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エミネスベルンの約束  作者: 深山 観月
第一部 東の魔女編 1章 夜の始まり 
10/77

9話

夢中で駆け出していた。

たちの悪い冗談だ。

何であんな冷たい反応を。


何も言わずに、連絡も取らずに二日間も姿を消していたからか。

でも、携帯は持っていなかったし。姿を消していたっていうのも、別に自分のせいではないし。


この息苦しさは、走っているから? それとも、悲しいから?

わからない。わからない。わからない。何もかも。


楽になりたかった。布団にくるまって、寝て。明日、朝に目が覚めれば、いつもと同じ日常に戻ってはいないだろうか。


途中で立ち止まって咳き込んでは、また走り出すのを繰り返す。

それを何度繰り返したことだろうか。

気が付けば、家の前に立っていた。


肩で息をしながら、汗を拭う。

寝よう。とにかく。

風呂に入り、エアコンの効いた自室で、冷たい飲み物を飲んでから。


鍵を開ける。

ようやく、帰ってきたんだ。

動悸は治まらない。

おかしい。

自分の家なのに、どうしてこんなに緊張している?


「……うちに何か用ですか?」


背後から声をかけられる。

振り向くと、買い物袋を手に持ち、怪訝な顔をしている母親がいた。


「お母さん」


消え入りそうな声で呟く。半ば無意識だった。

だが、違和感。


「私、だよ……? あかり。あなたの娘のあかり……」


つま先から、頭まで見られる。

つばを飲み込む。

どうしたの。怒るなら、早く怒ってほしい。

なんでも良いから、早く、私の存在を、認めてほしい。


だが、あまりにも無慈悲に。



「私はこの家で夫と二人暮らしですけど」






夕暮れに染まる河川敷の土手で、あかりは一人項垂れていた。

何もかもが信じられない。もう何も考えたくない。


世界に存在を否定された気分だ。

否定され、帰るべき場所を奪われた。


涙はとうに枯れている。

これから、私は一体どうすればいい。

自嘲する気力すら湧きはしない。


「ななみ。あなたの言うとおり、確かにこの世界はふざけてるよ。ふざけすぎているよ、あまりにも」


体育座りをしたまま、額を膝に押し付けるようにして。


「幸せ、だったな。あのときは。どうしてこうなったんだろう。こうなるって知っていたら私だって。……私もあのときにななみと一緒に死ぬべきだったのかなぁ」

「思い詰めてるねぇ。まあ、気持ちはわからないでもないけどさぁ?」


声が、聞こえた。

顔を上げて、周りを見渡す。


「誰も、いない……?」


いや、確かに聞こえた。

まさか。

そう思い、足元に目を向ける。


黒猫が、いた。


「あなたは、────」

「やぁやぁ。これで会うのは三度目だね。こういうの、何て言うんだっけ? 二度あることは三度ある? 三度目の正直? どっちでもいいか!」


人間と同じように、口を開けて喋っている。

声がその口から発せられている。

不思議とそこまで驚きはしなかった。

それほどにもう疲れ果てていた。


「一度目は学校で。二度目は夢の中。そういう認識で合ってる?」

「花丸大正解」

「あなた、最初から話せたの?」

「いやいや、話せるようになったのはつい最近だよ。ようやく、許可をもらえたんだ!」

「誰に?」

「それはもちろん彼女に」

「彼女?」

「夢の中で会っているでしょ?」


ああ、と思い当たる。

電車で会った銀髪の彼女。

三度目には姿は見なかったが、一体どこに行ってしまったのだろうか。


「というか、あなたは誰?」

「彼女が言っていたでしょ? 協力者を用意したって。それが私」

「そう言えば、そんなことを言っていたような」

「あなたの可愛い可愛い猫ちゃんですにゃん♡ あ、名前はスェトスルーダ・ヴァキって言います。よろしくにゃん♡ 猫の手を借りたくなったらぜひ呼んでね~!」

「スエ……何?」

「スェ」

「セ」

「スェ!」

「セ!」

「「……」」

「……言い難かったら、セトちゃんでもいいよ」

「ご、ごめん」

「ううん、いいの……」

「……ねえ、私の周りで今何が起きているの? 私はどうなっちゃうの? これから何をすればいいの?」

「ん~。今の君の状況は様々な事情が複雑に絡み合っているから、ここで全部を話したところで理解は難しいと思うな~。まあ、少しずつ順番に理解していくのがいいと思うよ。じゃあ、どうすれば少しずつ理解していくことができるか。つまりは、これからすべきこと。それをシンプルに教えるね」

