1.番長、女子高に立つ!
「今日から皆さんと共に学び過ごす、新しい友人達を紹介いたします。淑女らしい、暖かく広い心を持って迎え入れてください」
抑揚のない、淡々した声が教室中に響き渡る。
しかし、それに応える者は居ない。歓迎の拍手の一つも無い。
ついでに、居並ぶ生徒たちの顔には笑顔の一つも無い。
ないない尽くしの三拍子。
番場長吉は、そんなうすら寒い光景に、かつてない居心地の悪さを味わっていた。
窓から差し込む、暖かな日差しが目にまぶしい。確か旧暦では、今の時期を五月晴れというのだったか。
そんなどうでも良い事が頭に浮かぶ。現実逃避という奴だろうか。お空と違い、長吉の心は晴れない。
この世に生まれて十六年。それなりに波乱万丈とも言える人生を送り、様々な苦境を乗り越えてきた。
しかし、今のこれはその中でも格別だ。
顔を上げ、周囲をそっと見渡す。
壁も天井も床も白く清潔で、小奇麗な教室だ。仄かに鼻をくすぐるこの匂いは、香水か何かだろうか。
香りの元であろうクラスメイト達に目を移す。
ぽかんと口を開くもの、目を丸く見開いたもの。現実を認められない、というように頭を振るもの。
それぞれの態度は違いがあるものの、反応は概ね同じ。
――困惑と、そして、恐怖。
少女たちは、みな一様に、慄いていた。荒っぽい言葉で言うと「ビビッて」いた。
少女たち。そう、この教室に存在する男は長吉一人だ。ざっと数えて十八人。
隣に居る四十絡みの女性教師――飯塚というらしい――と、もう一人の転校生を入れて、二十人。
一対二十。絶望的な戦力差だ。
無論、こんな不平等条約には理由がある。そう、何故ならここは。この学園は――
「せ、先生! 待って下さい、先生!」
「なんですか、高寺さん。そんな大声を出して。はしたないですよ」
教室の真ん中辺りに座っていた女子生徒が、血相を変えて立ち上がった。中肉中背。長い髪を三つ編みに纏めている。
この状況下で真っ先に「立ち直った」だけあり、その瞳には強い意志の光が輝いていた。
この状況を何としても問いただしてやる。そんなオーラがその背に立ち昇っているかのようだ。
「あの、あのですねっ! ここは……ここはっ! 白薔薇――白薔薇『女学園』ですよ! なんで! こんな! 男子生徒が! ここに! 居るんですかっ!」
そう、そうである。ここは東京都M市にある、歴史ある学園。
良家の子女たちが数多く通う、乙女の園。平たく言えば女子高である。
男子生徒がこの場に居る理由など、ある筈がない。
――普通、ならば。
「前々から言っておいた筈ですが? 近年の少子化による入学者の減少。その対策の一環として、共学を視野に入れていると。そのテストケースとして、選ばれた一人の男子生徒を転入生として迎え入れる、と」
丸眼鏡の縁を掴んでくいっと上げ、女教師はあくまで淡々とした説明に従事する。
「ええ、ええ。 それは確かにそうですね。聞いていましたとも。私達の新しいクラスメイトは、男子生徒だと。でも、でもですね……何故、その――『彼』なんですかっ!?」
震える指先が「男子生徒」の姿を捉える。
無理もない、と長吉は他人事のように頷いた。
頭には古めかしい学帽をかぶり、その巨体を包む制服は詰襟の黒い学ランだ。
膨れ上がった大胸筋でパンパンの胸元はボタンを留める事さえ叶わず、大きく前を開いている。
とどめに、足に履くのは下駄である。上履きですらない。
「――なんでですかっ!?」
様々な意味と思いが込められているであろう疑惑の叫びを、しかし。女教師は涼しい顔で受け流す。
何という鉄面皮。こいつは出来る女だ。目の前で繰り広げられる舌戦を見て、長吉は他人事のようにそう思う。
「男子用の制服のデザインは未だ検討中で決まってないのです。なので、これもテストケースの一つとして、彼には前の学校で使っていたものをそのまま着ていただいているのですよ。確かに、奇異に映るかもしれませんが、良く似合っていますし、問題はないだろうと判断しました」
「問題しかありませんよ!?」
頭を抱えて蹲る女生徒を見て、長吉の胸に軽い同情心が芽生えた直後。
