13.黄昏時に涙舞う
――走る、走る、走る。
長い廊下を駆け抜けて。すれ違う生徒を気にも止めず。ただただ、ひたすらに。
あの子の元へ、あの子の元へ。
下駄箱に飛び付き、弥生はもどかしげに靴を地面に叩きつけた。
乱暴に上履きを突っ込むと、蓋を閉めもせずに再び走り出す。
(――――待って、待って。お願い、行かないで)
零れ落ちそうな涙を必死に堪え、広い校庭を駆け抜けた。
走りながら周囲を見回すが、弥生の他に人影は無かった。運動部の生徒たちの姿も見えない。
大分日も落ち込んでいるし、おそらく、みな引き上げてしまったのだろう。
これでは、誰かに尋ねる事も出来やしない。
(――確か、こっちの方に走って行ったはず……)
先ほどの光景から検討を付けると、方向を変えて走り出す。
息が切れて、喉が軋む。
心臓はさっきからバクバク跳ねて、止まらない。
気を抜けば倒れそうになる自分を叱咤し、前へ、前へ。一歩でも早く、あの子の所へ……
(――――居た!!)
校門の前にうずくまる、小さな影。まだ距離は遠いが、その姿を弥生が見間違えるはずもない。
何故なら、彼女は。自分の大切な、大切な――――
「――――遥ちゃん……!」
必死の叫びに反応し、人影がびくりと震えた。
怯えたようにフラフラと立ち上がると、その場から逃げ出そうとする。
(―――ここで行かせたら、もう会えるかどうか、判らない!)
火事場の馬鹿力と言う奴だろうか。
弥生自身もでも信じられない程の力が沸き上がり、一気に彼女の元へ駆け寄った。
その腕を掴み、引き寄せると、少女がゆっくりとこちらを振り返る。
可愛らしいツインテールの髪が風に揺れてたなびいた。
まだ幼なさを残したその顔は、凍り付いたように固まっている。間違いない。彼女は、久遠寺遥だ。自分の大切な、後輩だ。
「はあ、遥……ちゃ……ん、はあっ……まって……」
喘ぐ呼吸を直そうともせず、遥に縋り付く。
小柄なその体は、弥生の腕の中にすっぽりと収まってしまった。
「……せん、ぱい」
「ああ、良かった。心配していたのよ。本当に、心配してたんだから……」
暖かな温もりを逃がすまいと、二の腕に力を込める。
遥は、半ば呆然としたまま、為すがままに抱かれ……
「……やっ! 離して!」
突然、遥が暴れ出す。弥生の手を乱暴に振り払うと、飛び退くようにして距離を取ってしまった。
「やっぱり……私の事が、許せないの? ごめんね、ごめん。あの時は――――」
「うるさい!! あたしにもう、構わないで!」
叩きつけられる、拒絶の言葉。息が止まり、目の前が真っ暗になる。
弥生の中で、何かが切れた。
すうっと、頬を暖かいものが濡らしていく。それを見て、遥がいっそう怯えた顔で後退った。
「退部、するから。もう、関わらないから。だから……だから……!」
そこまで言って。遥が大きく息を吸い込む。躊躇うような仕草は、しかしほんの僅かな一瞬だけだった。
「――――さよなら、先輩」
もう、彼女は振り向かなかった。
弥生に目もくれずに駆け出すと、その姿が霞んで消えていく。いや、霞んだのは自分の視界か。目の前がグニャグニャ滲んで揺れて、立っている事さえ出来なかった。
「う……うわぁぁぁ……遥、ちゃん……」
嗚咽の言葉が漏れる。手で顔を拭う事さえ出来ず。ただただ、涙を零し、彼女の名を呼び続けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――――その一部始終を見届けて、長吉達は木の陰から顔を出した。
視線の先には、泣き崩れた弥生の姿がある。
痛ましい彼女の叫び声が、今もこの耳に残っていた。
痛ましげに首を振った長吉の、その目に四人の少女の姿が映る。可憐に、麗華。そして取り巻き二人。
みな、何とも言えない表情で、じっと弥生の背中を見つめていた。
「委員長さん、泣いてるわ」
「ああ、そうだな」
「ねえ、バンチョー」
小さな手が、長吉の裾を掴む。その指先から、微かな震えが伝わってきた。
「何とか、できないかしら」
「……ああ、そうだな」
少女の手に自分のそれを嵩ね、安心させるようにそっと握りしめる。
視線は真っ直ぐ前に。
今も泣きじゃくる弥生の背中に心を定め。
「やってみよう」
長吉はその誓いを、口にした。