19話
「サヤ様、ご飯はドアの前に置いておきますね」
そう投げかけても、返答は返ってこない。
今日もだめか。
思わずため息が漏れてしまう。
あかりがあやめに連れて行かれてから、そして、まりがここを立ち去ってからの数日間、ずっとこの調子だ。
部屋に閉じこもったまま、こちらが呼び掛けても反応はない。
次の食事を運んでくるときには、前に置いた食器は空になっていることから、食べていることは確認できている。餓死の心配はなさそうだ。
サヤ様の気持ちも理解できる。というか、こうなった原因は私たちにもある。そのため、彼女を責めることはできない。
慕っていたひなた様が殺害され、悲しむ暇もないまま、仕事に忙殺される日々。
その中で、追い打ちのように殺害の容疑がきょうかにかけられて、更にまりも離れていった。
そして、それら全責任の追及。
これまで抑えつけていたものが溢れ出てしまったのだろう。
……もっと私たちが上手くやれていたのなら、こんなことにはならずに済んだのだろうか。
もっと先を見据えて行動できれば。もっと彼女の負担を和らげてあげることができれば。
そうすることで、悲しむ時間を。気持ちを整理する時間を与えてあげられていれば。
後悔が募っていく毎日だ。
昨晩、夕食を持ってきたときのこと。
サヤ様の部屋の中から、声が聞こえた。
それは自分の息を止めなければ聞こえないほどのか細いものであったけれども、確かに聞こえたのだ。
「……ひなた様、私はどうすればいいのでしょうか……?」
おそらくそれは、寝言だったのだろう。
それ以降言葉が紡がれることはなかったから。
だが、その一言に胸が締め付けられた。
唇を噛みしめる。
ここまで追い詰められている彼女に対し、私たちは何ができるだろうか。
むしろ、私たちの存在が苦しめているのではないか。
そう思ってしまうことさえあった。
そうだとすれば、私たちが彼女に対し、何かをしてあげることは逆効果だろう。
ならば、やはりしばらくの間は一人に。
だが、時間は進んでいく。
無情にも時計の針は進んでいく。
ひなた様のいなくなった時間が。
今、協会は危機に瀕している。
優秀な彼女に頼り切っていたことで、この状況に陥ってしまった。それはわかっている。
だから、私たち一人ひとりが個としての力を強め、自分で考えて行動しなければ。
指示を待つだけではだめだ。
彼女が立ち直るまでの間も、立ち直った後も。
そう覚悟を決めたところで、私は息を呑んだ。
サヤ様の部屋のドアが開いたからだ。
「サヤ、さま……?」
「……まつり、迷惑をかけてすみませんでした。大切な話があるので、みんなを食堂に集めてもらえませんか」
ついに立ち直ってくれたのか。
よかった。
これでみんなで明日に向けて、考えることができる。
だが、私の抱いたその希望は早々に打ち砕かれることになった。
「本気で言っているんですか……!?」
「……」
「協会を抜けるって本気で言っているんですか!?」
そんなこと、認めない。認められるわけがないじゃない。
「……はい」
その場にいる誰もが目を見張ったのは、その発言に対してだけではなかっただろう。
ひどくやつれたその姿。
「きょうかのことはどうするんすか……。まさか、見捨てるなんて言わないっすよね……?」
「方法を考えます。安心してください、あなたたちに迷惑はかけませんから」
「迷惑って……」
「……サヤ様がいなくなったら、私たちどうすれば良いんですか」
今にも泣き出しそうな表情のここ。
なつは服の裾を握りしめながら、黙って俯いている。
それに対し、サヤ様は疲れ切った笑顔を浮かべた。
「大丈夫です、あなたたちはもう十分に強い。私がいなくても上手くやっていけます。むしろ、私がいることであなたたちの枷になってしまうことが何よりも嫌なんです」
「あやめに言われたことを気にしているんですか」
「……ただ、気付いたんです。私の居場所はここではなかったのだと。今までずっと、そうだと思い込んできていただけだったのだと」
「そんなこと……」
「あなたたちを導くことのできる自信もそれを成し遂げうる才能も、私にはない」
明らかにあやめの発言に影響されていた。
心が揺さぶられている。
「サヤ様が抜けるなら、私も協会を抜けます」
「……私も」
「私だって!」
「いいえ、あなたたちはこの場所を失ってはいけません。私がいなくなれば、きっと悪いようにはされないでしょう。あやめの言う通り、私は協会と敵対していた場所を裏切ってここにいさせてもらっている。むしろ、今までいさせてもらえたのが不思議なくらいです。もう、十分です。私は十分に幸せでした」
「今のは全て、サヤ様自身のお気持ちだけで話されていますよね。私たちの気持ちは無視ですか」
苛立ちで自分の語気が少し荒くなっているのを感じた。
だが、彼女はそれを意にも介さず、淡々と言葉を続ける。
「そうです。言うなれば、これは私のわがままです。あなたたちを不幸にすることに耐えられない弱い私の、わがまま。まつり、あなたは強い。それにみんなを導いていくだけの器があります。あなたがみんなを引っ張っていくのです」
「……協会を抜けて、それでどうするおつもりですか。元いた場所に戻るというのですか」
サヤ様は深く呼吸をしながら、目線を上へと移す。
「なになになに~? 東の魔女のお通夜ってもうとっくに終わったんじゃないの? 相変わらずしけた顔してるわね!」
場違いな弾んだ声。
