3.お昼ごはんを食べましょう!
白亜に染まった廊下は、清らかさに満ち溢れていた。
窓から注ぐ陽の光と相まって、荘厳かつ神秘的な雰囲気を醸し出している。
白雪のような輝きの中で、可憐は跳ねるようにステップを踏み、くるくると踊りながら舞い歩く。
その様は、正に妖精のワルツの如く。この世の物とは思えないほど、それは幻想的な光景であった。
自分の真横で弾み踊る少女を見て、長吉は目を細める。
童話から抜け出てきたかのようなその情景は、長吉自身が心から待ち望んだ場面でもあったからだ。
「うふふ、楽しいわ。嬉しいわ。廊下を歩くって、こんな感じなのね! 素敵!」
「あまりはしゃぐと、転ぶぞ」
はあい、と答えながらも、その歩みは止まらない。
コマのように――というより、廊下に巡るメリーゴーランドみたいに大きく、可憐はくるりと回って跳ねた。
すると、どうしたことか。前を歩く弥生が、耐えかねた様に吹き出す。
長吉達の会話が聞こえていたのだろう。長吉は気恥ずかしさを隠すように頬を掻いた。
「騒がしくてすまんな。こちらは気にしないでくれ」
「いえ、いいのよ。この学校を気に入ってくれたみたいで、嬉しいし」
くすくす、と笑う弥生の横顔に厭味な色は見えない。
どうやら緊張もほどけてきたようだ。随分とリラックスしている。
微笑ましく思ってくれているようで何より。そう、長吉は思う。
「何だか、廊下を貸し切ったみたい! 誰ともすれ違わないなんてすごいわ!」
嬉しそうに可憐が笑う。
(――まあ、確かにその通りだな)
長吉は可憐に気付かれないように、そっとため息を付く。
無人の廊下。正確に言えば、無人になってしまった廊下だ。
勿論、その原因が誰にあるかは考えるまでもない。
会う人間、会う人間。生徒・教師に関わらず、長吉の姿が目に入った瞬間に、サッと姿を隠してしまうのである。教室の扉は何処もぴっちりと閉められ、中からも、少女たちの喧騒など一切聞こえてこない。
ふと、前の学校に居た時を思い出す。
あの頃は、教室のドアはどこも半開きであり、そこから厳めしい顔をした不良共が目をぎらつかせ、こちらに因縁をふっかけようと虎視眈々と狙っていた。現代では絶滅寸前であろう、化石のような不良校。昭和の時代をそのまま残したかのような場所だった。
廊下を歩くだけでも気を抜けなかったあの時代。それが何だかひどく懐かしい。
前を歩く弥生に、いつも先導役を買って出ていたヤスの姿がオーバーラップする。
らしくない感傷を振り払うように、長吉は首を巡らせる。
過ぎ去った思い出にしがみ付いていても仕方がない。大切なのは、これからどう行動するかである。
長吉は、傍らで踊りくねる少女を見た。
自分の背丈ほどもあるナップザックをしっかり抱きしめて、可憐は極上の笑顔で跳ね回っている。
口元が緩むのが抑えきれない。浮かれた気分を誤魔化すように、長吉は右手に持ったバスケットを掲げる。
こつん、とその表面を小突き、少年もまた確かな感触に心を躍らせるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
委員長の案内によって辿り着いた先は、色とりどりの花が咲き乱れた、中庭であった。
中央に噴水が設置され、その四方を囲むように白い木製のベンチが鎮座している。
校舎と校舎の間に挟まれているというのに、日当たりは悪くない。
さらさらと流れる清水が、太陽の輝きと相まって、光のしぶきを上げている。それは、この世の楽園めいた光景だ。
昼食を取るには絶好のロケーションであったが、長吉たち三人の他に、人影は無い。
