21話
「よし! 準備ができました!」
そう言って、重そうなリュックを背負うマゴット。
その顔には大きなサングラスがかけられていた。
明らかに顔のサイズに合っていない。
「そのサングラスだと逆に目立ちそうだけど……」
あの後、彼女の要望に沿った店を構えるのに目ぼしい地方の場所を二人で相談しながらインターネットで探し、いくつかをピックアップした。
そして、翌日となった今、場所の雰囲気を実際に味わってみたいとの彼女の要望から、その全ての場所を巡ることになったのだ。
しかし、二人は協会から追われている身。変装は必須だ。
「あれとかいいんじゃない? 塗ったら顔が変わる泥。私に見せてくれたやつあったでしょ」
「とんでもない! あれは大切な商品です! やたらめったら使ってはいけません! めっ、です!」
頬を膨らませ、ずいと差し出されるサングラスを納得がいかない顔で受け取るあかり。
海外のスターか、私たちは。
「長旅になりますよあかりさん、わくわくしちゃいますね! あ、私あれ食べてみたいです。駅弁、でしたっけ。いろんな種類があるんですよね!」
「こんなんで本当に大丈夫かなぁ……」
電気よし、ガスの元栓よしと腰に手を当て、指差し確認している彼女を見ながら、拭えない不安に思わず声が出てしまった。
だって、今はセトがいない。見つかってしまったらおしまいだ。
「まぁいいや。どうにでもなれ……。マゴちゃん、先に外出てるからねー」
「はい! 私も確認し終えたら行きます!」
返事を聞いて、あかりはドアノブに手をかける。
軋みを上げながら開いていく扉。
その先に目を向けたあかりの動きが止まる。
「……え?」
そこにあったのは、アパートの2階から見える景色などではなく、回転している黒い渦。
理解が追いつかない思考。
だが、追いつかないまま、体はその渦に引き寄せられていく。
「え!? ちょ、何!?」
手足をジタバタとさせるが、近くに掴まることのできるものはなかった。
「……あかりさん?」
「マゴちゃん来ちゃダメ!!!」
異変を感じて様子を見に来たマゴットに警告する。
あかりの必死な表情に一瞬怯んだマゴットだったが、次には覚悟を決めて、あかりに手を伸ばした。
「あかりさん! 掴んでください!」
だが、その呼び掛けも虚しく、みるみるうちにあかりはその渦に飲み込まれていき、後にはもとの景色だけが残る。
恐る恐る近付いて触れようとしてみても、手は空を掴むばかり。
「そんな、あかりさん……。嘘、ですよね……?」
事態の深刻さに、マゴットは膝から崩れ落ちた。
「いってて、一体なんなのもう……」
黒い渦から弾き出されて、床に倒れ込んだあかりは何とか体勢を立て直そうとする。
「ふぅん、あなたが浜野田あかりか」
その声に顔を上げると、目の前には椅子に座った女がいた。
金色の髪に青色の瞳。
三日月のように吊り上がった口端とは裏腹に、その目には冷たさが滲み出していた。
「あんた誰。この場所は──」
どこなのか。
そう言いかけた瞬間、あかりはここがどこなのかを察した。
来たことがある場所。
それも最近来たことのある。
そうだ。
ここは、「東の魔女の家」 。そして、彼女が殺害されたというその場所だ。
「初めまして、私はフェレネ。気付いているだろうけど、ここは東の魔女の家」
「私に何の用?」
「時を操る魔法を使えるあなたにちょっとお願いがあってね」
「あんたの文化圏では誰かにお願いをするとき、予告もせず、無理矢理相手を呼び出すのが普通なの?」
「そんなに怒らないで。ちゃんとプレゼントを用意しているから」
「プレゼント?」
そうして、フェレネと名乗った女が取り出したのは、一つの木箱。
「私のお願いっていうのはこの木箱を開けてほしいの。中に入っている物はあなたにあげるわ」
「何のために。っていうかあんた何者。名前だけじゃ何一つわからないんだけど」
フェレネは足を組み直す。
「さっきはああ言ったけど一応ね、私たちは面識があるのよ? そして、何よりこれはあなたが開けてくれた場所から見つけたもの」
