セプテントリオン
田喜が去った後も、島民の映像を被った殺戮者はこの砂浜に殺到していた。
だが紗季の能力が凄まじく、彼女の刻む凶刃により速やかに処理されていく。
しかし、島民達の進軍は途絶えることが無い。
同じ島民が目の前で土砂に還るも、気にせず、唸り声を携えて進んでくる。
「……うーん?」
その異変に最初に気付いたのは、上村だった。
火力が紗季任せのため、上村達は四方に展開し、島民たちの接近に注意していた。
何せ自重による音はあるが、波と風の音に紛れ、いつの間にか近くにいるからだ。
それが、何故か急に解りやすくなったのだ。
「……唸り声? ふむ、言葉を発するようになってますぞ?」
上村の言葉に、近くにいた真林も頷く。
「しかも両手を前に突き出してるでござる……これじゃあまるで」
ゾンビのようだ、と。
一同の脳裏に、とあるパニックホラーの映画やゲームが浮かびだす。
現に、それらに登場するゾンビのように、島民は上村達へと殺到しだした。
(これは、まずいかもしれませんぞ)
暑さからではない冷たい汗が、上村の頬を伝う。
ゾンビ。
その存在に抱くイメージは、なかなか倒せない、だ。
多くの作品において、ゾンビはしぶとい。
倒したと思っても起き上がり、嫌なタイミングで襲い掛かって来る。
変質した島民も同じような性質を持っているのではと。
ならば圧倒的にこちらが不利になる、と。
上村は奮戦する紗季……の足元に築かれた土砂の山を見る。
「紗季! 気を付けて! その土砂が復活するかも知れない」
「ん。ありがとう謙ちゃん。でも、大丈夫」
最寄りの一体を切り伏せた紗季は軽く息を吐き、上村だけに魅せる笑顔を浮かべた。
「これを動かしているのは、悪霊。それごと斬ってるから、問題無い」
「悪霊……、自分には見えない程の強い霊、か」
「映像が被さって見えないだけ。全然弱い。だから操られてる」
なるほどと、上村は改めて土砂へと目を向けた。
この土砂を人型に捏ね、動かす為に悪霊を宿し、こちらに殺意を向けている存在がいる。
それは勿論……。
「ふーむ、島神は一体何のために、こんな事をしてるのですかな?」
上村が首を捻る横で、紗季は一息ついたと包丁の刃毀れを確認する。
同様に、石野や真林も浮かんだ汗を拭き、その場へと腰を下ろした。
「やっぱ島神の仕業だよなぁ。それしか考えられねえし」
「左様。拙者達が何か怒りを買う事したでござるかね」
真林がこの場にいる自衛隊員達に、何か祠を壊したか、禁足地らしき場所に入ったかを確認した。
が、やはりそのような記憶は無いらしい。
「原因がないとすると……矛盾してるのでは?」
船上から、牝小路の声。
その視線は海の方へと向いており、いまだに神経を張り詰めている。
「だなぁ。島神ってここを繁栄させようとしてるんだろ?」
「でござる。ならば何故、拙者達を殺して……人口を減らそうとしてるのか」
牝小路達の会話に耳を傾けながら、上村は紗季へとハンカチを取り出す。
紗季はそれを受け取らずに、上村へずいっと頭を突き出した。
苦笑を浮かべた上村が、ハンカチで紗季の額に浮かんだ汗を拭おうとした、その時。
海から、強い風が吹き抜けた。
飛ばされる、ハンカチ。
それは、地面から突き出した井戸を越えて……。
「……井戸?」
あんなものは無かった。
目の前には、草原の映像が被せられた砂浜があったはずだ。
一同が身構える中、井戸から細い手が伸びた。
顔を覆う、黒く長い髪
そして、白い服。
長い髪の隙間からは、上村を凝視する血走った眼が……。
「ちょっ、あっちには壁が!」
別の方向にも、突如壁が現れる。
草原の映像の上に置かれた、木製の扉が付いた、バス一台程の長さの壁。
バゴンッ。
石野達が呆ける中、木製の扉に、亀裂が入った。
バゴンッ。
バゴンッ。
……バゴンッ。
広がっていく、亀裂。
そこから生える、斧。
やがて音は止み、亀裂から覗き見る島民が、一同へ笑顔を向ける。
「せめて人間でお願いしたかったでござる!」
