過去
前話の後半を書きなおしています
ご注意下さい
智彦と田喜が辿り着いたのは、何の変哲もない砂浜だった。
島が動いた後の影響か波は未だに荒れており、飛沫を容赦なく二人へと浴びせる。
だがそれは、普通の人から見た光景だ。
智彦と田喜の目には、緋色の触手が砂浜を埋め尽くいる光景が広がっており。
触手はその先端をうねうねと動かし、茶色く染まった巌を指している。
「これが島神か?」
「みたいですね。変な気配を強く感じます」
大きさとしては、5メートル程の歪な円柱形。
張り付いた苔は茶色く乾燥し、その巨体には同じように干からびた海藻類を巻き付けている。
そしてその足元。
もはや原型は留めていない何かの土台を、フナムシが忙しなく這っていた。
「言葉が通じれば、苦情の一言でも言ってやるんだが……ん、どうした?」
巌を見上げる田喜に反して、智彦はその足元を見つめている。
しかもその視線は、どこか遠くを眺めているような……奇妙な様相だ。
「いえ、ごちゃ混ぜだなぁ、って」
「ごちゃ混ぜ?」
何と表現したら良いのかと、智彦は言葉を探す。
ぼんやりとではあるが、智彦の目には島神の本体が映っていた。
巌全身を覆う、光。
ただその色は、綺麗ではあるが……趣味の悪い様相だ。
「小麦粘土ってありますよね? あれの全部の色を混ぜてこねたような感じです」
「あー、娘が遊んでいたのを見た覚えがある。懐かしいな」
「結婚されてたんですね」
「離婚したがな」
軽口を叩きながら、智彦は巌へと掌をあてる。
瞬間、光がうねり、数多の細い触手となって智彦……いや、御神体を囲んだ。
智彦は特に表情を変えず、御神体を持ち直す。
「田喜さんは、島神をどうしたいですか?」
「ん、あぁ。そう、だな」
上空から、ヘリの近付いてくる音が聞こえだす。
しかも、複数。
助けが来たのかと安堵しつつ、田喜は巌を睨みつけた。
「俺はこいつを許せん。多くの隊員の未来を奪った報いを受けさせてやりたい」
憎悪に顔を歪める、田喜。
しかしその唇は、だが、と続く。
「島神に悪意は無かった、はずだ。純粋に一人の人間を望んだだけ。本当に恨むべきは……それにつけ込んだ、硯達だ」
握り締めた拳を解きながらも、田喜は表情の抜け落ちた顔を智彦へと向ける。
「どうしたいかと聞かれるとな、八俣君。俺は、島神を解放してあげたいんだよ」
すでに死んでいる人間を……もはや再開の叶わぬ者を待つ、辛さ。
諦めを希望という言葉で誤魔化すも、それは毒を孕み、じわじわと精神を摩耗させていく。
待ち人に囚われ、思い出ばかりを振り返り、前へ進めない人々。
田喜は被災地でそのような人々と、数多く接してきた。
「いや、解放なんて行儀のいい言葉じゃないな」
だからこそ、この神にならば遠慮なく言ってやれると。
待ち人はお前の下には帰ってこないから諦めろ、と。
田喜は、巌を真っ直ぐと見据えた。
「わかりました」
智彦は微かに笑みを浮かべ、頷く。
智彦も智彦で、最早この島に神様は不要ではないかと考えていた。
島がくっついたのならば、ここも親友の叔父のモノとなるはずだと。
だったら不穏分子は排除しておくべきだ、と。
……些か自分勝手な都合ではあるのだが。
「とは言え、どうするんだい? 相手は言葉を理解できないと聞いたが」
「言葉に力を乗せて、言霊として送ります。まぁ、初めての試みですけど」
軽く笑いながら、智彦は御神体を囲む触手を鷲掴みにした。
途端に頭の中に流れる、幾重にも重なった記憶。
軽くうめき声を上げた智彦は、言葉を伝えるべき光を、探す。
【もう いやだ 耐えられない 俺は 逃げ】
炭鉱での労働に耐えかねて島を逃げようとする男性の記憶。
