。
「……魚?」
その瞬間、魚らしきそれはサヤに飛びかかる。
彼女は手から放った魔力をこめた炎で危なげなく燃やす。
しかし。
燃えたそれは光を放ち出した。
「危ない!!」
ぐいと手を引かれ、折り重なるようなかたちで二人とも倒れてしまう。
次には爆音とともに衝撃が体を襲う。
爆発。サヤが手を引いてくれていなければ直撃していた。
きんとする耳を抑えながら、睨みつける。
「くふふっ! まだまだ行くのですよ~?」
当のゆらは楽しそうに笑いながら、こちらを見ている。
「あかりさん! 上です!!」
その声に従い、あかりは見上げる。
「何あれ……?」
天井にはいくつもの白くて丸い球体が張り付き、一面を覆い尽くしていた。
そして、そこから先程の魚のような何かが雫のように落ちるようにいくつも産み落とされてくる。
いつの間にか周りを囲まれてしまった。
冷たいものが背中を流れる。
もしも全てが同じ爆弾だとしたら……。
「サヤ様! 氷の魔術です! 凍らせれば、爆発しません!」
その声に目を向けると、まりが落ちてきた爆弾生物を次々に凍らせていた。
一方きょうかは彼女の後ろで、怯えているままだ。
まりの言葉に従い、サヤは周囲を凍らせていく。
天井の球体そのものを凍らせればいいのだろうが、それをする間もなく爆弾が落ちてきてしまうため、その対処をするしかない。
凍らせきることのできなかった遠くに落ちた爆弾が次々に破裂し、振動する。
逃げ場はあるかと周囲を見回すが、この巨大水槽と別のエリアを繋ぐ通路には、いつの間にか天井と同じ材質の白い何かがべっとりと隙間なく張り付いていた。
目を見合わせ、サヤは天井、まりは床を凍らせる分担をする。
「彼女の魔術は作り出した繭で包んだ物体を変質させるもの。あの水槽にいた魚たちを取り込み、爆弾に変質させたのでしょう。そして、おそらくは自らの肉体さえもそうして若返らせた」
「嘘!? そんなのあり!?」
説明の間も手を休めることなくまりと協力をし、繭と爆弾を全て凍らせきったサヤ。
それを見て、ゆらは手を叩く。
「わあ、すごいすごい! あっという間に凍らせちゃったのです! でも、天井と床だけに集中して大丈夫なのですか?」
指を指したのは、水槽。
そして、表面に薄く伸ばされた白い何か。
その正体。
無数の目がキョロキョロと今も動いて。
それに気が付いたサヤは手を伸ばす。
すると、赤紫色の魔力を半円型に展開し、あかりたちを包み込んだ。
凍らせるのには時間が足りないと判断したのだろう。
水槽からの光を失った館内で、上に設置された薄暗い照明がゆらをスポットライトのように集中的に照らす。
無邪気なその笑顔が途端に不気味に見えて。
こちらに向けて小さく手を振った。
「それでは、行ってらっしゃいなのです」
爆発は防げたのか。水槽は破壊されて、中の水が流れ込んできてしまっているのか。
あかりは恐る恐る目を開ける。
だが、そこには来たときと変わらない水槽があった。
覆っていた爆弾生物の姿は消えている。
とりあえずは、胸を撫で下ろした。
だが、ホッとするのもつかの間。
パンパンと甲高い音が鳴り、くぐもった声が続く。
漂う火薬のにおい。
振り返ると、膝を突くまりと拳銃を握ったゆらの姿があった。
いつの間に移動したのか。
抑えた肩と足から流れ出る赤。
「まり!」
「くふふっ! 水槽につけたのは閃光弾と同じ成分なのです。水槽を破壊してしまったら、後で色々めんどくさいですからね?」
サヤが腕を振る。
もう一度引き金を引こうとしたゆらの体が一瞬にして燃え上がった。
「くふっ、こっちなのですよ?」
聞こえるはずのない声に振り返ると、ゆらが移動する前の場所からこちらに拳銃を構えていた。
どうやって移動した。
理解する間もなく、引き金が引かれる。
鳴り響く銃声。
だが。
ふらついたのはゆらの体。
