凶報
仕事柄の年末年始の激務や研修ですっかり遅くなりました
もうしわけありません!
サンバルテルミ総合病院。
天下に名を響かせる養老樹グループが直営する大病院だ。
熾天使会や≪裏≫に対する業務が多いイメージだが、一般人に対しての業務も当たり前ではあるが受け付けている。
外科と内科はもちろん小児科と耳鼻科もあり、リハビリテーションも併設。
一般方面の評価も高く、この街にこの病院あり……といった立ち位置だ。
智彦にとっては、異性の友人である養老樹せれんが在籍する熾天使会の拠点であり。
遊びに訪れたり熾天使会関連の手伝いをする際は、専用の裏口から来院している。
「こっちですぞ、八俣氏」
……が、今日の智彦は、一般外来用の受付を訪れていた。
受付で手続き後、先に来ていた上村に案内されてとある病室のドアを開ける。
こじんまりとした、白が基調となった個室。
濃厚な消毒液の匂い。
そして微かに漂う膿と血が混ざった匂いに、智彦は眉を寄せる。
「やぁ、八俣君も来てくれたか!」
智彦を迎えたのは、ベッドの上に上半身を起こした野口だ。
目の下に深いクマがあるも、そのつらさを滲ませまいと笑顔を作りあげている。
室内には、無言で片手を上げる縣。
智彦は頷き、お見舞いである煎餅の詰め合わせを窓近くのテーブルへと置いた。
花束、果物、おかし、ボードゲーム……野口へのお見舞いが、所せましと飾られている。
「……あ、これ、謙介が持ってきたのかな」
「『カタン』ですな。時間があれば皆でプレイしたいもんですぞ」
智彦が手に取ったボードゲーム見て、野口は苦笑いを浮かべる。
「そういう頭使うゲームは苦手なんだよね。どうせならバトルドームでもやりたいな」
「はっ、病院でやるゲームじゃねぇだろ、看護師さんに怒鳴られるぞ」
軽い会話を交え、智彦は野口の様子を窺う。
いつも通りに見えるも、カラ元気。
サッカーで鍛えていた体躯は、気のせいか衰えたように見える。
そして、なによりも。
本来あるべきである右足が、……野口の命の次に大事な脚が、喪失していた。
事の発端は、ファミレスにて智彦と食事中の堂前にかかってきた電話だ。
内容は、野口が事故にあい病院に運ばれたというものであった。
会計処理を迅速に終わらせた二人は急ぎ……智彦は力を抑えたまま、野口の運ばれたサンバルテルミ病院へ到着。
だが緊急手術中により、結局は会えないでいたのだ。
(ついさっきまで、皆が見舞いに来てたんだろなぁ)
お見舞いの品の数々。
ゴミ箱に捨てられている、潰れた紙コップの山。
室内に微かに残る汗の匂いから、サッカー部のメンバーが訪れていたのだろう、と。
智彦は小さいテーブルの上に置かれたぼんやりと光る水筒を、視界に収めた。
「堂前さん、毎日来てそうだね」
間違いなくそうだろうなと智彦が呟くと、野口は何故か顔を曇らせ頷いた。
首を傾げる智彦の後ろでは、縣と上村が二人そろって「あちゃあ」と言いたげな表情を浮かべる。
「……八俣、今回の事故は、あいつらの仕返しだ」
瞬間、智彦の殺気が湧き上がろうとするも、瞬時にそれを抑えた。
智彦は野口の横に置かれたパイプ椅子へ座り、ごめんと頭を下げる。
あいつら。
つまり、堂前に乱暴をしようとしていた男たち。
そして、野口が彼女を助けた際に屈辱を与えた相手だろう。
(……堂前さん、つらいだろうな)
もちろん悪いのは悪漢たちだ。
それでも、野口が脚を失ってしまったのは……野口のサッカー人生を失ってしまったのは堂前に責任がある、と。
口にはしないがそう思う者はいるだろう。
一方、堂前も同じように責任を感じ、野口へ献身したいはずだ。
だがそれは、含みを持った視線を浴びてしまう。
(それでも堂前さんは、野口君の傍にいるんだろうけど、ね)
換気口の音だけが響く室内。
智彦が堂前のことを考えているとわかったのだろう。
野口は沈痛な顔をしたまま、首を横へと振った。
「彼女は関係ない。これは全部俺の責任だよ」
その場で警察を呼ぶこともできた。
捨て台詞を吐き逃げる悪漢を撮影し、SNS等に晒して動きづらくすることもできた。
それを怠ったのはすべて自分の責任だと。
ただいい恰好がしたかっただけの、俺の落ち度だ、と。
野口は自分に言い聞かせるように、零す。
「だから、彼女を……堂前さんを、責めたりしないで、くれ」
強いなと、智彦は野口へ目を細める。
それは憧憬に近い眼差しだ。
自身に降りかかった不幸に、理不尽だと泣き叫びたいだろう。
他者へ責任を転換し、楽になりたいだろう。
(以前の……、被害者ぶって厭世的な振りしてた俺とは大違いだな)
