17話
「着きましたよ! ここが私のお家です!」
マゴットに続いて、あかりも車を降りる。
瞬きをした次の瞬間には、車は一匹の猫へとその姿を変えていた。
「しんどぉ……」
「あんた、本当に何にでもなれるのね……」
セトは肩で大きく息をしながら、地面にべったりと伸びている。
まさか車に変身し、自分たちを乗せて走ってくれるとは思わなんだ。
しかも、セトの意思で道を走ってくれたため、あかりたちはアクセルやブレーキを踏むことも、ハンドルに触れることもなかった。
周囲を走る車から見れば、完全なる自動運転であるこのセトカーは、さぞかし羨ましいものであったことだろう。
「もう動けないよ~~。あかり~だっこして~」
「はいはい。本当にお疲れさまでした」
くすと笑いながら、セトを抱き上げる。
そして、視線を前に戻す。
そこにはアパートがあった。
ところどころが剥がれ落ちている外壁。
腐食し、穴が空き始めている耐久性に問題がありそうな外階段。
そして、ヒビの入っているくすんだ色をした玄関ドア。
あかりは自分の顔が引きつっていくのを感じた。
いかにもな様相。
そう。
要するに。
「ボr……味のあるアパートだね……」
「あかりさん! 変に気を遣わないでください、より悲しくなるので!」
「ボロいアパートだね。こんなところに住んでいるやつの気が知れないよ」
「前言撤回ですセトさん! 気を遣うって最高ですね! ピースフル!」
涙を流しながら叫びだすマゴット。
その表情は苦悶に満ち、今も歯茎をむき出しにしている。
「だって、都内の家賃が高すぎるんですよ! くそー!」
「都内じゃないといけない理由があるの?」
「魔術商会日本支部ですよ!? 首都じゃないと格好がつかないじゃないですか!!」
「日本支部? これが? このアパートが?」
「そうですよ!」
「……アパート全体が?」
「303号室です!」
「フッ」
「あっ、鼻で笑った! 猫のくせに!」
「と、とりあえず中に入って話をしない? ここだとほら、ね……?」
アパートの前を行き交うマダムたち。
こちらを訝しげな目で見ながら通り過ぎていく。
あかりもマゴットも協会に狙われている身であるため、なるべく目立つ行動は避けたかった。
見た目が汚くても中は……なんてこともなく、あの外装を見た瞬間、容易に想像ができる内装だった。
けれども、物はきっちりと整頓されているし、部屋はそれなりの広さがあるのにもかかわらず、畳の上にごみが散乱している様子はない。
それどころか、塵一つ見受けられなかった。
素朴だが、清潔感を感じられる部屋だ。
意外とまめに掃除をするタイプなのかもしれないと少し感心した。
ほんの少しだけ。
「えへへ。誰かをこの部屋に招待するのは初めてなので、嬉しいですねぇ」
そう言って、お盆を持ったマゴットがご機嫌な様子でちょこちょこと台所から歩いてきた。
そして、部屋の中央にある丸テーブルにコーヒーの入ったカップを2つとシュガーポットを置いて、あかりの向かい側に座る。
「はい、どーぞ!」
「ありがと。誰も来ていないってことは、店はまた別にあるってこと?」
「いえ、うちは無店舗販売ですよ。あかりさんもご存知のとおり、ネット販売が主ですね。無店舗販売は低資金での開業が可能なことや店舗販売に比べて開業準備にかかる時間が大幅に短縮できるのがメリットですが、新規顧客の信頼性を得ることが難しいのがデメリットです。ただでさえ、魔道具に対しての知識がない日本人ですからね。怪しいと疑われるのも無理はありません」
そう言えばと、あかりは彼女と最初に会ったときのことを思い返してみる。
確か、彼女はSNSで販売のアカウントを作成していた。
怪しいというのが第一印象だったし、これで買う人が存在するのか疑問を抱いたのを覚えている。