「うん」

「どこかの魔女の組織に所属すること。これが一番だねぇ。あとは流れに身を任せていれば大丈夫」


それを聞いて、真っ先に思い当たったのが、東の勢力。もっと言えば、サヤのところだ。彼女たちはあかりに仲間になってもらいたがっていた。


「ん。もう大丈夫そうだね。じゃあ、そろそろ私はお暇させてもらうよ。私は私でやらないといけないことがあるからさ~。あ~めんどくさい」

「あ、いつの間にかこんなに暗く。明日からはサヤさんにお願いしてみるとして、今日はどこに寝よう。もう家には帰らない方がいいよね? なんか私のことを忘れているっぽいし」

「忘れているというか、『浜野田あかり』という人間の痕跡が無くなっているからね。そもそも、初めから世界に生まれてすらいない判定なんだよ君は」

「それは、どう、して……?」

「魔女としての君の存在が確定したからだよ。現段階ではこのくらいの知識でちょうどいいんじゃないかな? それじゃね~」

「魔女としての、私……。本当に魔女になっちゃったのか……私……。魔力だの魔術だのって、本当にあったっていうこと……?」

「あ、そうだ。一つ言っておいた方がいいことがあった」


そう言って、立ち去ろうとした黒猫は振り返る。


「君はまだ未熟な魔女だから、せいぜい気を付けるんだよ」


そう言い残し、次に瞬きをした瞬間には、もうその姿はなかった。

膝を抱えて、深いため息をつく。


「ネカフェって、制服じゃ泊まれないよね。まずは代わりの服を買うところからスタートか……。うぅ、一人ぼっちは心細いよぉ」


スカートを軽く払いながら立ち上がろうとする。

その瞬間。


「なら、お姉さんと一緒に遊ぼっか」

「……え?」


背中に強い衝撃を受ける。

突然の出来事に、体は反応できるわけもなく、あかりはそのまま坂を転がっていく。

蹴り飛ばされた。その事実に気付いたのは、転がるのが完全に止まったときだった。


立ち上がろうとするが、ズキと腰に痛みが走る。

痛みに気を取られた時。

顔の横に誰かが両足で着地する。


「お前、サヤのところの魔女だろ。見ない顔だが、体に纏わりつかせたその魔力、間違いなくあいつのものだ。こんな状況になっているのに、あいつの魔力を纏って一人で出歩くなんて、かかってこいと挑発してるってことでいいんだよな?」

「一体、何のこと……?」

「おいおい、とぼけんなよ」


痛みをこらえながら何とか見上げると、そこには女がいた。

長い髪を後ろで束ね、スリットの入った長いスカートを履いている。

会話の流れからして、おそらく魔女なのだと。そう思った。


片腕で、襟元を掴まれ、体ごと持ち上げられる。

とてもその細腕で持ち上げているとは信じがたい。


「ぐ、ぅ……」

「ほら、言えよ。お前らが殺したんだろ? 東の魔女を。だから私は反対だったんだ。あいつのことを受け入れるなんて」

「殺してなんて、ない……」

「ふん」


投げ飛ばされたあかりは、そのまま地面を転がる。

そして、女が聞こえないほどの声で何かを呟いたかと思うと、犬のような体躯をした蒼い炎に包まれている何かが3匹地面から浮かび上がる。


「おい、立てよ。まだ何にも始まっていないだろうが。戦うか逃げるかしないと、このまま食い殺されちまうだけだぞ? ま、裏切り者の末路としてはそれもふさわしいといえば、そうなのかもしれないが」


あれが、魔術というものなのか。何かを召喚した? 