【水も無い 風もない このまま 死ぬ のか】
嵐で漂流し、照りつける太陽の下で乾いた唇から血を流す男性の記憶。
【助けてお父ちゃん! 足が! 足がぁぁぁあ】
海で泳いでいる途中、足をつって沈んで行く女児の記憶。
【あいつら 働けなくなったワシを 海へ捨てるなぞ! 育ててやった恩を】
冷たい目で見下されながら、実の子供達に海へ放り投げられる老人の記憶。
【 ! !? 】
大きな岩に住み着いたイソギンチャクが、岩を崇める人間を感じ取る記憶。
【貴方、子供達をよろしくお願いします。 私はもう……】
「見つけた」
智彦は、その記憶を手繰り寄せる。
病弱で、二人目の子供を出産するも体を壊した女性の記憶。
愛する夫の負担にならぬよう、星の無い夜に暗い海へと身を投げた記憶。
沈みながら、最後に腕に抱いた我が子の成長を見届けたかった……悔恨。
【あぁ、宵。貴女に会いたい】
「残念ですが、もうすでに亡くなっています」
【どこに行ったの? 戻って来て】
「戻りたくても、戻れないんです」
【だったら、なぜ貴女はここにいるの?】
「本人ではありません。ですが、間違いなく貴女の探していた女性です」
智彦は掴んだ触手へ、御神体を振れさせた。
触手はピクリと動き、すぐさま御神体を大事そうに包みはじめる。
【宵! あぁ、宵! よいぃぃぃ】
「これで、島に残る理由も無くなったのではないでしょうか。……どうか末永くご一緒に」
ウオオオオオオオォォォォオオオオオオオオオ……。
ウオォォォォォォォォォ………………。
今までのとは違い、とても小さい。
されど耳通りの良い、海鳴り。
気付くと、智彦達を囲んでいた触手は消え。
巌の中に渦巻いていた光も、無くなっていた。
「……御神体も、消えたな」
「はい。一緒に行ったみたいですね」
同様に智彦の手から消えた御神体の面影を見ながら、田喜は海を見つめる。
心地よい風が、蝉や鳥の音と共に吹き抜けた。
「……じゃあ、もどるか」
「ですね。救助のヘリや船が集まっている気がします」
先程から、上空が騒がしい。
田喜は海の青から空の蒼へと視線を移し、苦笑いを浮かべた。
「あいつ等、俺に電話してこないとか……存在忘れてないか?」
「……あっ、そういや田喜さんのスマフォ、借りたままでした」
「あー、そうだったな。でも、全然着信が無かっただろ」
「いえ、その、すみません。えっと、壊れてしまってて」
「……まぁ、気にするな。防水じゃ無かったからな、仕方ない」
田喜は手に持った拳銃を海へと投げ捨て、袖で額に浮かぶ汗を拭った。
それにより赤く汚れた袖に眉を寄せながら、智彦に問いかける。
「結局、島神ってのはなんだったんだ?」
「何と言えばいいか。いろんな人間の集合体みたいな? ……いや、人間以外もいたか」
「なんだそりゃ」
「島民の信仰心で島神になって、混ざった感じですかね? うまく言えませんが」
案外、あの大きな岩の下には、島神に混ざった人達の遺体があるかも知れません。
無表情のままそう言い放つ智彦に、田喜はこれ以上は持て余すと考え頭をぼりりと掻いた。
白いフケが舞い散るも、風に流され消えていく。
「……まぁ、今はいいか。とにかく寝たい」
隊員及び遭難者の遺体の回収。
上や関係者への事情説明。
待ち受けている報告書の束。
それだけでも地獄なのに、超常現象が絡んでいる厄介さ。
「なんにせよ生きのこれたのは君のお陰だ。ありがとう、八俣君」
「……はい。今は戻れることを喜びましょう」
明日から自由の無い日々が始まると憂鬱になるも……それは未来が紡がれたことでもある、と。
灰色の地面の上、遠くで手を振る仲間達を眺めながら、田喜は生を噛しめた。