12.縮まる距離
「……そこで、彼女は言いました。『私の事は誰も必要としていない! お父さんも、お母さんも、皆も! 私の事が嫌いなんだ!』少女の体から夕闇の力が溢れ、周囲を薄暗く染めていきます」
弥生が語る淡々とした情景描写と、迫真のキャラクター演技。
それが絶妙に噛み合い、長吉たちの戦いを最終局面へと盛り上げていく。
「いいえ、違いますわ! 貴女には、私達が居ます! 決して見捨てたりしません! ここで、桜子はスキルを使用!《久遠の残戒》!! 彼女の中から、逢魔を引きずり出してやりますわ!」
「それじゃあ、成功するか、対抗ジャッジ! 目標値は幸運マイナス十でダイスロールして」
麗華がダイスを握りしめる。
彼女の頬を汗がつたわり、テーブルの上に跳ね落ちた。
金流院麗華演じる桜子の幸運値は二十二。それからマイナスされて十二だ。
十面体ダイスを十の位と一の位に分けて振り、それ以下の数字を出さねばならない。正直、確率的には相当きつい。
しかも麗華はダイス運が悪い。極めて悪い。
ここまでに何度も致命的失敗の目を出しまくり、その度に嘆き喚いて涙目になっていた。
そんな彼女が迎えた正念場。
文字通り手に汗握る最終決戦での、要となるダイスロールだ。その緊張は半端な物では無いはず。
赤いルージュが引かれた唇、そこから荒い息が零れ出し、握りしめた拳はカタカタと揺れていた。
「金流院……焦るな。失敗しても、俺達がフォローする」
「そうです、麗華さまっ」「心置きなくやっちゃってくださいっ」
皆の声援が麗華に集中する。
彼女の判定が成功すれば、長吉達の勝ちはほぼ確定だ。
逢魔は、取り付いた少女の体から離れ、皆は心置きなく攻撃を加える事が出来る。
しかし、失敗したら……ごくり、と麗華が唾を呑む。
「テンプレ……ううん、金流院さん。大丈夫よ。貴女には、私達が付いてるわ」
だから、と可憐が微笑む。
「ダイスにあなたの想いを込めて――さあ、振って!」
その言葉が、最後の一押しになった。
麗華の手から放たれたダイスがテーブルの上に転がり、勢いよく回転する。
皆の視線が、二つのダイスに釘付けになった
――いけ、いけ、いけ……!
口に出さずとも、その目が如実に想いの強さを物語っている。この時、確実に六人の心は一つになっていた。
そして、運命のダイスはその数字を白日の下に曝け出す。表面に刻まれた、その値は……
「ゼロ、ゼローーーーやったっ! クリティカルですわっ!!」
十面ダイスは、見事に「0」と「0」。 絶対成功の数字を顕わしていた。
キャーッと双子が快哉をあげる。長吉も思わず、拳を握りしめていた。
そして、可憐は――
「やったわね、金流院さん! それじゃ、私も負けないわ。逢魔よ、夕闇に滅びなさい! スキル発動! 《星光斬破》!! ……えいっ!」
可憐の小さな手から転がり出たダイスは、見事に成功の値を叩きだす。
「ダメージロール! うんうん、目が良いわ! 二十、三十……八十二点!」
ようし、流れはこっちに来ている。ここでダメ押しだ。長吉は腕を捲り上げる。
「GM,こっちも対抗スキル発動。《紅蓮の腕》だ。……よし、成功。お嬢、そのダメージに+二十点上乗せだ」
「ありがとう、バンチョー!」
「よし、じゃあこっちも《霊脈束縛》! 相手の回避を絶対失敗!」「《盾よ穿て》! 相手の防御力をマイナス二十!」
双子のサポートスキルが、逢魔の体に絡みつく。これで、相手の防御は無いに等しい!