水槽のガラス面に背中をもたれ、そのまま床にずり落ちた。
だらりと垂れ下がった頭からは血液が滴っている。
誰かが撃ったのか。
見れば、サヤの右目が赤紫色に発光している。
だが、その手には拳銃はない。
彼女が魔術で何かをしたのは明白だった。
「……厄介な魔術ですね」
細めた目で動かなくなったゆらを見つめ。
「それはお互い様なのですよ、サヤちゃん」
「きょうか!?」
その声にサヤが振り向くと、床に出現した繭から姿を現したゆらがきょうかの体をその繭で包み上げていた。
サヤの右目が再び光を放つ。
瞬間。
頬を何かが掠めていった。
「よそ見はダメですよ?」
「くっ……!」
先ほど銃弾で脳天を貫かれたはずのゆらが、そのままの体勢でこちらを見上げていた。
こちらに向けた銃口からは今も硝煙が立ち上っている。
「対象を移し替えるサヤちゃんの魔術は確かに便利ですけれど、移し替える「物」と「その先」の二つをその目で捉えていなければ発動できない。よく知っているのですよ? その魔術は」
繭で自分の複製を作ったのか。
ならば、きょうかを包み上げた繭に手を添えているゆらが本体である保証もない。
「くふっ、────そういうことだったのですか」
繭に触れていたゆらが手を離すと、中に閉じ込められていたきょうかが解放される。
ふらつきながら、両膝を床に突く。
ゆらは何をした。
一見では、魚のように変質したようには見えない。
だが、その『中身』が変質していたのだとしたら。
サヤは顔をさらに歪めた。
「きょうか! ねえきょうか! 大丈夫なの!?」
歩くというよりも、もはや倒れかかるかたちできょうかの肩を持つ。
茫然自失。
その彼女がぽつりと一言呟いた。
「……思い出した」
「きょう、か……?」
「西の魔女の隣にいた、────あの女のことを」
ぴんと緊張の糸がその場に張り巡らされた。
サヤがそれを尋ねようとしたそのとき。
突然、黒い渦が出現する。
あかりは心臓がなであげられるような錯覚を覚えた。
これはつい最近見た。
西の魔女の。
だが、そこから姿を見せたのは、あかりが知らない魔女だった。
「あ、ことねちゃん!」
待ち合わせした友人と会ったかのように弾むゆらの声調。
だが、ことねと呼ばれた紫色の髪をした魔女はキッと彼女を睨みつける。
「言ったよね、サヤ様のことはあたしがやるって。それなのにこの状況はどういうわけ?」
「なかなか苦戦しているようだから、お手伝いしているのですよ。困ったときには支え合うためのペアじゃないですか」
「苦戦じゃない、確実な方法を選んでいるだけ。余計なことをするなら、あんたであろうと容赦しないわよ?」
「ことねちゃんったら照れちゃってもう、かわいいんですから。わかりましたよ、今日のところは大人しく諦めます。でも、──西の魔女と手を組んだというのは見過ごせないのですよ?」
「……協会を潰すために利用しているだけよ」
「西の魔女は私たちが抹殺するべき対象だと思うのですけど?」
声調は全く変わっていないはずなのに、声の圧が増していく。
この場にいるだけで、あかりは体が動かなくなっていくのを感じた。
「だったら何? 私を裏切り者にして、ここでやり合う?」
「そうなりたくなければ、今すぐあなたの手で西の魔女を殺すのですよ。あいつと一緒にいるきょうかちゃんを操って東の魔女を殺させた魔女も、です。あの魔女も西の魔女と似たようなにおいがするのです」
「きょうかに殺させた……? って、なんであんたがあたしも知らないことを知ってんのよ」
「くふっ、きょうかちゃんの記憶にかけられた魔術を溶かして、覗かせてもらったのです」
ことねは舌打ちをする。
それとほぼ同時に、ゆらの体が繭に包まれていく。
「頼みましたよ、ことねちゃん?」
そう言うと、彼女を完全に包みこんだ繭が糸が解けていくようにどんどん小さくなっていき、やがて消える。