「何を言って……」
「────ここの地下室、開けたことがあったでしょう?」
心臓が跳ねる。
そんな。だってあれは夢の中の話のはず。
どうしてこの女はあのことを知っている。
「まあ、私も詳しいことはわからないんだけど。あのとき夢の中で私もここに呼び出されていたのよ」
「あんたが私の夢に……? どうして……」
「そもそも、あの夢があなたのものである保証はない。そうでしょう?」
「じゃあ、一体誰の夢だっていうのよ」
「さあ、そこまでは知らないけど」
「……」
「とにかく、私もあそこに呼び出されたの。その時あなたは地下室へと続く階段を降りて、あの扉を開けようとしていた」
「でも、私はあの扉の先を知る前に現実に引き戻された」
「そう。そして、それは私も同じ。だから、私は現実世界でここに来て、扉を開けた。その先で見つけたのがこの木箱。でもこれ、普通の方法では開けられないようになっているみたい」
差し出された木箱を恐る恐る手に取ってみる。
サイズは、片手で持つには少し大きいくらい。
特に装飾もなく、何の変哲もない箱だ。
鍵穴はないが、力を入れてみても蓋が開く様子はない。
「それは、東の魔女が残したもの。普通の方法では開けられそうにもないってことは、おそらくそれは東の魔女でしか開けられない様になっている。でも、彼女と同じ魔法を扱うことのできるあなたなら、その中身を見ることができるかもしれない」
ごくりと喉が鳴る。
「って、いやいや。そんな厳重に保管しているものなら、私ごときが開けちゃだめでしょ」
「でも、もしそれが、同じ魔法を使える者に向けたメッセージなのだとしたら?」
「だとしたら、あんな地下室に保管しているはずがない。それに、開けられたとしても、罠が仕掛けられていたらどうすんの」
「大丈夫よ。いざとなったら、私が守ってあげる。こう見えても私、意外と名の知れた魔女なのよ?」
「さっきからなんかおかしい。何でそんなに焦ってこの箱を開けさせようとするの。ひょっとしてあんた、この箱の中身が何か見当がついているんじゃない?」
「あなたは中身が気にならないの?」
「結局、何者かっていう質問には答えてくれてないし。信用できないからこの箱は開けない」
あかりの返答にフェレネはがっくりと肩を落とし、深くため息をつく。
「わかった。わかったわ、あなたにはもう降参。私はね、西の魔女の配下なのよ。死んでしまった東の魔女の秘密を知るために、ここに来たってわけ。あんな夢を見てしまったら、いてもたってもいられないじゃない。ひょっとしたら、彼女の死に繋がる秘密かもしれないし。彼女が本来死ぬはずがないことくらいはつい最近まで人間だったあなたも教えてもらっているでしょう?」
「どうして正体を答えなかったの?」
「一応お忍びで来ているのよ私。バレると怒られてしまうから。まずは溜まっている仕事を片付けろって」
「……仮に東の魔女の死に繋がる秘密を知ったら、西の魔女にどうさせるつもりなの?」
「その情報を持っているという事実だけで、北と南の魔女への牽制になるじゃない。それがひいては、戦争の抑止に。西の魔女は争いが嫌いだから」
「……」
一応は正体を聞くことができたが、かといってそれが真実である保証はない。
そもそも、この木箱が東の魔女の物であるかということも怪しい。
警戒を解くことはできなかった。
今判明している事実といえば、彼女もあの夢にいたということくらいか。
「今日のところはこれを持った私を元の場所に帰らせて」
「それは難しい相談ね。私にも時間がないの」
「じゃあ、自分の足でここから帰ると言ったら?}
「……ちょっと痛い目をみてもらうことになるかもしれないわね」
「西の魔女は争いが嫌いなんじゃなかったの?」
「大事の前の小事、必要経費っていうやつよ。ただ盲信的に争いが嫌いだとのたまうよりかはよっぽど説得力があると思わない?」
「私を痛めつけて開けられなくなったら、それこそ本末転倒だと思うけど」
「安心して。痛い目をみることになるのはあなたじゃないから」