「うりゃあああああ!」
可憐の叫びが、刃と化して夕闇の魔性を切り裂いた。
滅びた世界の悪夢の化身は、希望の騎士たちによってその魂を浄化され、再び輪廻に還っていく。
「……かくして、少女は救われました。コレから先、辛い事や苦しい事は、まだまだあるでしょう。けれど、彼女はもう負けません。何故なら、大切な友達が居るから。絶望を覆し、夕闇を散らす黄昏の騎士たちが居るから……少女は、夢見る明日を迎える事が出来るのでした」
柔らかな口調で、エンディングが語られる、夢と希望を抱かせる、素晴らしいエピローグ。
「これで、今回のセッションはおしまいよ。みんな、お疲れ様」
弥生がルールブックを閉じて、頭を下げる。
途端に、ワッという喝采の声が上がった。
「楽しかった、楽しかったわ! こんなの初めて! Aちゃんも良かったけど、TRPGも最高ね! わたし、すっかり興奮しちゃった!」
まだまだ興奮冷めやらぬ、といった風に可憐がはしゃぐ。
その隣で、麗華が満足げに息を吐き出した。
「ふう……まあまあ、楽しめましたわ。この私の活躍によって、邪悪な逢魔は滅びましたし。暇つぶしとしては、中々良かったんじゃないかしら――」
「あ、じゃあ経験値を配るね。これを使えば、今使ったキャラクターを成長させられるのよ。新しいスキルを覚えたり、能力値を伸ばしたり……」
「――何ですって!? 私の桜子がもっと強くなるんですの!?」
テーブルの上に置かれたルールブックを引ったくり、血走った眼でページを捲りはじめる金流院。
どうやら、相当にこのゲームを気に入ったようだった。
「私にも見せて、見せて。次は、どんなスキルを取ろうかしら。あ、金流院さんは、《栄光の証》が良いんじゃない? 精神力が上がるみたいだし、さっきのスキルの成功確率もグンとアップするわ」
「ムムム……確かに。でも、《冥界の剣》も捨てがたいんです。私は、攻撃力が不足してますから……ああ、悩みますわ」
可憐達はルールブックを二人で開き、ああでもない、こうでもないと喋り始める。
その様は、何だかとても楽しそうで。見てる長吉まで嬉しくなってしまう。
ちなみに、双子の方はもうスキルを取り終えていた。
何でも、作成時に既に次の目星を付けていたらしい。抜け目がないというか、頼もしいというか。
ルールブックが戻って来るまで、もう少し時間がかかるだろう。
とりあえず、自分のキャラクターの成長はひとまず置いて、長吉は弥生に話し掛けた。
「委員長、お疲れさん。楽しかったぜ、ありがとうな」
「ううん、こっちこそ。私も久しぶりにTRPGが出来てとっても楽しかったわ。お礼を言うのは私の方よ」
そう言うが、実際彼女の負担は相当なものだろう。
それくらいは、初めてゲームを遊んだ長吉にもわかる。
GMというのは、ゲームの進行役なのだという。
弥生はごっこ遊びと称したが、TRPGを一つの劇として例えるなら、舞台監督に脚本家、それに大道具係りに主役以外の脇役の演技まで、GMは全てをこなさないといけないのである。
しかも、実際の演劇とは違い、登場人物たちはシナリオ通りに動いてくれない。
思い付きで突発的なアクションを起こすし、予想もしないような台詞をポンポン喋る。
それらを状況に即して対応していくのだ。想像しただけでゾッとする。長吉にはとても同じことが出来るとは思えない。
人畜無害そうな顔をしているが、頭の回転は速いし、人と人との間を取り持つのも上手い。
流石、クラスの委員長を任されるだけの事はある。心からの尊敬の眼差し、長吉はそれを彼女に向けた。
「……凄いな、委員長は」
「もう、お世辞を言っても何も出ないわよ。あ、でも……お茶とケーキなら出せるかも。今、用意するわね」
それくらいの事は自分がやる、と申し出るが、弥生は笑って断った。
動いている方が好きなのだという。その気持ちは、長吉も判らないでもなかった。
楽しそうにカップを用意し、皿の上にケーキを載せていく。
そんな弥生の様子を見ていると、本当に頭が下がる思いだ。彼女には、どれだけ助けられたろうか。
可憐と麗華の距離が、グッと近づいたように見えるのも、弥生のお蔭だろう。
楽しそうにキャラクターの成長をさせている二人の姿が眩しく映る。
(――良かった。お嬢も、金流院と随分打ち解けたみたいだな)
そう安心した途端に、肩が重くなる。腕を後ろに回すと、グキグキと音がした。
長時間椅子に座ったまま、似たような姿勢で居たのだ。緊張感も相まって、肉体も適度に疲労しているようだった。
張りを解すように、首をぐるりと回していると、部室の片隅に置いてある、ホワイトボードが目に入った。
そこには、複数名の名前が刻まれている。長吉や可憐、弥生のものもあった。
パッと見でわかるようにまとめた、簡易の名簿だ。
長吉はそこに近づくと、改めてボードを眺めた。
長吉たちが入部する前は、ここに名前は二つしか書かれていなかった。部長である高寺弥生と、そしてもう一人……
「久遠寺、遥……か。中って文字が丸で囲まれてるが、これはあれか。中等部の生徒って事か」
誰に言うでもなく、長吉はポツリとつぶやく
。
しかし、この生徒の姿は、一度も見た事が無い。
長吉たちがこの部室に通い始めてからもう一週間になるが、弥生以外の生徒がこの場所を訪れる事は無かった。
(――病欠か、何かか?)
