十話:終電時刻となりました
「え、えぇっ!? ここどこですかぁ!?」
ステラは慌てふためく。
無機質な壁と天井、突起のついた黄色いブロックが床に横一列に並ぶ。白い線の先は切り立っており、粗めの砂利の上に金属製の棒が並行に置いてある。吊り下げられた光る板には見たこともないような文字の羅列。
目につくもの全てが規則的で、気が狂いそうになる。
リンはステラに声をかけた。
「落ち着いて、ステラ。 私たちが作った森の幻覚と一緒だから。 ……ただ、ここがどういうところなのか、まるっきり分からないけど」
口ではそう言うも、辺りを警戒するその姿からは焦りが感じられる。
「……あ、あのっ! リンさんっ!これって何か分かりますかぁ……? 文字は読めるのにちんぷんかんぷんでぇ……」
ステラは震える指で看板を指す。
「えっと……駅構内案内図……。地図みたいなものだと思うけど……駅って……なんなんだろう?」
二人は首を傾げた。
それもそのはず。リンもステラも『駅』という概念すら知らない。なぜガーベラがここに連れてきたのかすら二人にはわからない。
しかし、その人為的な精巧さと薄暗さには嫌悪感を覚えた。わずかな灯りさえ明滅を繰り返しているせいで、不気味さは輪をかけて強まる。
「ひ、ひぇっ……こんな怖いところ……見ないで作れるはずないですぅっ……」
「悪趣味にも程があるよ。 何がしたくてこんな空間を出したんだろう。 私たちを惑わすにしたって他の方法があるはずなのに。恐らく本来の目的は他に……」
異質にも程があるその空間に、ノイズ混じりのアナウンスが流れた。
『その通り。 ここはただの見せかけではない』
「「──ッ!!」」
口調が明らかに違うが、ガーベラの声だ。
二人が振り返るも、ガーベラの姿はない。その代わりに、格子の着いた黒い箱が天井についている。音はそこからしているようだ。
「……そ、そこにいるんですかぁ……?」
オドオドしながらステラは訊ねた。
『そう、今目を向けているそれだ。上から失礼する』
「ひゃああああっ!?」
声が聞こえるとステラはたまげて転がり、リンの後ろに隠れた。
リンはステラの背中に手を伸ばし、擦りながら聞く。
「まさかこの空間は丸ごと魔術?」
『そうだ。これはわたしの畏怖を具現化した箱庭だ 。君らが展開した見せかけばかりのそれとは格が違う。わたしが魔王の右腕たる所以だよ』
リンはロングソードを引き抜く。
「そっか、解説ありがとう。空間がそこにあるんなら、物理的に破壊させてもらうよ?」
『その前に、君らにはわたしの術中にはまってもらう』
「な、何をする気なんですか……?」
『端的に言おう。君らにはこれから投身自殺をしてもらう』
ガーベラがそう言い終える同時。木琴のリズムが響いた。
「──ッ!! 」
リンの体は棒立ちのまま硬直した。息は荒く、目は虚ろ。足は勝手に線路の方へ向いた。その様子を、不思議そうに眺めるステラ。
「り、リンさぁん……?」
『まもなく一番線に、列車が参ります。 白線の内側まで下がってお待ちください』
反響するガーベラの声。それを耳にしたリンは、身震いする。顔から滝のように汗を流し、小刻みに唇を震わせる。
「……飛び……込まなきゃ……飛び込まなきゃ……飛び込まなきゃ……!」
そして大股で道の端へと進んでいく。黄色いブロックまで足が差しかかる。
「……だ! ダメですぅっ!! リンさぁん……!」
ステラが羽交い締めにするも、逆に引きずられてしまう。
「うぅぅ……! そっち行っちゃダメですっ……!なんだか嫌な予感がするんですぅぅっ……!!」
「 ……飛び込ま……なきゃ……」
「目を覚ましてください! ──っっ……!」
ステラは右に目を向けた。けたけましい笛の音と、馬の足音を何倍にも大きくしたような轟音が聞こえてきたからだ。
「うっ……!」
思わず顔をしかめる。音の主は眩く光る一つ目を持っていた。線路上をそれはひた走る。ステラの目には銀色の怪物にしか見えなかった。
気を取られた隙にリンの体は、するりとステラの腕を抜けた。
「飛び込めば……楽に……」
銀色の怪物の目の前にリンは身を投げる。
「リンさぁん!!」
それを追い、ステラも飛び上がる!
「人は弱い生き物だ。 思い詰め、すぐに周りが見えなくなる」
「……っ!?」
次の瞬間、ゼラが見たのは目の前に広がる森と納刀するガーベラの姿。
ステラはリンに覆い被さるように転んだ。
「あ、あうぅ……いたい……いたいっ……」
ステラは前かがみに縮こまり、横に転がる。
その一文字に切られた腹部からは、鮮血が垂れていた。
「恐れ入った。 肉を切ったつもりが、薄皮一枚切り込みを入れることしか出来ぬとは……しかし、これで追えぬであろう」
「ま、待って……!」
必死に手を伸ばし、立ち去ろうとするガーベラを引き止めた。
「リンさんは……! リンさんは……大丈夫なんですか!?」
ステラの腕の中、目を閉じたリンは顔をしかめて苦しそうにうなる。
「心配なさるな。今一時、悪い夢を見てもらっている。明日の朝日が昇るまでには良くなっているだろうよ」
「よ、良かったぁ……うぅ……」
ステラは安心したのか、リンにもたれかかるようにして意識を手放した。どさりと倒れ込む。
ガーベラはそれを確認してから、口を手で覆った。
「ガーベラが魔王様に報告いたします。リンは魔王様の想定より早いペースで力に順応しています……そしてステラですが手加減していたとはいえ、わたしの秘術に耐えました」
もう片方の手。そちらからは色白の肌の口が現れた。青紫の紅を引いた不気味な口元はその報告を聞き、わずかに上がる。
「ひゅっひゅっひゅっ……でかしたぞガーベラ。 次期魔王たる器が着々と出来つつあるな……引き続き、監視を頼む」
「分かりました。 それでは……」
口から手を離したガーベラ。
彼の下駄の軽快な音だけが、暗い森に響いていた。
リンとローレル。彼らが再び見えるのは、まだ先の話。