入口に目をやれば、壁に手を突いて白い歯をこちらに見せる女がいた。
特徴的な紫の長髪。
黒を基調とした、ゴシック系の服。
この場にいる誰もがその正体を知っていた。
「ことね、何の用? 今は取り込み中だから、あなたに構っている暇はないの。それにここはもうあなたが帰って来る場所じゃないでしょ」
ひらひらともう片方の手を振りながら、肩をすくめる。
「あたしだって、別にお前なんかと会いたくなんてないし。用があるのはサヤ様だけ。ね、サヤ様! サヤ様なら、あたしがここに来た意味わかるよね?」
みんな不安そうにサヤ様の方を見る。
「……私は戻りませんよ、ことね」
その言葉を聞いてホッと胸を撫で下ろす。
「……うん。別にいいよ、今はそれでも。戻らざるを得なくなるまで、あなたの希望を潰していくだけ。全部潰して、あたしがあなたの希望になるだけだから」
「あんたまだそんなふざけたことを……!」
「相変わらずうざいね、お前。あたしがいたときからずーっと。そのうるさい口を永久に塞いであげよっか?」
ことねの体から、青白い光が迸っていく。
その一つが机に当たると、大きな衝撃音を伴い、黒く焦げる。
ここが小さく悲鳴を上げた。
庇うようにサヤ様が私たちの前に立ち、こちらを振り返る。
「まつり、私は彼女と少し話をしてきます」
「サヤ様……」
「私は大丈夫です」
「……」
「さあ、行きましょう。ことね」
「ふん。サヤ様に感謝するんだね、まつり。結局最後はいつもサヤ様に助けられてばっかりで、助けることのできなかったお前は何も成長していない」
「ことね。私は行くと言ったんですよ」
「は~い」
そう言って、二人が出ていったドアを無言で見つめる私たち。
額に手をやり、椅子に腰を掛ける。
ああくそ、どうしてこうも立て続けに。
「サヤ様、大丈夫ですよね……? 戻るなんて言いませんよね……?」
ここが涙を流すのと呼応するようにそれまで黙っていたなつが鼻をすする音が聞こえる。
あいつが来ることは予想できていた。だが、まさかサヤ様が部屋から出てきたこのタイミングで現れるとは。
「信じるしかないっすよ。私たちのサヤ様を……」
そうだ。ころもの言う通り、信じるしかない。きっと、いくらなんでも、サヤ様だってあそこには戻らないはず。
だとすれば、一旦その話は置いておいて、考えるべきは今後のこと。
「……これから、どうする?」
ななが声をかけてくる。
「今考えてる」
「……あやめを潰す?」
「あやめを潰せば、次の東の魔女はサヤ様になるからってこと? そう簡単にはいかないでしょ。だって、私たちはサヤ様の部下なのよ? そんなことをしたらサヤ様の信用が……」
「違う。サヤ様を傷付けたことが許せないから」
「いや、そんなことをしても、何の解決にも──」
ならない。
そう言いかけたときだった。
「確かに、サヤ様をここまで追い込んで、自分は悠々と東の魔女になるなんてあまりにも都合が良すぎるっす。あんな承認届、無理矢理にサヤ様に書かせたのと変わらないっす!」
「ころもまで!」
「……あやめの就任式は1週間後」
「ちょっと! 待ってってば!」
「まつりは許せるんすか? あんなやつが東の魔女になるなんてこと。あんなやつがひなた様と同じ立場になるなんてことを! どう考えても相応しくないっすよね? 泥を塗ることになるんすよ? ひなた様が築き上げてきたものに。私たちが、そして、サヤ様が慕ってきたひなた様の守ってきたものに!」
「許せ、ないけど……。でも、あまりにも無謀じゃない」
「無謀と思わないほどの人数がいれば、決行を認めるってことっすか?」
「じょ、冗談でしょ?」
「あいつに不満を持っているやつはごまんといるっすよ。その魔女たちをかき集めれば……」
「そんなことをしても、サヤ様が喜ぶとは私は……思えない……」
「じゃあ、あいつが協会をめちゃくちゃにするのを指を咥えてただ見てろって言うんすか?」
「そんなこと言ってない……。ただ、もっと別の方法があるかもってことを……」
「サヤ様が喜ぶ喜ばないで選択を切り捨てちゃダメっす。本当にあの方のことを考えているのなら特に。私たちができること、それはサヤ様がいつでも戻ってくることのできる場所をあらかじめ整えておくことっす」
「行動をしなければ、飲まれるだけ。そうして、取り返しのつかない事態になって後悔しても遅い。なら、受け身ではなく、こちらから仕掛けるべき」
「……」
「……まつり。今度は私たちがサヤ様を救う番」
その言葉だけを捉えるならば、一見私を元気づけているかのように見えたけれど。
実際は、喉元に刃先を突きつけられているかのようで。
方法を認めろと、そう脅されているような気持ちになった。
他に方法があるはずだ。こんなことをやっても、誰も幸せになんてならない。
そう思えども、頭の悪い私にはすぐに別のものを思い付くことはできなかった。
それしかないと主張してくるころもとなな。
二人で泣いているなつとここ。
みんなをまとめるというのはこんなにも難しいものだったのか。
『まつり、あなたは強い。それにみんなを導いていくだけの器があります。あなたがみんなを引っ張っていくのです』
そんな器なんて私にはありません。
だって、サヤ様がいなくなった途端にこれです。
「私たちが……救う……」
────ああ、サヤ様。
みんなをまとめるため、ただそれだけのために、私はこの方法を取るしかないのでしょうか。