くい、くい、と。黒いズボンが引っ張られた。
「ん? どうした、お嬢」
傍らに目を落とすと、そこには本日の「主役」である、もう一人の転校生の姿があった。
肌色の薄いスキン。それに包まれたちっちゃな手を長吉の足に沿え、不思議そうな目でこちらを見ている。
背も小さく、長吉が巨体とはいえ、その腰ほど――いや、下手をすれば膝の高さほどしかない。
「彼女」は、肩口で切り揃えられた白い髪をふわっと揺るがせ、可愛らしく小首を傾げた。
大きな蒼い瞳の中に、長吉の顔がくっきりと映りこんでいる。
「ねえ、バンチョー。私の出番はまだかしら? いつ挨拶すればいいの? もう、待ちくたびれちゃったわ」
「ああ、ちょっと待ってろ。……先生、もうそろそろいいか? 時間も押しているのだろう」
「ええ、そうですね。では、ご紹介いたしましょう」
そう言うと同時に、教師は柏手を一つ打ち、ざわつく生徒達を黙らせる。実に手慣れた動作であった。
「こちらが、吉備津可憐さんです。さ、吉備津さん。ご挨拶をどうぞ」
教師の合図に合わせて、可憐が前に歩み出る。
少女はステップを踏むような軽やかさで足をそろえると、スカートの裾を両手でつまみ、深々と頭を下げた。
「吉備津、可憐です。『こういった経験』が無いので、色々と迷惑をかけちゃうかもしれないけれど。皆、仲良くしてくれると嬉しいわ」
ニッコリと笑うその様は、花咲くように愛らしい。
そんな可憐の様子に毒気を抜かれたか、生徒たちは戸惑うようにまばらな拍手を送る。
「はい、ありがとうございます。それでは、次。番場長吉君」
「……はい」
可憐と入れ替わるように前に出る。すれ違う直前、少女が片目を瞑ってウインクした。
その意図する所をくみ取り、長吉は大きく頷いた。
(――大丈夫だ、お嬢。練習の成果を見せてやる)
何事も、初めが肝心。第一印象は大切だ。
出来る限り朗らかに、明るく、元気よく。とびっきりの笑顔で挨拶をぶちかます。
この日の為に、特訓に特訓を重ねたのである。
さあ、披露するときは今ぞ。長吉は、すうっと息を吸い込んだ。
「番場長吉だ。よろしく頼む」
長吉が己の出来る、最高のヴォイスで微笑みを見せたその瞬間、教室内に怒号と悲鳴が飛び交った。
特に悲惨だったのは、長吉の目の前、最前列に座っていた生徒達だ。
彼の素晴らしい「笑顔」を間近で目撃してしまった彼女たちは、みな一様にガチガチと歯を鳴らし、何人かはふらりと机に倒れ込んでしまった。
『――番長の笑顔は凶器っすよ。一撃必殺ってやつですね!』
前の学校で長吉の舎弟をしていた、ヤスの言葉が頭に浮かぶ。
あれはこういう意味だったのだろうか。人と人とのコミュニケーションは、つくづく難しいものだ。
「私には、良くわからないのだけれど」
突然の惨劇を目にして、可憐が不思議そうに口元へ指を当てた。
「転校生を迎えるクラスって言うのは、どこもこんなに騒がしいのかしら?」
「いや、どうだろうな。多分、ここが特別だと思う。十中八九、俺のせいだが」
「そうなの? 流石はバンチョー! 皆のハートを、ガシっとキャッチしたわけね」
「ああ、そうだな。連中の心臓をがっしりと鷲掴みしたのは間違いないな」
主に、ショック的な方向で。
「あらまあ、大丈夫ですか。このクラスの衛生委員は土井さんでしたね。倒れた方々を保健室まで運んでおあげなさい。あぁ高寺さん、貴女も手伝ってくださるかしら?」
突如吹き荒れたバイオレンス的な空気にも動じず、女教師は淡々と指示を出す。
面の皮の厚さも、ここまでくれば超人的だ。
さて。こうなっては、転校生の歓迎、どころの話ではない。
今、長吉が出来る事といえば、一つ。たった一つだけだ。可憐に目配せをしてから、教師の元へと歩み寄る。
「……先生。良ければ、運ぶのを手伝うが?」
番場長吉・十六歳。新たな学び舎で得た初仕事は、己が気絶させた生徒をこの手で保健室に運び込む――
――そう、実にマッチポンプな代物であった。
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