ふと、そんな予想が頭を掠めた。
前にも、この生徒について弥生に尋ねた事はあった。しかし、彼女は首を振って、寂しそうに笑うばかりだった。
初めてこの部を訪れた時、弥生はこう言っていた。
『もう一人部員は居るんだけど、今は来ていないの』
何か理由があるのだろう。
しかし、弥生がそれ以上話したがらないのなら、下手に藪をつつくのは失礼というものだ。
誰だって、触れられたくない事はある。
けれど、もしも。もしも長吉が力になれる事があるならば。その時は……
そんな事を考えている内に、弥生がお茶の準備を済ませ終わった。
甘い香りと共に、ティーカップとケーキが皆の元に配られた。
紅茶を一口飲んで、おや、と驚く。昨日と味が違う。
前の物よりもっと香りが高く、口に優しくほどけるような、清純な甘みが感じられた。
同じく紅茶を口に運んでいた麗華が、ハッとしてカップをマジマジと見つめている。
「この紅茶。昨日私が言った種類の……」
「ええ、そうよ。金流院さん、その紅茶が好みだって言ってたから。早速購買に注文して取り寄せてみたの。あ、お金の方は部費から出てるから大丈夫だよ。他に使い道も無かったし、接待費、ということで、ね」
内緒だよ、と声を潜め。弥生がおどけたように、唇に手を当てた。
麗華も、そしてその取り巻き達も何も言えず、弥生と紅茶を順繰りに見つめている。
「委員長さんは、本当に優しいのね。気配りも上手だし、見習いたいわ」
「そうだな、俺もそう思う」
やめてよ、と弥生が顔を手で覆う。指の隙間から見える頬は、真っ赤に染まっていた。
取り巻きAが吹き出し、Bが手を叩いて囃し立てる。
麗華も紅茶に舌鼓を打っているようだ。和やかで、穏やかな空気が流れる。いつにない清々しさと、心地良さがそこにあった。
(――この分なら、金流院たちも部室に居ついてくれそうだな。明日以降も、この六人で遊べる事だろう。そうすれば、きっとお嬢も喜ぶ)
可憐の方を見ると、彼女は楽しそうに弥生とお喋りをしていた。
今度、自分もGMをやってみたい、そんな言葉が聞こえて来る。
好奇心旺盛な彼女らしい、そう長吉は苦笑する。自分よりもよほど度胸のあるこのお嬢様が、心の底から誇らしかった。
会話を邪魔するのは心苦しいが、そろそろ日が暮れる。帰宅を告げねばならないだろう。
それも、長吉の大切な役目だ。
可憐を促して、帰り支度を整えようとした、その時だった。
「――ん? 誰だ、あれは」
窓の外に、小柄な人影が見えた。距離も近い。
窓の縁に張り付くようにして、こちらの様子を伺っているようだった。
「どうしたの、番場く――あ!?」
長吉の視線を追った弥生が声をあげた。
そのまま弾かれたように席を立つと、窓の外の人物も彼女の様子に気付いたのだろう。
サッと身を翻し、部室に背を向けて走り出した。
「待って、遥ちゃん!」
弥生が部室を飛び出した。
よほど慌てていたのだろう、傍にあった椅子を蹴り倒したというのに、気付く様子も無い。
硬質音が響き渡り、部室がシン、と静まり返る。
先ほどまでの和やかな雰囲気が、何処かに消え去ってしまった。
突然の事に驚き、誰も口を開く事さえ出来ない。外から聞こえて来るカラスの鳴き声だけが空しく木霊する。
最初に動き出したのは、長吉だった。窓に飛び付くと同時に鍵を開け、力任せに解放する。
窓 の縁に足をかけようとした所で、誰かが背中にしがみ付いた。振り向くと、風にたなびく白い髪が目に映る。
「バンチョー、私も!」
「ああ……!」
片手で可憐を掴みあげると、肩口に載せる。
振り落さぬようにその身をしっかりと抱きしめて、窓の下へと飛び降りた。
部室が一階だったのも幸いだった。
着地の衝撃も殆どない。肩にしがみつく少女の無事を確認すると、長吉は体勢を崩さぬままに、駆け出した。
「ちょっと! 何処に行くんですの!? ええい、もう! 置いていかないでくださいまし!」
背後から、麗華の声が木霊する。
しかし、長吉は後ろを振り返る事無く、前へ前へと足を速めた。