命の危機に瀕している状況なのはわかる。

しかし、心身ともに憔悴しきっている状態では、何もできない。

そんな体力も気力もどこにも残されていなかった。


協力者だとか言っていた先程の黒猫も、周囲にいる気配はない。

女が指を鳴らすのを合図に、こちらに迫って来る三匹の何か。

それをあかりは立ち上がることもせず、ぼんやりと眺めていた。


ああ、ここで終わるのか。

結局、何も知ることができず、振り回されるだけで終わるのか。

でも、もうこれで苦しむことはなくなるんだよね。


だが。


間に割り込むように、黒い影が舞い降りた。


影はそのまま流れるように三匹の間を縫うように駆け抜ける。

その後、影の動きが止まるのと同時に、それらは全て霧散した。


月明かりに映し出されたのは、紺色のセーラー服を着た少女だった。

手に持った木刀は、どういうわけか淡い光を放っている。


姿に見覚えはない。

敵か、味方か。それを図りかねていると、少女はあかりを軽々と脇に抱える。


「え! ちょ、え!?」

「あいつの魔術は、私と相性が悪い。だから、ここは引く」


その声は、どこかで聞いたことがあるような気がした。

途端に、体が強く揺さぶられる。

気付いたときには、あかりは少女と橋の上にいた。


「と、飛んだ……!?」

「喋らないで。舌を噛むから」


口を閉じ、必死で目をつむる。何度も、何度も体が揺さぶられる。

これは、飛び移っているんだ。

自分と同じような体格の少女が、自分のことを脇に抱えて。

そんなことが本当に。これが、魔術だというのか。


「ここまで来れば、もう大丈夫」


そう言って、地面に降ろしてもらう。

目を開けると、景色は先程から一変して、街中の路地裏だった。


「私のことを、助けてくれたの……?」

「当然、あかりはもう私たちの仲間だから」

「え?」

「仲間、でしょ? 違うの?」


そう言って、少女は首を傾げる。


「あの、名前を聞かせてもらっても……?」

「黒瀬なな。お昼にも会ってたけど、もう忘れちゃった……?」


囁くような。それでいて、抑揚のない特徴的な話し方。

確かに声は聞いたことがあるんだけどなと、今度はあかりも首を傾げる。


「あ」

「思い出した?」

「あの、ご飯が山盛りだった……!?」

「よかった。覚えてくれてて嬉しい」


そうだ。正面に座っていた山盛りのご飯で顔が見えなかった誰かの声。

あのインパクトが強すぎて、顔の印象があまり残っていなかった。

手に持っていた木刀をいつの間にか縦長の収納袋に入れ、紐を肩に引っ掛けて持ち歩いている。

見た目は完全に部活帰りの剣道少女だ。


「でも、よく私があそこにいるってわかったね?」

「嫌な予感がするから、あかりのところに向かえって、サヤ様が」

「あのままだったら、本当にどうなっていたことか……」

「とりあえず、人通りの多いところに出よう」

「あ、うん」

「あいつも、人が多いところでは、襲えないから」

「襲えない?」

「あかりは、東の魔女の方針を知ってる?」

「えーと、何だっけ?」

「魔女による人への被害を拡大させないこと」

「あーそんなこと言ってたような」

「だから、襲えない」

「ん? ちょっと待ってよ。そうなると、さっきのは東の勢力に属している魔女ってことになるけど……」

「そういうこと」

「いや、そういうことって……」


そこで、ななのお腹が盛大に鳴った。


「「……」」


「……あかりは食いしん坊だね」

「鳴ったのはあんたのお腹でしょ! あんな山盛り食べてたじゃん! 話もそうだけど、あの量のご飯はどこに行っちゃったわけ!?」

「ちょうどこのあたりに行きつけのラーメン屋があるから、連れて行ってあげる。私はお腹が減っていないけど」

「……もしかして、それが食べたくてここに降りたりした?」

「そそそそんなわkっけなんなんななな」

「このうえなく動揺している!」


馬鹿らしいやり取り。とはいえ、そんなやり取りのおかげで張っていた緊張がほぐれ、空腹が首をもたげてきたのは事実だった。


「……いいよ。ご飯食べに行こう」


ななの目がパアッと明るくなったかと思えば、これみよがしに腰に手を当て、誇らしげに胸を張る。


「安心しなさい。今夜はこの先輩が、新米さんに奢ってあげるから」


言い切った後、ななのお腹が再び鳴る。


「……あかりは食いしん坊だね」

「ループしてるから! これ続けていたらきりがないから!」

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