自身の未来が揺らいでいるにもかかわらず、責任を他に求めない野口に智彦はただただ感嘆し。
上村の用意するボードゲームを視界に収めながら「詳しくは後で」と。
縣と視線を交わし、頷いた。
「野口氏はTRPGはご存知ですかな?」
「単語は聞いたことあるけど、って何そのサイコロ、いやサイコロなのそれっ⁉ 何面あるんだ⁉」
「いやいやそこに気付くとはお目が高いですな、……さぁ、物語の幕開けです」
「急に口調が変わって渋い声に⁉」
その後、四人は上村の持ち込んだボードゲームを遊び、廊下まで笑い声を響かせた。
時間にして約三時間。
野口の包帯交換の時間直前まで饗宴は続き、智彦達は邪魔にならぬようにと帰り支度を始める。
(すっかり長居しちゃったな)
夏の残り香が濃い九月。
夕方にも関わらず、空はいまだ昼のように青い。
病室の外からは足音が頻繁に聞こえ、夕食の準備なのか、病院内が慌ただしくなっているようだ。
智彦はTRPGなる新しい遊びへの熱を残しながら、上村と縣に倣いパイプ椅子から立ち上がった。
「じゃあね野口君、また来るよ」
「すっかり長居してしまいましたな、申し訳ないですぞ」
「今度は、俺の持ってるゲームを持ってくっからな」
智彦、上村、縣の三人が、野口へと手を振る。
が、先程まで笑っていた野口は俯き、固まっていた。
少しの間。
ポタリ、と。
シーツに水滴が広がった後に、室内に……かすれた声が響く。
「……悪い、やっぱつらいや」
「……そりゃあ、つらいだろうよ」
縣が野口へと近付き、その頭を胸部へ抱き寄せた。
静かな息は、やがて嗚咽へ。
上村は室内のカーテンを広げ、智彦は出入り口のドアの前へと陣取る。
「もうサッカーができないんだよ……、走れないし、ボールも蹴れないしっ!」
「あぁ、そうだな」
「皆が堂前さんを責める目をするんだよ。その度に、その原因を作った俺がつらくなるんだよ」
彼女を……堂前を助けなければ、こうはならなかった。
そう思ってるし、声を出しにして叫びたい。
「でも違うだろそれはっ……、彼女だって被害者で、怖い思いをして! 本当に憎むべきはあいつらなのにっ!」
慟哭。
ではなく、鬼哭に近い泣き声。
包帯を乗せたカートを押した看護師が来るまで、智彦ただただその声を……記憶へと刻みこんだ。
「……詳細、教えてくれるかな?」
病院から少し先にある小さな児童公園。
智彦は鉄部分がすっかり錆び付いたベンチへと座り、蝉とひぐらしの音を聞きながら当時の流れを思い出す。
あの時、堂前をワゴン車へ押し込めようとしていた悪漢は、ドライバー含めて五人程。
リーダーっぽい男は野口の放ったサッカーボールにより転倒し、頭を強打し悶絶。
その間に縣が他の三人を打ちのめした後、悶絶するリーダー格の両手を砕いた。
智彦は転がってきたサッカーボールを蹴り、ワゴン車の前輪部分を破壊。
泣きじゃくる堂前を保護した野口を智彦達が見守る中、悪漢達はワゴン車を捨て、喚きながら逃げていった。
その中で一際怒気を放っていたのが、縣によって両手を砕かれた……、顔に赤い蛇のタトゥーをした男だった
(いっそ両足と目も潰しておけばよかったな)
じんわりと殺気が滲む智彦を見て、縣は息を吐きながら事件のあらましを伝えだす。
「まず、あいつ等を野放しにしてたのは俺の落ち度だ。そこはすまねぇ」
「あいや、縣氏は仕返しとして襲ってくるのを待ってたのでは? それを落ち度と……」
上村の言うように、悪漢達に対し縣はわざと顔を印象付けるような言動を行った。
仕返しが野口に行かぬようにした工夫だったのだが……、余程に相手は野口を恨んでいたらしい。
「ありがとな上村。だけどよ、四の五の言わずに再起不能にしてりゃ、野口はあんな目にあわなかったんだよ」
智彦からの無言の促しで、縣はパンダの乗り物に腰を下ろし、唇を動かす。
事件……いや、事故があったのは試合のあったあの日。
帰宅途中の野口に車が突っ込み、その脚を執拗に轢いて逃げていった……といった内容だ。
「運転してたのは別人だが、指示したのはあの蛇のタトゥーをしてた男だ。名前は葛山紫々男。あの辺りを仕切る半グレのリーっと待て待て!」
すぐさま現地に向かおうとする智彦を、縣が必死に呼び止める。
不機嫌そうな智彦に、上村は苦笑いを浮かべた。
「気持ちはわかりますぞ八俣氏。ですが、運転手はひき逃げってことで警察に捕まっているのでは」
「あー、そうか。謙介の言う通りなら、警察署に突撃するのはまずい、か」
さすがに国家権力に喧嘩は売れない。