「私じゃなかったら誰がみるのよ」
「あなたのお友達。具体的にはあのピンク色の髪の子ね」
「……!」
人質というわけか。確かにあの渦を展開させて来たことで、彼女の家はバレている。
くそと小さい声で悪態をつき、あかりは奥歯を噛みしめた。
「……これを開けたら、金輪際私たちに関わらないで」
「ええ、約束するわ」
魔術についての知識があれば、この場で契約し、約束を守らせることができたはず。
そう思い当たったところで、いやと心の中で否定する。
確か契約をするには立会役も必要だった。
苛立ちを鎮めるために小さく息を吐き、木箱に触れながら目を閉じる。
そして、イメージする。
時計を。そして、時計の針が回っている様子を。
その速度を加速させ。さらに加速させていく。
時を進めている感覚はある。
だが。
「なに、これ……」
気付けば、あかりは息切れしていた。
その様子を見て、フェレネは目を細める。
「その様子から見るに、やっぱり東の魔女の魔法によって閉じられたものだったようね。……あらかじめ彼女が決めた時間が経過するまでは何をしても開けられないようにしたのか」
「はぁっ……はぁっ……。何をしても、開けられない……?」
「ええ、たとえ核爆弾を仕掛けても開けられないでしょうね」
「そんなこと、できるものなの……?」
「それを可能にしてしまうのが魔法なのよ。さあ、もう一踏ん張り。頑張って」
「簡単に、言うな……!」
もう一度目を閉じる。
遠心力で飛んでいってしまいそうなほどの速度で、想像の中の時計の針を回し続ける。
それに伴い、体は平衡感覚を失っていく。
ふらと膝を突いた。
だが、意識は木箱に。
脳に負荷がかかっているのを感じる。せり上がってくる吐き気。
やがて、祈りを捧げているかのように額を床につけて、数秒後。
時計の針はようやく止まる。
最後の力を振り絞って、蓋を開ける。
すると、その木箱からは光が放たれた。
魔力のほぼ全てを使い果たし、意識の途切れかけているあかりは呆然とその光景を見ていることしかできずにいた。
対してフェレネは、ここに来て初めて不快感を表情にあらわにし、舌打ちをする。
「……そういうことか。ふざけた真似をしてくれたな、ひなため」
やがて、閃光に支配されたその場からは、全ての音が消えていった。
うめき声を上げながら、あかりは上体を起こす。
先程のようにどこか別の場所へ強制的に移動させられたのかと思ったが、そうではないらしい。
だが、かなり時間が経過したようで、室内は照明で照らされていた。
あの木箱は、光は、一体何だったのだろうか。
疑問で埋め尽くされていくあかりの耳に、寄せては返す波の音が聞こえてくる。
海風がそよと頬を撫でていく。
窓は開いていただろうか。
いや待て。仮に窓が風で開いてしまったとしても、この照明は誰かが点けたものであるはず。
それは誰だ。
あかりはそこで、窓際に誰かが座っているのに気が付いた。
肩ほどに切り揃えられた全体の三分の一ほどが白の混じった黒髪。
紫と赤のオッドアイ。物語の登場人物のような異質なその風貌。
長いワンピースを身に纏ったその女は、静かに本を読んでいた。
窓から見える景色も相まって、一枚の絵画のようなその佇まいにあかりは言葉も忘れ、目を奪われていた。
月光に照らされたページが捲られる。
フェレネではなかった。
やがて、向けられた視線に気が付いた女はおもむろにこちらを向く。
工芸品のように滑らかで整えられた輪郭に思わず息を呑む。こんな印象を抱くのは、生まれて初めてだった。
しばし、見つめ合う二人。
そして、驚きと気付きから女の眉が少し上がる。
「おお。なるほど、君が後継者というわけか」
女はぱたりと本を閉じる。
果たして、敵か味方か。
「君がここに来ているということは、今頃私は死んでしまっているようだ」
「あなたは一体……」
浮かんできたのは、柔和な笑み。
「私はひなた。他の者たちからはよくこう呼ばれているよ。────『東の魔女』とね」