「ならばどうするか。ここで発想の転換です。逆に『明らかに怪しいと思わせてみる』のです。この情報社会では、気軽に自分の評価や考えをインターネットに投稿して見知らぬ誰かと共有することができ、それが一般的になっています。そういった投稿をすることでお金を稼いでいる人もいるくらいです。そして、私はそんな商品を評価する、いわゆるレビューすることを生業や生きがいとしている人を初めての顧客としてターゲットにしました」
「どうして?」
「例えば、何かを評価する動画を投稿して、お金を稼ぎ、人気を得ている人がいるとします。ですが、毎回同じような動画を投稿していたら、視聴者には飽きられてしまい、再生回数が減ってしまう。けれども、お金を稼ぎたい、人気を失いたくない。ならば、どのような動画を投稿すれば、再生回数を維持できるかわかりますか?」
「インパクトのある動画?」
「そうです! そのような人にとっては、普通じゃないことが重要になってきていて、もはや評価するものが本物かどうかは次第にどうでも良くなってきているんです。
なら、こちらもそれに合わせれば、動画のネタとして購入してもらえます。始めから信頼を得られないのなら、得られない方向に振り切ってしまうのも一つの手なんですよ。一度でも投稿してもらえれば、ネット上でその情報は瞬く間に拡散する。そして、偽物だと思って購入した魔道具が本物だとわかれば、物珍しさを抱いた日本人の購入人数は次第に増えていく。と、ここまで説明してきましたが、そう簡単に上手くはいかないのが現実なんですよねぇ。それが商売の難しさであり、面白さでもあるんですけど」
なるほど。翻訳ソフトをしようしていたかのようなあのアカウントのプロフィール欄の文章は、策略だったというわけか。
意外と物事を考えている彼女に二度目の感心をする。
いや、でも二回も協会にバレて捕まっていたな。
……やっぱり取り消そっかな。
「……それにしても、魔術商会日本支部、ねぇ」
角砂糖を落としたコーヒーをスプーンでかき混ぜながら、あかりは呟いた。
思い返すのは、彼女の玄関に貼られた大きな紙。
そして、拙いひらがなでそこに書かれた「まじゅつしょうかいにほんしぶ」の文字。
子どもの落書きとしか思えないあれを見て、誰が彼女を本物の魔道具商人だと思うだろうか。
「この日本支部には一体何人の魔女が所属しているの?」
「私だけです!」
「え……?」
「というか、日本に来ている商会の魔女は私一人です!」
「そ、そうなんだ」
「魔道具を売って商売するなら、わざわざ取り締まってくる東の魔女協会の本部がある日本なんてまず選びませんからねぇ」
「なら、どうしてマゴちゃんは日本へ?」
「……見返してやるんです。私を落ちこぼれ扱いしてきたやつらを」
マゴットは両手で包んだカップを見つめる。
「私の家系は代々魔道具商人なんです。商会に所属している商人の子どもはいずれその家業を継ぐため、商会が運営している魔道具商人育成の学校に通うのが通例なっています。そこで魔道具についての基礎知識や流通経路、経営などについて学びます。そして、成績が優秀だった者には勲章が与えられ、その数が多いほど将来、商会での立場が約束されるんです。なんですけど……」
「けど?」
「……出来レースなんですよ。親が支払った学校への寄付金の額によって、成績が左右されるんです。もちろんその額が多ければ多いほど良い成績に。いくらテストで良い点を取ったところで、総合的に評価されるのは金持ちの子。片田舎の貧乏な家庭に生まれた私は、どれだけ現状から抜け出そうと努力しても、低い成績でみんなから落ちこぼれ扱いでした。真面目に通うのが馬鹿らしくなっちゃいますよね。でも。それでも、知識だけはつけないとって。挫けそうになりながらも、なんとか卒業はしましたけど」
「マゴちゃんも苦労してたんだね」
「その中で気が付いたんです。このままみんなと同じことをしても、決まり切った未来しか訪れない。なら、みんなとは違うやり方を。想像ができないやり方をすれば、この先にある未来もまた違ったものになるって。だから、私は家を飛び出しました。誰も手を付けてこられなかったこの日本で、魔道具を広めていくために!」