ただ知り合いの警察……若本に頼めば可能性はあるのではと考えた智彦へ、縣が緩慢に首を横に振った。
「それがな、車には誰も乗っていなかった、ってことになってるようだ」
縣曰く。
野口と一緒にいたメンバーは、車に人が乗っているのを……顔に蛇のタトゥーがある男が助手席にいたのを、しっかりと見ていた。
もちろん、事情聴取の際に警察にも話していた。
が、野口とその家族に対して警察は「車は放置されていた盗難車で、サイドブレーキがされてないが為に勝手に走り出し、それに野口が巻き込まれた」と説明。
野口達は反論したが、警察は事件性の無い不幸な事故と処理した……との事だ。
「井沢……野口の友人な。そいつがスマホで撮影してて映像を証拠として提出したんだがよ」
「……あー、何となくオチが読めましたぞ」
「あぁ。そんな動画は存在しなかったと、スマホだけが帰ってきたらしいぞ」
つまり、要するに。
警察の内部に、葛山と仲の良い存在がいて。
今回の件を無かったことにしているのだ、と。
智彦達は嫌でも理解してしまった。
そして、それが意味するのも解ってしまう。
「……不幸になった人、いっぱいいそうだね」
思えば、あの蛇のタトゥーをした男の周りは淀んでいたなぁと。
少なくとも人が死んでいる濃さの淀みを思い出し、智彦は被害者達の執着に……目を瞑った。
三人の体に、オレンジが滲み始めた。
何処からか漂ってくる夕餉の匂いに、日常を思い出す三人。
そして……、日常を壊された友人の、顔を浮かべる。
「……若本刑事達に相談してみますかな?」
「どうだろうなぁ。現場でもみ消しているんなら耳にすら入ってねぇと思うぞ」
110に電話していれば記録が残り、もみ消すことが難しくなる。
そのために近くに仲間の警察官を待機させ、電話される前に駆け付ける……といった手段をとっているんだろう、と。
縣は憂鬱に息を吐いた。
悪質も悪質。
だからこそ遠慮なんてしなくて良いと……智彦は立ち上がる。
「……まぁ、とりあえず脚を潰してくるよ」
野口の本心を聞けて良かった。
本人は望まないだろうが、それが友人のためにできる手向けだと。
そう、スナック感覚で報復を仄めかす智彦に、上村は何とも言えぬ表情を返す。
「本当であれば止めるべきなんでしょうな。……智彦が手を汚すのはやっぱつらいからさ」
演技を剥ぎ取った上村の言葉に頷く智彦。
まぁ殺害するわけではないからいいのかなと少し歪んでしまった常識で、上村は親友を見送ることにした。
「謙介は野口君が喜びそうなTRPGを探してよ。とても楽しそうだったからさ」
「あー、ですな。ならばここはやはりルナルサーガを……」
できればサッカーを少しでも忘れられるような趣味になって欲しい……と真剣な眼差しとなった上村から、智彦は縣へと視線を移す。
縣は既に立ち上がり、スマホで地図アプリを起動していた。
「あの商店街近くに、コンテナが積まれたスクラップヤードがあるんだよ」
「そこがたまり場ってことかな?」
「ご名答。見張りは必要だろ? 暗くなる前に終わらせようぜ」
距離としては30分もかからない、仇が鎮座する本拠地。
智彦と縣は上村と別れ、燈色が眩しい道に影を伸ばす。
帰宅中の小学生達。
仕事帰りのサラリーマン。
買い物を終えた主婦。
犬の散歩をする御老体。
日常が、智彦の横を通り過ぎる。
(いつも通り、当たり前の日々、俺は何とか取り戻せたけど……)
堂前は、信じていた綺麗な世界を。
野口は、将来の夢と生き甲斐を。
日常は簡単に壊れ、砕かれ、奪われる。
そしてその原因を作った悪意は、それを日常と定めて厭らしく笑っている。
だからこそ平等に。
そんな日常を叩き割ってやろう、と。
トタンで作られたスクラップヤードの歪な壁を見上げた智彦の視界の隅に、一つの影。
杉の木に囲まれた、鬱蒼とした暗がり。
いまだ深緑ではあるが、有害物質の影響か枯れている部分が多く見える
規模としては小さなジャンクヤードの入り口……錆びた軽トラの横に佇む影が、二人へと振り向いた。
「……若本さん?」
「とっつぁんじゃねーか、どうしたんだよ」
くたびれた灰色のスーツの、白髪が混ざった短髪の中年刑事。
奇妙な縁での付き合いのある若本が、智彦と縣に気付いて右手を上げる。
「よう。あー……、お前らがいるってことは、やっぱあっちの事件か」
あっちとは。
事件とは、何か。
智彦と縣が疑問を口にする前に、若本はネクタイを緩めスクラップヤードの方へ顔を向けた。
「ここにたむろってヤンチャしてた奴が変死してな。それ調べに来たんだよ」
まぁとりあえず一緒に来い、と。
若本は二人へニヤリと笑った。