「……ゆらのことは謝るよ。あいつがここに来た本当の目的は、あたしに対しての警告だから」
本当に余計なことをしてくれたと呟きながら、ことねも黒い渦に体を沈ませて行こうとする。
だが。
「ことね、待ってください」
サヤに引き止められ、体を止める。
「私を西の魔女に会わせてくれませんか?」
「会ってどうするの?」
「きょうかを操った魔女について聞きたいのです」
「聞いて、どうするの……?」
「それを確かめたいのです。ことね、お願いします。あなたにしか頼めないことなんです」
数秒の間、硬直することね。
まるで、時が止まってしまったかのように。
だが、段々とその口端が吊り上がっていく。
「へぇ? ふ~ん。サヤ様が、ねえ。私に。私にしかできないことって、頼って。そっか、そっかぁ! ~~~っ!! ついに、ついにこのときがっ」
徐々に紅潮していく頬。
興奮とニヤつきを隠しきれていないその表情で、ことねはサヤに顔を向ける。
「いいよ、サヤ様! 私が西の魔女のところに連れて行ってあげる! いつにする? 今行く??」
「ぐぅっ……くっ……!」
「まり!」
服に滲み出していく血液。
サヤは駆け寄り、魔力で傷口を覆う。
「サヤさん、私にやらせてもらえない?」
「あかりさん、何を……!?」
あかりは傷口に手を添える。
「今から撃たれた部分だけ、時間を巻き戻してみる。やったことはないけど、なんかできそうな気がするから」
「あかりさん……」
「あかり……」
加速させることができるなら、戻すことだってできるはず。
根拠はない。
なんとなく、感覚でそう思っただけだ。
目を閉じ、これまでと同じように時計をイメージする。
時を刻んでいく時針。
それを反対側へ。
そこで、これまでとは違うのを感じた。
「(加速させるときよりも重い……!)」
けれど、回せないわけではない。
少しずつ、ゆっくりと回っていく。
すると、次第にまりの傷口が塞がっていく。
完全に塞がったことを確認すると、あかりはふうと息を吐いた。
まりは傷があった場所を撫でる。
血液の染みた服さえも元通りに戻っていた。
「あかりさん、先生の魔法をもうそこまで……」
そのとき、サヤの鼓動が一際大きく脈打った。
あかりの姿がかつてのひなたと重なったからだ。
ひなたはこちらに微笑みかけてくる。
『笑顔だ、サヤ。辛い時、苦しい時こそ思いっきり笑うんだ。笑えば、体も心もほぐれる。ほぐれれば、視野が広がって、明日に目を向けられる。明日に向かって進むことができる』
胸が詰まる。
思わず口が開き、名前を読んでしまいそうになる。
だが、そこにいたのは、浮かない顔をしているあかりだった。
「あかり、さん……?」
「ごめん、私さっきなんにも力になれなかった。サヤさんもまりも必死に戦ってくれていたのに、私は何もできなかった」
「そんなことはありません。あかりさんはまりを助けてくださりました。私が治癒魔術で癒やすよりもずっと早く」
「あかり……。謝らないといけないのは私の方。それなのに、あなたは恨んで然るべき私のことを助けてくれて。本当にもう、どうお詫びをすればいいか」
「ふふっ、じゃあ私はサヤさんとまりに。サヤさんとまりは私に謝らないといけないことがあるってことで、これまでのことは全部帳消しっていうのはどう?」
「いえ、私があかりさんにしたことはそんな帳消しにできるものでは……」
「私が良いって言っているんだからいいの! ほら、ね! まり!」
「……なんだか釈然としない気持ちは残るけど。あかりがそう言うなら、私に断る権利なんて……」
「じゃ、それで決まりってことで」
微笑むあかりを皮切りに、サヤとまりの表情も柔らかくなる。
その様子を黙って見つめることね。
────視線はあかりに向けられていた。