真林の方には、小型の恐竜が鈍重に迫って来ていた。
その奥には今まさに体が構築中のティラノサウルスが鎮座するも動けず、映像も所々曖昧だ。
「う、海の方からは鮫が……っ! 超大型です!」
一方、牝小路が見張っていた海からは、大きな背びれが飛び出していた。
サイズを考えるとこの船はいとも容易く破壊されるであろうと、牝小路は慌てて船を降りる。
ピエロだ、少女の人形が踊ってる、宇宙人だ、大きな蛇だ。
その後も続く、他の自衛隊員からの報告。
ゾンビに混ざったそれら異物を認める度に、上村は眉を顰める。
「オールスターズですな。本当に一体何が……」
「島神もふざけやがって! だがああいう姿でも、俺達を殺そうとしてるのはわかるな」
「然り然り。まぁ、性能的に追いつけていないっぽいのが救いでござるな」
石野と真林の指摘通り。
中身が悪霊……それも人間のだからだろう。
ゾンビなどの人型はともかく、恐竜や蛇といった化物の映像は鈍重で、まともに動けていないのが殆どだ。
背後……海からは、牝小路の報告にあった鮫が、ただその場で跳ねるだけの音を響かせている。
とは言え、ピンチには変わりない。
海を含めた四方八方から攻められては紗季だけでは手が足りない、と、
上村は借り物のサバイバルナイフを構えた。
「……ふふ」
「どうしたの、紗季」
じりじりと照り付ける日差し。
吹き抜ける風に乗った、軽やかな笑い声。
場にそぐわぬ紗季の笑みに上村が首を傾げると、紗季は少し嬉しそうに、再び笑いを零した。
「死ぬかもしれない状況で、好きな人の為に戦う。まるで映画。……そう、思った」
「ははは、そうだね。本当なら俺が紗季の前に立つべ……き……」
映画。
紗季の漏らした言葉の単語が、上村の思考に張り付いた。
(……いやいや待って欲しいですぞ、まさかそんな)
バカげてる。
だが、そう考えるとある程度辻褄が合ってしまう。
(そんな理由で……? 本当に……?)
眼前に迫る、島神の造りし殺戮者たち。
石野は「島神の悪ふざけ」みたいに言っていたが、こいつらの造形はどこから来たのか?
「島神の目的は、島を繁栄させる事、つまり、人を集める事……、活気も必要……」
世界戦レベルの競技が行われるスタジアム。
アイドルが歌って踊る、ライブ会場。
人が集まり熱狂する場所。
それこそ今の世には、そんな場所は腐るほどある。
だが、一般人に身近で。
しかも、映像の中でも多くの人々が出演し、世界が広がっているように見えるのは……?
「島神は、自分達から映画を見た記憶を覗いたのかも知れませんぞ」
上村の心底つまらなそうに、そして悔しさを滲ませた言葉。
それは、周りにいる者達の怒りに、火を付けた。
「なんだよソレ! おい誰だよ! 映画を見た記憶を思い浮かべたバカは!」
「やめるでござる! そんなの予測できるわけないでござるよ!」
激高する石野を、真林は必死に押さえ込んだ。
「こんな状況下! 過去やら楽しかった事を生きる気力として思い出すのは仕方ないでござるよ!」
「そんなことわかってらぁ! くそっ! 島神の野郎ふざけやがって!」
石野は噛み締めた唇から血を流しながら、作業用のシャベルを手に取った。
そのまま紗季の近くへと歩み、戦う覚悟を決める。
他の自衛隊員達も、同じだ。
怒りの形相で、ゾンビや恐竜の映像へと得物を向けた。
(いけない、皆、怒りで我を忘れてる……おほっ! ……と)
一度言ってみたかったセリフを放った高揚感をなんとか頭から追い出し、怯える牝小路を下げながら、上村は考える。
牝小路の言ったように、島神は想い人……とは言えない贔屓の観察対象を呼び戻す前提で、この島を発展させたがっている。
発展、つまり人を集めたがっている。
現に自分達はその一環として、この島に閉じ込められている、と。
(だけどこっちを殺しにくる矛盾。つまり、自分達を殺した方が人が集まると考えてる)
そこで、映画だ。
誰の記憶を読んだかわからないが、島神は映画。
しかもパニックホラー系を何故か選択してきた。