「でも、その流通を協会は許していないらしいけど……。だから、今まで誰も手をつけられていなかったんでしょ? 売る度にまたあそこに入れられちゃうよ?」
「うっ……。それはいや、ですけど……。でもでも。その分成功できたら、リターンも大きいです!」
「始めからターゲットを人間じゃなくて、協会にしていればよかったんじゃないの?」
「協会は人への流出を防ぐために、たとえ協会の魔女が使用する目的であったとしても、魔道具の輸入を許さないんですよぅ。だから、日本で少しずつ流通させて、魔道具の使用が当たり前になる世の中になれば、協会も認めざるを得ないっていう寸法です! 外堀から埋めていくっていうやつですね! そう考えるとわくわくしてきませんか!? そう! ここ日本から私、マゴット・ハルトローベの物語は始まるのです!!」
その瞬間、ドンと何かを叩きつけるような音が壁から響いた。
「おい!! うるせーぞ!!!」
「「……」」
涙を流しながら拳を握るマゴット。
「この、音のよく響く、木造アパートの一室から……始まるのです……!」
「あ、あはは……」
あかりは愛想笑いをすることしかできなかった。
「というか、マゴちゃんの地元では、魔道具って一般的なの?」
「むしろ、世界的に見ても、人への魔道具の使用を禁じているのは協会の縄張りくらいなものですよ?」
「そうなんだ。むしろ少数派だったのね」
「魔術の普及もせず、その知識を魔女のみに留めていやがりますしね。やり方が極端過ぎますよ。まるで、悪影響だからと子どもから全ての娯楽を取り上げてしまう毒親のようです! いつか、あかりさんが東の魔女になったら、ぜひご贔屓にお願いしますね♡」
「そんな未来は来ないと思うけど……。でも、すごいなぁ。現状を打破するためにと覚悟を決めて、家を飛び出して。それで、異国の地で、慣れない言葉を使って、お金を稼ごうと努力しながら一人で生活してる。魔道具をこの国で売ることが良いかどうかは置いておいて。その姿勢はとてもかっこいいと思う。私なんかよりもずっと大人だよ」
「うへへ、真正面から褒められると照れちゃいますねぇ///」
そこで、あかりは思い当たる。
「あれ? マゴちゃんって商人の学校を卒業したって言ったよね?」
「はい!」
「今何歳なの?」
「え? 18歳ですけど?」
まさかの歳上!?
驚愕の事実。
あんぐりと口を開けたあかり。
その横を円型の機械の上に座ったセトが通り過ぎていく。
「あ、セトさん!? どこに行っていたのかと思えば! 私のムンバちゃんの上に!」
「やぁやぁどうも~。マゴちゃん、君なかなか面白いものを持っているねぇ? 快適快適~」
「ムンバ? ル、じゃなくて?」
「ノン! 全くの別物です! これは魔術式自走型掃除機のムンバちゃん、月のように丸いからムンバちゃんなんです! 以後お見知りおきを!」
ムンバちゃんは、部屋の隅まで行くと、方向転換をしてまた進み出す。
上に乗ったセトは尻尾を揺らしながら、興味深そうにその様子を眺めている。
だが、その見た目にも、動作にもあかりは強烈な既視感を覚えていた。
「……機能としては全く同じじゃない? というか、魔術を使う意味ってある?」
「よくぞ聞いてくれました! そうであれば、見せてあげましょう。ムンバちゃんの真の姿を……!」
不敵な笑みを浮かべるマゴットはムンバちゃんに触れる。
「こうして魔力を注ぎ込むと~~! なんとなんと! 埋め込まれた魔光石によって、七色に光りだすんです!! これこそが真の姿!! ゲーミングムンバちゃん! です!!!」
「おお、おおおぉぉぉぉおおお!?」
突如光を放ち出したムンバちゃんに興奮を隠せないセト。
そして、もう一度叩かれる壁。
「いつもいつも、うるせーつってんだろ!!!」
……ヤバい人なのかと思っていたが、この怒りは妥当なのかも知れない。というか、単なる被害者な気がしてくる。
次第に同情し始めたあかりは薄い壁で隔たれた隣人に向け、静かにそっと手を合わせた。