例の如く、彼の姿を見た生徒たちが、そそくさと逃げ去ってしまったのだ。
微かな罪悪感が胸を突く。長吉は心の中で去りゆく少女たちに謝罪の言葉を吐いた。マジすまぬ。
「ゆ、ゆっくりご飯が食べれそうで、その、良かった……ね?」
引き攣った笑顔でフォローをしてくれる委員長。その意図を知ってか知らずか、可憐は嬉しそうに頷いた。
「そうね、ここも貸し切りね! いいわ、すごく良いわ!」
お嬢様はチョコチョコと可愛らしい足取りでベンチに近づくと、品定めをするように四つ並んだそれを見比べる。
「うん、ここがいいわ! ここに座りましょう」
正面から向かって右側のベンチをぺしぺしと軽く叩きながら、可憐が振り向いた。
お嬢様のお望みとあらば、叶えねばならぬ。
長吉はハンカチをそこに敷くと、両手で少女の小さな体を抱え上げ、ベンチの上へと、そっと載せた。
途端、わあっという快哉の声が上がる。
「綺麗な所ね! 学校案内の写真で見た事はあったけれど、実物の方が素晴らしいわ。周りのお花も、この雰囲気を盛り立てているみたい! いいわ、とても良い感じね!」
周囲を見回しながら、可憐がはしゃいだ声を上げる。
しかし、ある一点に目を定めると、その瞳が不思議そうにキョトンと瞬く。
「――あら、プリムラの花もあるのね。でも、おかしいわ。今は6月よ。この種類のプリムラは、もうとっくに開花時期を過ぎている筈なのに」
ベンチの小脇の花壇に咲く、淡いクリーム色の花を見ながら可憐は首を傾げる。
――プリムラ。サクラソウの一種で、主にヨーロッパを原産とした観葉植物だ。
品種改良も数多くされており、様々な国で人々に愛され続けているという。
長吉は花にはあまり詳しくないが、それでも、プリムラに関してはそれなりに知識があった。可憐がこの花を深く愛でているから、という事だからでもあるが、それだけが理由ではない。
何故なら、プリムラは目の前の少女にとっても関わり深い花なのだ。彼女のその名の由来になったとも、可憐の父親から聞かされている。
「プリムラ……ああ、プリムローズね。これはね、造花なの。作り物のお花なのよ」
この風景に相応しい花だから、一年中見れるように設置されている、そう弥生が説明する。
(――これは、まずいかもしれねぇ)
長吉は、思わず可憐の顔を覗き込んだ。
すると案の定、可憐は面白くなさそうに口をひん曲げ、ぷいっと花から目を逸らしてしまう。
「なんだ、ニセモノなのね、つまらないわ。本物と同じものを見るだけで済ませたいなら、写真でも貼り付けておけばいいのに」
「え……? えっと……?」
突然気を害した様子を見せる可憐に、弥生が困ったように口をつぐむ。
どう答えていいものか、戸惑っているのだろう。
その微妙な空気を察知し、長吉が二人の間に割り込んだ。
「何でもねぇ。気にするな、委員長。お嬢もそれより、ここに来た目的の方を果たそうぜ。正直、腹が減ってたまらん」
「あ、そうだったわ! ごめんね、バンチョー。すぐに用意するからね」
先ほどの疳の虫は何処へやら。
可憐はパッと顔を輝かせると、大切そうに抱え込んでいたナップザックの紐をほどき、いそいそと中身を取り出した。
その、小さな両手に載せられていたものは――
「……お、おにぎり?」
そう、それは両手から零れん程の大きさのおにぎりだった。
下手をしたら、可憐の頭と同程度のサイズがある。目を丸くする弥生を見て、彼女は得意そうに、えへん、と胸を反らした。
「ええ、そうよ。今朝、早起きして作ったの! さ、食べて。バンチョー!」
「ああ、頂きます」