(パニックホラーで人が死ぬと、見ている側は……あぁ、そういうことか)
要するに、要するにだ。
自分達が惨たらしく死ぬ様を見て喜ぶ観客が、この島に集うと考えているのだ。
(……違う、蟻だ。蟻を殺して、その死骸を餌に新しい蟻を呼べる、巣も大きくなると考えてる)
上村は自身が導き出した答えを嘘であって欲しいと思うも、その瞳に珍しく憎悪が揺れる。
やはりこの島の神にとっては、人間の命などその程度なのだ、と。
「謙ちゃん」
「……ごめん、紗季。冷静になるよ」
「うん、まだちょっとだけ時間はある。考えて」
取るに足らない程ではあるが、殺気が漏れていたのだろう。
島神が作った者達とは、紗季の言うようにまだ……されど油断できない距離ではある。
頭を冷静にすべく上村は頭を振り、再び思考する。
(さて、この現状は極めて絶望。切り抜ける手段は……)
島民が、ゾンビに。
ゾンビから、様々なパニックホラーのキラー役に。
(つまり、この状下でパニックホラー系を連想し、見た映画等を思い出した人がいる、んでしょうな)
その記憶は、島神に様々な存在を知らしめた。
パニックホラーの敵はこうあるべきだ、と。
(これこそが、島神が今もなお自分達の記憶を漁っている証左、ですぞ)
ならば、これしかない、と。
上村は大きく息を吸い、腹の底から声を飛ばした。
「皆さん! なんでもいいですぞ! 人が一杯いて賑わってる思い出を! 浮かべて欲しいですぞ!」
何故。
どうして。
一同が尋ねる前に、上村は矢継ぎ早に言葉をぶつける。
「上書きです! こんなストーリーの無いC級映画より人が呼べそうなのを! 思い浮かべて!」
ゾンビ、恐竜、宇宙人……。
島神の作った質量のある映像が、眼前に迫る。
「思い浮かべるったって! こんな状況じゃ!」
「火力演習……はダメだ! こっちに砲弾飛んでくる気がする!」
紗季が。
石野が。
自衛隊員達が、武器を構えた。
上村の提案を受け入れてはいるが、記憶を引き出す余裕は……無い。
もはや、殺し合いが始まる寸前。
上村が諦めかけた時、その声が……響いた。
「上村殿! おさない! かけない!」
「……っ! 夢を、諦めないぃっ!」
それは、とあるオタクの集うイベントではあまりにも有名な語録。
だからこそ、二人の……上村と真林の脳裏に。
記憶が、爆発した。
「……なんだこりゃ」
「あー、なんかテレビで見た事、あるな」
「ははは、力抜ける」
周りの映像が、変わっていく。
大きな……ホールのような建物内。
ゾンビは、紙袋で両手がふさがったバンダナを頭に巻いた男性に。
恐竜は、折り畳みテーブルに積まれた本と売り子に。
宇宙人は、歪なコスプレをした女性に。
『お釣り出ないようにお願いしまーす!』
『なにこのカプ! 黄蓋×曹操、赤癖連姦の計⁉』
『すみません、撮影いいですかー?』
上村の記憶通り、周りには長蛇の列を作る人々の映像が描かれる。
それどころか、声も、再現されはじめた。
「助かった……間に合って、良かった!」
「でござる! はははっ、日本のオタク舐めんなっでござ!」
殺意が溢れていた砂浜はどこに行ったのか。
今やここは、上村にとって見慣れた場所となっていた。
一同は先程とのギャップに毒気を抜かれ、唖然としている。
「謙ちゃん、お手柄」
「紗季も。……お互い、無事でよかった」
「……うん」
多くの仲間が亡くなっているかも知れないし、脱出方法も思い浮かばない。
田喜も、戻ってきてはいない。
根本的な解決はしていないが、それでも……とりあえずは助かった、と。
上村と紗季が抱き着こうとした、その瞬間。
「んおっ⁉」
「このタイミングでっ!」
轟音を上げ、島が……戦艦島が、動き出した。
上村達は立ってられぬと、地面へと這い蹲る。
「もしかして、沈んでっ?」
「いや、これ島が動いてないか?」
「海水が目にっ⁉」
「ちょっと待って待って待って! 船が流され、てない?」
シャワーのように降り注ぐ、海水。
その隙間から見える大海原に……島が。
女港島が、浮かんでいた。