片手に持っていたバスケットをベンチの元へ置くと、長吉はおにぎりの前で手を合わせる。
「はい、あーん」
可憐が、おにぎりを長吉の口元へと持っていく
若干の気恥ずかしさを押し殺しつつ、かぶりつき、咀嚼する。
強い塩味が口の中に広がり、やや固めの米粒が小気味よい音を立てながら噛み砕かれていく。
長吉の心の中に、何とも言えない多幸感が広がっていった。
「どう、どう!? 美味しい?」
「ああ」
――感極まって、泣きそうになる。
「うまい」
涙を堪えながら振り絞ったその言葉に、可憐が、わあっと手を叩いて喜んだ。
「アンナに教わった甲斐があったわ。はい、お茶よ。ゆっくり飲んでね」
可憐は魔法瓶を取り出すと、器用に片手で蓋をキュポっと開けて、ベンチの上に置く。
その上にお茶を一滴も零さず注ぎ込むと、これまた片手で長吉の元へとそれを差し出した。
「……ふう。すまんな。この茶も美味いぞ」
「ふふ、そうでしょう! とっておきの玉露を使ったの。自信作なのよ」
「では、俺も自信作を出そうか」
ベンチの上に置いておいたバスケットを開く。
中には、ミニサイズのサンドイッチが三切れ、敷板代わりのナプキンの上へ整然と置かれている。
ハムとサラダをマヨネーズで和えて挟んだ、長吉の「自信作」だ。
「そら、お嬢。あーん、だ」
「ふふ、あーん」
小っちゃな口を、一生懸命開けるその様が、何とも可愛らしい。まるで、親鳥から餌をねだる雛のようだ。笑いを堪えながら、長吉はその口へとサンドイッチを運ぶ。
「どうだ? 味の方は」
「んぐ、んぐ……うん、美味しいわ! とっても美味しい! 極上の味わいね!」
「そうか、それは何よりだ」
長吉もまた魔法瓶からお茶を汲み、可憐の口元へと差し出す。
やや温めのそれは、彼女が飲みやすいように気を配った逸品である。
その甲斐あったか、可憐は美味しそうにお茶を飲みほしてくれた。
「次は、私ね。はい、バンチョー。あーん」
「ああ、すまんな……うん、ほら、お嬢」
交互に飯と飲み物を差し出し合う。
可憐の食べる速度に合わせ、長吉はかぶりつく米の範囲を縮めたり、広げたりと調整する。
日差しもよく、仄かに暖かい陽気が、心地良い。
こんな風に彼女と昼食を取れるとは。本当に夢のようだと、長吉は感激する。
ずっとこうしていたい。この食事を、可憐と二人で味わい続けていたい。
彼女の笑顔と喜びが、最高の調味料となり、舌の上で至福のハーモニーを奏でている。
(時よ止まれ。このまま、この素晴らしい時間を終わらせないでくれ)
そんな柄にもならない事を考えてしまうほどに、長吉は幸せだった。ゆえにか、目の前のクラスメイトの様子に気付くのが遅れてしまう。
クスクス、という笑い声に顔を上げると、弥生が微笑ましそうな目でこちらを見ているではないか!
――しまった、彼女が居るのを忘れていた!
今頃になって、恥ずかしさが込み上げてくる。尻がムズムズして、収まりが悪い。
面映ゆさを誤魔化すように、ハンカチで可憐の口元を拭おうとして、ふと気づく。
彼女の頬も、仄かに赤い。どうやら、第三者の存在を忘れていたのは、長吉だけではなかったらしい。
「ご、ごめんね! ふふっ、あ、あんまりにも、見ていて微笑ましかったから……」
堪え切れない、というように。弥生が口元を手で押さえて笑い出す。
その声に、嘲りの色は無い。彼女はただ純粋に、そう思ってくれているのだろう。
……それはそれで、余計に気まずいのだが。
長吉は思わず可憐と顔を見合わせて、恥ずかしそうに笑い合った。
( ヤ∀ ス) 明日もまた、同じくらいの時間に投稿するッス! 基本は一日二話予定っス!